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昨年より70年の節目としてドライバーズチャンピオンのあれこれをまとめてきました。その続きとして今回は有終の美かおこぼれか「チャンピオン決定の瞬間」をクローズアップします。

《チャンピオンを決定したレースの結果》
 50 J・ファリーナ            第7戦 予選3位 決勝優勝
 51 J・M・ファンジオ ① 第8戦 予選2位 決勝優勝
 52 A・アスカリ ①          第6戦 予選PP 決勝優勝
 53 A・アスカリ ②          第7戦 予選PP 決勝8位
 54 J・M・ファンジオ ② 第7戦 予選2位 決勝優勝
 55 J・M・ファンジオ ③ 第6戦 予選2位 決勝2位
 56 J・M・ファンジオ ④ 第8戦 予選PP 決勝2位
 57 J・M・ファンジオ ⑤ 第6戦 予選PP 決勝優勝
 58 M・ホーソーン          第11戦 予選PP 決勝2位
 59 J・ブラバム ①          第9戦 予選2位 決勝4位
 60 J・ブラバム ②          第9戦 予選決勝とも不出走
 61 P・ヒル                      第7戦 予選4位 決勝優勝
 62 G・ヒル ①                第9戦 予選2位 決勝優勝
 63 J・クラーク ①          第7戦 予選3位 決勝優勝
 64 J・サーティース       第10戦 予選4位 決勝2位
 65 J・クラーク ②          第7戦 予選PP 決勝優勝
 66 J・ブラバム ③          第7戦 予選6位 決勝R
 67 D・ハルム                 第11戦 予選6位 決勝3位
 68 G・ヒル ②                第12戦 予選3位 決勝優勝
 69 J・スチュワート ①  第8戦 予選3位 決勝優勝
 70 J・リント                 第12戦 予選決勝とも不出走
 71 J・スチュワート ②   第8戦 予選2位 決勝R
 72 E・フィッティパルディ①第10戦 予選6位 決勝優勝
 73 J・スチュワート ③ 第13戦 予選6位 決勝4位
 74 E・フィッティパルディ②第15戦 予選8位 決勝4位
 75 N・ラウダ ①           第13戦 予選PP 決勝3位
 76 J・ハント                第16戦 予選2位 決勝3位
 77 N・ラウダ ②           第15戦 予選7位 決勝4位
 78 M・アンドレッティ 第14戦 予選PP 決勝6位
 79 J・シェクター         第13戦 予選3位 決勝優勝
 80 A・ジョーンズ        第13戦 予選2位 決勝優勝
 81 N・ピケ ①               第15戦 予選4位 決勝5位
 82 K・ロズベルグ         第16戦 予選6位 決勝5位
 83 N・ピケ ②               第15戦 予選2位 決勝3位
 84 N・ラウダ ③           第16戦 予選11位 決勝2位
 85 A・プロスト ①        第14戦 予選6位 決勝4位
 86 A・プロスト ②     第16戦 予選4位 決勝優勝
 87 N・ピケ ③               第15戦 予選5位 決勝15位
 88 A・セナ ①               第15戦 予選PP 決勝優勝
 89 A・プロスト ③        第15戦 予選2位 決勝R
 90 A・セナ ②               第15戦 予選PP 決勝R
 91 A・セナ ③                第15戦 予選2位 決勝2位
 92 N・マンセル             第11戦 予選2位 決勝2位
 93 A・プロスト ④        第14戦 予選2位 決勝2位
 94 M・シューマッハ ① 第16戦 予選2位 決勝R
 95 M・シューマッハ ② 第15戦 予選3位 決勝優勝
 96 D・ヒル                    第16戦 予選2位 決勝優勝
 97 J・ヴィルヌーブ       第17戦 予選PP 決勝3位
 98 M・ハッキネン ①    第16戦 予選2位 決勝優勝
 99 M・ハッキネン ②    第16戦 予選2位 決勝優勝
 00 M・シューマッハ ③ 第16戦 予選PP 決勝優勝
 01 M・シューマッハ ④ 第13戦 予選PP 決勝優勝
 02 M・シューマッハ ⑤ 第11戦 予選2位 決勝優勝
 03 M・シューマッハ ⑥ 第16戦 予選14位 決勝8位
 04 M・シューマッハ ⑦ 第14戦 予選2位 決勝2位
 05 F・アロンソ ①         第17戦 予選PP 決勝3位
 06 F・アロンソ ②         第18戦 予選4位 決勝2位
 07 K・ライコネン          第17戦 予選3位 決勝優勝
 08 L・ハミルトン ①     第18戦 予選4位 決勝5位
 09 J・バトン                 第16戦 予選14位 決勝5位
 10 S・ベッテル ①         第19戦 予選PP 決勝優勝
 11 S・ベッテル ②          第15戦 予選PP 決勝3位
 12 S・ベッテル ③         第20戦 予選4位 決勝6位
 13 S・ベッテル ④         第16戦 予選PP 決勝優勝
 14 L・ハミルトン ②      第19戦 予選2位 決勝優勝
 15 L・ハミルトン ③      第16戦 予選2位 決勝優勝
 16 N・ロズベルグ          第21戦 予選2位 決勝2位
 17 L・ハミルトン ④      第18戦 予選3位 決勝9位
 18 L・ハミルトン ⑤      第19戦 予選3位 決勝4位
 19 L・ハミルトン ⑥      第19戦 予選5位 決勝2位

