こんにちは
笑いと癒しの音楽クリエイター、セシリアみつよです。
いつも読んで下さって、どうもありがとうございます。
仲良くして頂いている、明石市の妻木優子師匠のボンボン「イソヤマくん(黒ラブ)」が、旅立ちました。
享年17歳。
その記事を見た時、ウチのボンボン「ふにぃちゃん(アメショもどき)」の事が思い出されました。
何か慰めの、あるいは励ましの言葉を書こうとは思いましたが、お悔やみを申し上げるだけで、いっぱいでした。
イソヤマくん
先日も、大学の後輩で、私が勤めていた楽器店のコンクールの審査員をされている福原千織先生のボンボン「アルフォンスくん(ピレネー犬)」がなくなったばかり。
アルフォンスくんとは、一度だけ会っています。
昨年の2月、福原先生のお宅にお呼ばれして、ランチをご馳走して下さり、生アルフォンス君をいっぱいいっぱい抱きしめて、とても幸せなひとときでした。
アルフォンス君
また、ピアノdeクボタメソッドの柴田直美先生のおウチのボンボン「ぶんた君」も、なくなったとか…。
そういう訃報を聞くたびに、自分の中の、もう癒えたはずの傷が痛みます。お三方とも、小さい子犬の頃からずっと一緒に過ごされ、20年近く。立派な「家族」です。
私の実家は、私が一人っ子だったので小さい時から犬、猫、ハムスターやオウム、色々飼ってくれました。特に猫はずっといて、母が施設に入る数年前になくなりました。
私も大概動物好きで、何の動物でもすぐに触りに行くし、サファリパークなど行けば、手が動物のヨダレでベチョベチョになっても全然お構いなしです。
特に小さい頃から猫と共に育ったので、猫好きです。
私が嫁に行くまでにも、数匹のネコと出会い、一緒に生活し、大好きだったはずでした。
でも、実際自分が結婚して1年後くらいに拾った「ふにちゃん」は、大好きを通り越して『愛して』いました。
ポ「今まで色んな辛いことがあった。
でも、この子をなくすことに比べれば、全然、屁でもなかった」
幸せにも、私もポーリーも休みの日に、ふにちゃんが天に還りました。
悲しい時間でしたが、薄らぐ意識の中、這って傍に来たがり、最後に甘えたかったんでしょう。
私のまたぐらに来て、意識がまたなくなりました。
ポ「もう一度、抱かしてくれ。
ふにぃに感謝を言いたいから」
渡した時はもう首も据わっていず、それから数分後、私の腕の中で息を引き取りました。
今までの実家のネコたち…なくなった時は悲しかったけれど、こんなに痛みを伴い、心をえぐり取られるような、半身をもぎ取られるような感じにはなりませんでした。
ああ…家族やったんや…。
20年間、順風満帆であるわけがない、人生。
その間、無邪気なしぐさ、無邪気な目で癒してくれて、悲しい時は抱きしめ、悲しい時にはなぜか知らん内に傍に寄り添ってたり、こんな小さい動物が支えてくれてたんだな…と、2人とも深い喪失感でいっぱいでした。
年月が経って、今では思い出話もし、笑います。
でも、こうして親しい人が、長年一緒に過ごした子たちがなくなるのを聞くと、思い出されてお声をかけたいけれど、何も声をかけることが出来なくなります。
なので、お花を送りました。
妻木師匠が、記事に書いて下さいました。
ふにちゃんがなくなった時、いろんな方、生徒さん方からお花を頂きました。骨壺の横に、たくさんのお花。
それがとても慰められたので、妻木師匠にも…と。
(火)に届いたとLINEが来て、ポーリーに
み「届いたって。良かった」
ポ「そか。
…いつか、虹の橋で待ってる子に、会えるよ」
きっと自分に言ってるんやろな…と思います。
私も天寿を全うし、天に還る日が来たら、まず、橋で待ってるふにちゃんに会いたいと思っていますもん。
必ず会えます。
イソヤマくんに。
もう会えないんじゃない。
今はその時じゃないだけ。
必ず会えるから。
…ところで、「イソヤマ」って、名前名字と思ったそこのアナタ。
『妻木イソヤマ』くんです。
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