オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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ラスベガス・1991年から現在までの流れ。

2020年05月03日 14時34分43秒 | 海外カジノ

ゴールデンウィークと言えば、毎年女房とラスベガス(と、可能ならもう一都市)を巡礼するのが、結婚以来ずっと続くウチの習わしでした。本当なら今年も、今頃はラスベガスで女房と二人並んでギャースカ言いながらビデオポーカーやバッファロー(アリストクラート社のビデオスロット)を打っているはずだったのですが、折からのコロナ騒ぎのため、ラスベガスどころか家を出るのも食料品の買い物の時に限って、STAY HOMEを極力守っています。

愚痴はともかくとして、ワタシが初めてラスベガスに行ったのは1991年のことで、サンズ(現在、ヴィニーシャンとパラッソが建つところ)に宿泊しました。サンズと言えば、トウモロコシのようなタワー棟が有名な風景でしたが、奥の敷地には2階建てのアパートのような宿泊棟がたくさんあり、ワタシの部屋はそちらの方でした。これらの宿泊棟のうちの一つに、カプコンUSAが借り切っていると思しき棟があり、企業ロゴの立て看板が花壇に立っていたことを覚えています。

今回は、その時のラスベガスの風景の記録と、それから現在に至るまでのラスベガスの変化のワタシの認識を記録しておこうと思います。当時はデジカメなどと言うものはなく、いわゆるレンズ付きフィルムで撮影したものですが、ネガが行方不明となっており、僅かに発見された紙焼きをスキャンしたものです。


画像1:ファッションショーモールの前から南向きにサンズを臨む。ストリップを挟んだ向かいにミラージのマーキーが見える。ミラージがオープンしたのはこの前年の1990年およそ2年前となる1989年の11月。


画像2:画像1からストリップを横断し、北側を臨んだところ。左端にファッションショーモールが見える。この頃のファッションショーモールは規模が今ほど大きくはなかった。今はもうないフロンティア、デザートイン(現ウィン)、スターダスト(現在何かが建設中)も見える。このころはストリップエリアにも広い範囲で空が見えた。


画像3:サンズの前から向かいのシーザーズパレス。今はこの右手にフォーラムショップスが建っている。


画像4:シーザーズパレスの前から東を臨む。この時点ですでにクローズしているノブ・ヒル(現カジノロイヤル)があった。左にマーキーが見えるデニーズは今も健在。


画像5:画像4の一つ南隣には、リバーボートを模したホリデイカジノ(現ハラーズ)があった。


画像6:ホリデイカジノのエントランスの看板。バフェイが朝$3.49、昼$3.99、夜$4.49と見える。29年前の値段ではあるにしても、もともとラスベガスのバフェイはこんな程度のダイニングだった。


画像7:シーザーズパレスの前から南側を臨む。バーリーズとデューンズ(現ブラージョウ)が見える。


画像8:シーザーズパレスの前から北を臨む。手前にフラミンゴ・ヒルトン(現フラミンゴ)、その向こうにインペリアルパレス(現リンク)が見える。

こうしてみると、この頃のラスベガスはまだ空が広い時期でした。この2、3年後から、ラスベガスはファミリー客の集客に舵を取り、ラクソー、トレジャーアイランド、MGM、ストラトスフィア、モンテカルロ、ニューヨーク・ニューヨークなど、テーマ性が強い超大型ホテルが立て続けに建造され、風景が一変していきます。

しかし、ファミリー客は思ったほどお金を落としていってくれないことがわかってくるとともに、高級を謳い「子連れ客お断り」とするブラージョウが1998年にオープンし、これが大成功すると、ラスベガスは高級志向に舵を切るようになっていきました。

高級化によって客単価を上げたい各カジノホテルは、子供っぽい印象を与えるホテルのテーマ性を隠すようになりました。トレジャーアイランドは大きな髑髏のマーキーを外して名称を「ti」に変え、「オズの魔法使い」をモチーフとしていたMGM(あの緑色の巨大な宿泊棟はエメラルド・シティがモデルだった)はインテリアから映画テーマを消しました。ラクソーは、今さらピラミッドやスフィンクスを隠すことはできませんでしたが、インテリアから古代エジプトをモチーフとする装飾を極力無くしていきました。

こうしてホテル代や飲食料金は高騰していくのですが、それでも客が来るものだから、ラスベガスもかなり調子に乗って、さまざまな高級リゾートの建造計画が立ちました。しかし2008年、いわゆる「リーマンショック」が発生し、米国は未曽有の不景気となり、それら新たな計画の多くは立ち消えとなり、各ホテルの部屋代は高級志向以前のレベルに値下がりしていきました。このようにラスベガスが不景気にあえいでいる間、為替相場は極端な円高となったので、この時期、日本人にとってラスベガスは非常に安く楽しめる観光地でした。