まずチャンピオンを決めたレースの予選を整理します。
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   P.P.:17人(24.3%)
   2位:22人(31.4%)
   3位:9人  (12.9%)
   4位:7人  (10.0%)
   5位:2人  (2.9%)
   6位:6人  (8.6%)
   7位:1人   (1.4%)
   8位:1人   (1.4%)
  11位:1人   (1.4%)
  14位:2人  (2.9%)
 未出走:2人  (2.9%)
  合計:延べ70人(100%)

チャンピオン獲得に向けて気合い十分な予選への取り組みです。内訳をみていくと、意外にもポールポジションスタートより2位が最多で3割強にあたる22人いました。この数字だけでは当時のチャンピオン争いの状況やその時の心情は定かではありませんが、そのシーズン、そのレースにおいてもチャンピオン獲得に有利な立場にあって、フロントロウを獲得できたことが想像できます。時代によって異なるもののフロントロウ(現在は予選1位と2位)に位置したのは39人で55.7%を占めます。現在でいうセカンドロウ、3位4位は16人。サードロウが8人と徐々に数は減り、それより後方はむしろレアケースの順位と人数になります。
7位だったのは77年にチャンピオンを獲得したフェラーリ所属のラウダです。前年76年のドイツGPで瀕死の火傷を負ったラウダは、懸命なリハビリと復帰への執念で77年シーズンは南アフリカ、因縁のドイツ、オランダで3勝を挙げて完全復活をみせます。第15戦のワトキンスグレンでのアメリカ東GPで前年チャンピオンのハントのポールトゥウィンを横目に、7位スタートからも4位入賞を果たしてしっかりとポイントをゲット。ランキング2位に浮上したウルフのシェクターを大きく引き離したままチャンピオンを獲得しました。エンツォ・フェラーリとの確執もあり、翌年はブラバムに移籍を決めていたラウダはメカニックの不当解雇に激怒し、このレースを最後に参戦をボイコットしています。
予選11位からチャンピオンを決めたのもラウダの3回目でした。航空会社経営を経て再び(三度)F1の舞台に姿を現したラウダはマクラーレンの若手プロストとの一騎打ちとなりました。チャンピオンを決めた最終戦ポルトガルGPまでにラウダ5勝、プロストは6勝を挙げています。このポルトガルGPでプロストはブラバムのピケに続く予選2位を獲得し、ラウダは11位に沈んだため「プロストの初戴冠」が予想されました。ところが決勝で一つ順位を上げて優勝したプロストに対して、ラウダはプロストに次ぐ2位に浮上。結果的にF1史上最小の0.5ポイントの差でラウダが上回っての獲得となりました。シーズン最多の7勝を挙げたプロストの敗因と誤算は「第6戦モナコGPの雨によるハーフポイントレース」と「シーズン後半でも止むことがなかったリタイヤ」でした。モナコGPの切り上げはトップを走るプロスト自らの志願です。またこの年のマクラーレンは「優勝かリタイヤか」という極端な戦績でした。後半戦でプロストがリタイヤしたレースでラウダは優勝や2位を続け、確実にポイントを獲得しています。大事なのは予選順位や優勝の数だけではない、年間の安定した上位フィニッシュとポイント獲得である、プロストは「ただ勝ちゃいいわけでもない」ということを目の前で教わったはずです。
予選14位は03年のM・シューマッハと09年のバトンで、いずれも「多くのポイントを積み重ね、自身の順位よりもランキング2位が届かなければチャンピオン」というシチュエーションです。予選が何位だろうと関係ありません。楽勝でした。ほか「予選不出走」が2人いますが、これについては以下で書きたいと思います。

続いて決勝順位の内訳です。
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  優勝:28人(40.0%)
   2位:12人 (17.1%)
   3位:  7人(10.0%)
   4位:  6人(8.6%)
   5位:  4人(5.7%)
   6位:  2人(2.9%)
   8位:  2人(2.9%)
   9位:  1人(1.4%)
  15位:  1人(1.4%)
 未出走:  2人(2.9%)
リタイヤ:  5人(7.1%)
  合計:延べ70人(100%)

