最近、Twitterで、「SEGASA」というゲーム機メーカーの名を2度ほど聞く機会があったので、ワタシが認識するところの「SEGASA」についてメモしておこうと思います。
ワタシの手元にも一つだけSEGASAのフライヤーがあります。これを入手したのがいつ頃だったか、定かな記憶はないのですが、おそらく1990年前後頃のことだったと思います。
SEGASAのフライヤーの表紙側(上)と中身側(下)。ワタシが唯一持つSEGASAのフライヤー。頒布時期は不明だが、1975年より後のことと思われる(詳細は後述)。
表紙の社屋と思しき建造物に、日本のセガが1970年台半ばまで使用していた旧ロゴの書体で描かれた「SEGASA」の文字があしらわれています。このフライヤーを入手した当時のワタシは、いったいこの会社はセガとどんな関係にあるのか不思議でたまらず、いつかこの謎を解きたいと思ったものでした。
それから約30年が経つ間に、いろいろな情報源から、SEGASAはセガ創立の黒幕であったマーティン・ブロムリー(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(1) まずは過去記事から概説)とバート・シーゲル(後にATARIの社長を歴任するローレンス・デビッド・シーゲルの父)によって1968年に設立されたスペインのゲーム機メーカーであるという認識に達しました。例えるなら、セガの生みの親が「レメアー&スチュワート」であるなら、ブロムリーはセガの祖父にあたり、SEGASAはセガの祖父がよその女と作った子供にあたる存在と言えるのではないでしょうか。
SEGASAができた1960年代の終わりころというと、セガがスロットマシンメーカーであることに見切りを付けようとしていたころ(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(4) セガのスロットマシンその2)です。当時のブロムリーがセガに対してどの程度の影響力があったのかは不明ですが、SEGASAは日米のセガの子会社というわけではなかったようです。ただ、少なくともセガの幹部との付き合いは継続していたらしく、SEGASAはセガのゲームをヨーロッパで供給していました。ただし、それらは日本から輸入したものではなく、ヨーロッパで部品を調達して製造していたそうです。
それと同じように、SEGASAはピンボールにおいても、米国の大手メーカーの製品とそっくりな、しかしアートワークやフィーチャーなどがオリジナルとちょっと(ものによってはかなり)異なる、一見パクリのコピー品に見えるものも多く作っていました。それらの中には、オリジナルから正式に許諾を得ていたものもあるそうですが、全てがそうであったわけでもないように見えます。
SEGASAは1975年頃になると「SONIC」という商号(フライヤーに見える「D.B.A. SONIC」は、「ビジネス名ソニック(Doing Business As SONIC)」の意味)を使うようになります。これは、日本のセガがこの頃にロゴを変更したことに伴うものであろうとの推測もありますが、真相はわかりません。いずれにしても、このSONICブランドのSEGASA製ピンボール機は日本にも結構入ってきており、ワタシもエプロンに描かれたSONICのロゴをよく見かけたものでした。ただ、ワタシには、「ソニックのピンボールってなんかあんまりおもしろいと思えないのよねー」という印象が残っています。
SONICブランドのピンボール機に描かれていたロゴ。この画像は「BUTTERFLY (Sonic, 1977)」のエプロンから。
「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」と言えば今やセガの顔ですが、こちらのソニックが初めて世に出たのは1991年のことですので、その15年くらいも前に使われていたSEGASAのビジネスネームであるSONICとの間には何の関係もなさそうです。
SEGASAを調べていると、1970年代の前半頃には米国のピンボールメーカーWilliams社と縁が深い「Seeburg」社がその半分の株式を持つとか、英国のスロットマシンメーカーJPM社が絡んでくるとか、なんだかよくわからない話がいろいろと出てくるのですが、これらはまだ調査できておらず、今ここで記録できるほどまとまった話はありませんので、これらはおいおい調べていきたいと思っております。現時点では、
・SEGASAは、日本のセガ設立の黒幕だったマーティン・ブロムリーがスペインに作ったゲーム機メーカー。
・SEGASAは、日米のセガの子会社というわけではないが、繋がりが全くなかったわけでもない。
・SEGASAは、1975年頃から「SONIC」というビジネスネーム(ブランド名)を使うようになった。
・SONIC(SEGASA)のピンボールは、1970年代から80年代にかけて、日本にも多く入ってきている。
・「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」とは関係ない。
とまとめておきたいと思います。
ワタシの手元にも一つだけSEGASAのフライヤーがあります。これを入手したのがいつ頃だったか、定かな記憶はないのですが、おそらく1990年前後頃のことだったと思います。
SEGASAのフライヤーの表紙側(上)と中身側(下)。ワタシが唯一持つSEGASAのフライヤー。頒布時期は不明だが、1975年より後のことと思われる(詳細は後述)。