何とか景気が回復した後のラスベガスのホテル客室の利用率は常時8割ほどだったそうです。そうなるとラスベガスはまた調子に乗って、「リゾートフィー」という新たな概念をひねり出しました。これは、部屋代とは別に徴収するサービス料で、予約段階ではなくチェックイン段階で課金されるものです。そのリゾートフィーも、はじめのころは1泊あたり5ドルとか10ドル程度と控えめでしたが、今では高いところだと50ドル近くもします。さらに現在のラスベガスは、それまで無料で当たり前だった駐車場でも料金を取るようになってきています。

そんな経緯があるため、今のワタシは殆どダウンタウンかローカルのカジノホテルに宿泊し、ストリップエリアには特に用でもない限り殆ど近付くこともなくなりました。さて、そのラスベガスも、このコロナ騒ぎで娯楽産業はことごとく休業させられています。昨日には、ついに従業員のレイオフに踏み切ったカジノオペレーターも出たという報道を見かけました。この難局が明けた時、ラスベガスはどう変化しているのでしょうか。


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6 コメント

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貴重な写真ですね (酋長)
2020-05-04 16:27:56
お久しぶりです。
そうですよね。この頃はデジカメ有りませんでしたので写真は今より貴重な記録でしたもんね。
私も3度の引っ越しでフィルムネガ紛失していますので、この様な貴重な写真懐かしかったです。ありがとうございました。
個人的にはこの手の話題が一番食いついてしまいます。また是非お願いします。
Unknown (nazox2016)
2020-05-05 01:14:39
酋長さん、お久しぶりです。コメントをありがとうございます。ワタシが持っているラスベガスの画像では今回の1991年が最も古く、次は1998年まで飛んでしまうのです。しかもその頃になると風景写真はほとんどなくなってしまいます。なんて言い訳をした上で、今後はラスベガスの画像もぼつぼつ取り入れていこうと思います。

ところで、酋長さんとは1度か2度、ラスベガスでご一緒したことがありませんでしたっけ? 確かBBQのお店だったか・・・? なにぶんにも昔のことで、記憶があやふやでたいへん申し訳ありません。
Unknown (酋長)
2020-05-06 14:38:23
昔、確か東京でのオフ会にお誘いいただいた事はあるのですが、未だお会いしたことはありません。と言うのも、ラスベガスには回数こそ多く訪れていますが、業界のコンベンション絡みでの訪問がその半数ですので、私ごときカジノ未熟者が諸先輩方との同席には気後れするのであります。(1訪問で$100握りしめて遊んでそれで終わりのパターンが3年程続きましたっけ)そんなレベルだったのです。
私の初ベガスは1992年でしたので、今回の写真懐かしかったです。サンズのコンベンションホールにも行きましたっけ。
今後とも楽しい情報よろしくお願いします。
ありがとうございました。
Unknown (nazox2016)
2020-05-07 22:06:33
酋長さん、お返事いただきありがとうございます。お会いしたことはありませんでしたか、それは失礼しました。古い記憶がいろいろ混ざってしまっています。

酋長さんもラスベガスには相当行ってらっしゃるでしょうから、いずれ気が向くようなことがございましたら楽しいエピソードをお聞かせください。
おっと、こんな記事が。 (Liner)
2021-06-22 17:01:32
私の初ベガスは2012年だったのかな。遅咲きです。しかも仕事の絡みは一切なく、純粋に個人旅行でしか行っておりません…
勤続10周年の特別休暇で母親の還暦祝いを兼ねてという来訪でした。
もう、ストリップはすっかり変わっていた…まだLINQの屋号が異なるというタイミングですか。
結局、STRIPで宿泊したのは、このときのベラだけだったということになりそうです。

2回目の時点ですでにダウンタウンとオフ・ストリップという選択になっていて、このときは年末年始の4泊、前2泊がFREMONTで後2泊がSILVER SEVENSだったかな…
そして、この2回目の来訪でFREMONTから無料バスに乗っていったSAM'Sでのプレイが運命を動かすことになったってところでしょうか。
宿泊がFREでSAMSは見るだけと思いきや、気がつけばスロット回してサイコロ投げてビンゴやってバフェ食って帰りましたので。
そしたらFREではなくてSAMSからコンプが出るようになった…あとはお察しの通り、ほぼBoydに囲い込まれて今に至る、と。

レベニューレポートを見るに、とりあえずカジノ収益は75%ほど戻していますので、この様子だと遠からず復活するように見えます。
ローカルの雄と言えば個人的にはBYDとRRR(Station)になるわけですが、ステーションに比べるとBoydのカジノはフロアが明るいところが多くて、楽しく遊べる感じがしています(FREMONTは少し暗いと思うけど)。

次回は何時になるのかなぁ。
Unknown (nazox2016)
2021-06-22 21:08:49
2012年となると、ストリップエリアから良いビデオポーカーが概ね一掃されてしまった後ですね。ワタシとしては、すっかり強欲になったストリップエリアは、何か特別な用事でもない限り近寄りたくもない地域になってしまいました。
車を運転できるようになれば、さらに選択肢が広がりますよ。

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