円グラフの色分けは予選と一部揃っていませんのでご注意を。28人の「優勝で決定」が最多となりました。やっぱり優勝して自らの手でチャンピオンを掴み取るのが一番カッコいいですね。予選同様に上位フィニッシュが多く、表彰台圏内3位までは47人と67.1%を占めます。リタイヤが5人いますが、ランキング2位が届かない領域となったために決定しています。ファンとしてはちょっと見応えのない幕切れです。この手で有名なのは89年、90年の鈴鹿を舞台とした日本GPでしたね。いずれも対象はプロストとセナ、いわゆる「セナプロ」と呼ばれたやつです。89年はマクラーレン同士挑んだ決勝46周目のカシオトライアングルでの接触によるセナの失格でプロストに軍配。プロストがフェラーリに移籍した90年は1周目のスタート直後の第1コーナーでセナがインを譲らず接触して両者リタイヤの末にセナがチャンピオンを獲得しています。日本のみならず全世界が見守るチャンピオン決定をあのような形でダメ押しするのは決して喜ばしいことではありませんね。
決勝15位でチャンピオンを決めたのは87年のピケで、こちらも鈴鹿での出来事でした。チャンピオン争いは残り2戦の時点でウィリアムズのピケとマンセル絞られ、マンセルは後がない状態で鈴鹿入りしました。しかし金曜のフリー走行でS字コーナーでクラッシュしドクターストップがかかったため、予選走行を前にピケの3回目チャンピオンが決定してしまうという結末を迎えました。それではピケも予選、決勝とも力が入りませんよね。予選は5位、決勝は入賞圏外15位となりました。
決勝不出走も予選と同様の2人となっています。予選に出ていなければ決勝もいませんよね。後ほど。

《ポールトゥウィンでチャンピオン決定》
 52 A・アスカリ ①           第6戦 予選PP 決勝優勝
 57 J・M・ファンジオ ⑤ 第6戦 予選PP 決勝優勝
 65 J・クラーク ②           第7戦 予選PP 決勝優勝
 88 A・セナ ①                 第15戦 予選PP 決勝優勝
 00 M・シューマッハ ③   第16戦 予選PP 決勝優勝
 01 M・シューマッハ ④   第13戦 予選PP 決勝優勝
 10 S・ベッテル ①           第19戦 予選PP 決勝優勝
 13 S・ベッテル ④           第16戦 予選PP 決勝優勝

決勝の優勝だけでなく、予選もポールポジションを獲得してしまう「完全無欠」状態が延べ70人の中に8例ありますので抜粋しました。面々をみればまあ納得のドライバーとシーズンですね。珍しいことに2010年代を代表する最強王者ハミルトンがいません。ポールトゥウィンのイメージが強いですよね。6回チャンピオンのハミルトンが自ら優勝でチャンピオンを決めたのは14年と15年の2回に止まります。ハミルトンは近年こそ独走状態でチャンピオンを決めることが多くなりましたが、チャンピオン獲得序盤は最終戦までもつれるシーズンもありました。ハミルトンはチャンピオンが近付くと肩の力を抜いちゃう傾向がありましたよね。それは序盤から安定したポイント獲得があるからこそなせる業です。88年のセナは鈴鹿のスタートでエンジンストールして、ズルズル後退しました。でもポールからスタートし、小雨の中ペースダウンしたプロストを抜き返して優勝。過程はどうであれ、データ上は結果的にポールトゥウィンということになります。

《チャンピオン決定の特異なケース》
 60 J・ブラバム ②         第9戦 予選決勝とも不出走
 70 J・リント                第12戦 予選決勝とも不出走

最後に特異なチャンピオン決定シーンとして先程の「不出走」の例を挙げます。
ケース1は60年のJ・ブラバムです。60年シーズンは全10戦のうち、J・ブラバムは不出走の第3戦インディアナポリスGPを除き、第4戦オランダGPから第8戦ポルトガルGPまで5連勝を挙げてシーズンを席巻していました。しかし、モンツァでの第9戦イタリアGPは過去の「観客を巻き込む多数死亡事故」によって封印されたオーバル区間の復活のため、イギリス国籍のコンストラクター(クーパー、ロータス、BRM)が参戦をボイコットしたため、クーパー所属のJ・ブラバムも出走しなかった経緯があります。ただ、チャンピオンを争っていたB・マクラーレンもクーパーで共に出走せずポイント追加が無かったため、J・ブラバムがチャンピオンを決めています。
それからちょうど10年後、70年のリントも出走せずにチャンピオンを獲得しています。この話はもう有名ですね。出走しなかったのではなく、正しくは「できなかった」んですよね。第3戦モナコGPに自身2勝目、シーズン初勝利を挙げると、第5戦オランダGPから第8戦ドイツGPまで4連勝して第10戦イタリアGPの予選を迎えます。リントはパラボリカでバランスを崩してウォールにクラッシュし死亡しました。リントの死後、カナダ、アメリカ、最終メキシコと3レースが行われ、フェラーリのイクスが2勝を挙げるも、第12戦アメリカGPの4位フィニッシュが響き、リントに5ポイント届きませんでした。当時、亡くなったドライバーをチャンピオンにすべきか議論されたようですが、そのままリントの獲得ポイントを尊重して、チャンピオンとすることに決まりました。こんな悲しいケースがあってはならないことですが、不幸中の幸いというべきか、F1における「伝説」の一つですね。

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F1は70年の歴史が積み上がって今があります。F1に対して各々の考えや思い入れがあると思います。なかなか風当たりの悪い部分も抱えつつも世相に合った形にレギュレーション変更され、これから先も「最高峰」の品格や感動を変わらず提供してくれることを切に願っています。

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