表紙の社屋と思しき建造物に、日本のセガが1970年台半ばまで使用していた旧ロゴの書体で描かれた「SEGASA」の文字があしらわれています。このフライヤーを入手した当時のワタシは、いったいこの会社はセガとどんな関係にあるのか不思議でたまらず、いつかこの謎を解きたいと思ったものでした。
それから約30年が経つ間に、いろいろな情報源から、SEGASAはセガ創立の黒幕であったマーティン・ブロムリー(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(1) まずは過去記事から概説)とバート・シーゲル(後にATARIの社長を歴任するローレンス・デビッド・シーゲルの父)によって1968年に設立されたスペインのゲーム機メーカーであるという認識に達しました。例えるなら、セガの生みの親が「レメアー&スチュワート」であるなら、ブロムリーはセガの祖父にあたり、SEGASAはセガの祖父がよその女と作った子供にあたる存在と言えるのではないでしょうか。
SEGASAができた1960年代の終わりころというと、セガがスロットマシンメーカーであることに見切りを付けようとしていたころ(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(4) セガのスロットマシンその2)です。当時のブロムリーがセガに対してどの程度の影響力があったのかは不明ですが、SEGASAは日米のセガの子会社というわけではなかったようです。ただ、少なくともセガの幹部との付き合いは継続していたらしく、SEGASAはセガのゲームをヨーロッパで供給していました。ただし、それらは日本から輸入したものではなく、ヨーロッパで部品を調達して製造していたそうです。
それと同じように、SEGASAはピンボールにおいても、米国の大手メーカーの製品とそっくりな、しかしアートワークやフィーチャーなどがオリジナルとちょっと(ものによってはかなり)異なる、一見パクリのコピー品に見えるものも多く作っていました。それらの中には、オリジナルから正式に許諾を得ていたものもあるそうですが、全てがそうであったわけでもないように見えます。
SEGASAは1975年頃になると「SONIC」という商号(フライヤーに見える「D.B.A. SONIC」は、「ビジネス名ソニック(Doing Business As SONIC)」の意味)を使うようになります。これは、日本のセガがこの頃にロゴを変更したことに伴うものであろうとの推測もありますが、真相はわかりません。いずれにしても、このSONICブランドのSEGASA製ピンボール機は日本にも結構入ってきており、ワタシもエプロンに描かれたSONICのロゴをよく見かけたものでした。ただ、ワタシには、「ソニックのピンボールってなんかあんまりおもしろいと思えないのよねー」という印象が残っています。
SONICブランドのピンボール機に描かれていたロゴ。この画像は「BUTTERFLY (Sonic, 1977)」のエプロンから。
「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」と言えば今やセガの顔ですが、こちらのソニックが初めて世に出たのは1991年のことですので、その15年くらいも前に使われていたSEGASAのビジネスネームであるSONICとの間には何の関係もなさそうです。
SEGASAを調べていると、1970年代の前半頃には米国のピンボールメーカーWilliams社と縁が深い「Seeburg」社がその半分の株式を持つとか、英国のスロットマシンメーカーJPM社が絡んでくるとか、なんだかよくわからない話がいろいろと出てくるのですが、これらはまだ調査できておらず、今ここで記録できるほどまとまった話はありませんので、これらはおいおい調べていきたいと思っております。現時点では、
・SEGASAは、日本のセガ設立の黒幕だったマーティン・ブロムリーがスペインに作ったゲーム機メーカー。
・SEGASAは、日米のセガの子会社というわけではないが、繋がりが全くなかったわけでもない。
・SEGASAは、1975年頃から「SONIC」というビジネスネーム(ブランド名)を使うようになった。
・SONIC(SEGASA)のピンボールは、1970年代から80年代にかけて、日本にも多く入ってきている。
・「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」とは関係ない。
とまとめておきたいと思います。
sonic(SEGASA)のピンボールは雰囲気がWilliamsのピンボールに似ていましたが、何となく音がシャカシャカしていて軽い感じがしました。
Internet Pinball Databaseで調べたらSEGASAはWilliamsのピンボールのライセンス生産をやっていたんですね。だからそうなったのでしょうか。
私も、sonicに関しては面白かったという印象が残っていません。
ピンボールのWilliams社は、1964年にSEGASAの大株主だったSeeburg社に買収されているので、それと関係しているのかもしれませんね。輸入するのではなくコピーを作るというのもまた、日本のセガで米国のMillsのスロットマシンをコピーしていたブロムリーらしいように思えます(個人の感想です)。ブロムリーは節税に極めて厳しかった人らしいので、関税を払いたくなかったのかもしれません(個人の推測です)。
Sonicのピンボールはあまりそそられませんでしたが、「Jai Alai」という機種でハイアライというスポーツを知ることができた点はリスペクトしています。