仁元堂のつぶやきにようこそ。

今回も
森実恵さんの
〈こころの病〉をくぐりぬけてから。

 

 

これまで障害者に認定された方には

「絶対的欠格事由」というものがありました。

2001年までの道路交通法や医師法、
薬剤師法の条文では
「目の見えないものには免許を与えない」など
断定的なものでした。

しかし、
「相対的欠格事由」に変更されました。 

条文で場合によっては
資格の与奪を決める含みのある文章に
なりました。

しかし、

特に今回気になったのは、
読者の声6(P55)でした。

差別と区別、できることとできないこと、

精神疾患の方が
「何もできない」わけではないですが、

「できないこと」はあるかもしれません。

私にも苦手なことはあります。

(例えば背が低いので、
高い棚の上にあるものは
背の高い同僚に取って貰うなど)

すべて1人前にできることが
前提ではないと思いますし、

手伝えることは
手伝えばよいと思います。

完璧な人なんて

いないんだから、

 

みんなで助け合わないと。

得意な人が

不得意な人を補う

 

不得意な人から

直接何かお礼をしてもらったり

お返ししてもらわなくても

 

世の中はきっと円環してるから

どこかからは還ってくる。

 

わたしは

そう信じているんです。

だから、

自分にできることは

何でもやって
誰かのために頑張りたい。
(でも、自己犠牲みたいなことは

卒業しました(笑))

 


しかし、
以前にも書いたかも知れませんが、

私の知り合いの職場には

精神疾患の障がい者枠の雇用で
働いている同僚がいるそうです。

でも、
その知り合いは
一生懸命に仕事をしていますが、

精神疾患の同僚は
「精神疾患」を理由に
煩わしいことを避けられて、

結果、
こちら側の負担が
増えていると感じているそうです。

きっと、

できなくても一生懸命やろうとしていたり
補ってもらっていることに

感謝してもらえたり

 

そういうことが見えないから

モヤモヤすると思うんです。

 

特にお給料をもらって働いていたら、

平等に!って

思いますよね。

どこまでが差別で、
どこまでが区別なのか。

また、
区別もしてはいけないのか。

トイレは男女平等に区別なく
作るべきなのか

LGBT(性的マイノリティの方たちを指す言葉)
の方の専用のトイレがないのは差別なのか。

因みに
タイのお手洗いには
男性と女性以外の
もう一つのお手洗いがあるようです。

男性のトイレよりも
女性のトイレのほうを
たくさん作ったほうが

本当は
混まずに済むそうです。

でも、
同じ数ありますよね!
不思議。



不登校は

「さぼり」なのか
「行きたくても行けない」のか

明確な答えが見つかりにくい、

とても難しい問題だと感じました。

 

因みにですが、

「平等」と「公平」っていう言葉があります。

 

この言葉を聞いた時に

すこししっくりとした感じがしました。

3個のみかんを

3人で平等に分けるのか

3個のみかんを

今すぐ食べないと

死んでしまいそうな人に

全部あげるのか。

 

平等であることも大切だけど、

公平であることも大切で、

 

いびつな社会の中で

色々な人がいて、

 

その中で生活しようと思ったら、

公平になったほうが

幸せな気がします。

どう感じられますか?


ご意見や感想をお寄せいただけると嬉しいです。
ここまでお読みいただきまして
ありがとうございました。

 

 

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