いい女よりもいい男の数は少ない

男の恋愛ブログです。
過去の記事は随時掲載していきます。
以前読んで下さっていた方、ありがとうございます。

言語化する日

2021-08-23 14:15:12 | 日記
若い方々と仕事をする機会が多い。もう少し自分が若かった頃は、下に対して「あなた達もさあ、もうちょっと頑張ってもいいんじゃないの?」なんて思う事も多かったが、自然とおじいちゃんのように優しく見守るようになった。年を取ったのは事実だが、単純にやるべき事が増えたからだと思う。人は暇だと他人を気にするものなのかもしれない。

20前半まで何の希望も目標も無く生きてきた私は、20代中盤から、今までやらなかった事をやり直していこうというプロジェクトを始めた。いい判断だったと今でも思う。胸がキリキリと痛むような「やるべきリスト」を10個作り、一番上から「明日までに実行開始」というルールを作って実行した。もしかしたら一生見て見ぬふりをして逃げ続けた可能性のある「こんな事今からとてもできない」という10個を、1位から潰していくのである。やってダメならそれでよいので言う程難易度は高くないのだが、開始する時点での心理的なハードルはめちゃくちゃ高かった。が、それをやるのだ。生きている間に。

それは、自分の人生を本当に変えた。顔も体も考え方もすべてを変えたが、やはり中身は変わらないのだということも分かった。そして、自分は間違ったプライドに縛られて若い時代を過ごしていたんだなという事も分かった。自分は何もしてこなかったダメな人間だと口にしていながら、ではなぜ「それら」を今から実行しないのか。いまさらできない、恥ずかしい、ある程度できてからじゃないと参加できない、などと思うから実行しないのだが、ダメな人間であればできない前提で参加すればよく失敗しまくったとしても恥ずかしいという感情はないはずなのだ。それを恥ずかしいと思うのは、まだどこか自分を高く置いているからだと思う。適切な例かは分からないが、例えば会社の行事で毎年ソフトボール大会があって野球ができないから何とか理由をつけて休むのが毎年苦痛だとする。昔の自分だったらそのままか転職するが、今なら自然と、初心者OKの社会人草野球チームに明日までに入部希望の詳細な問い合わせをする。え、と思われるかもしれないが、人生のTO DOリスト10個をさばくよ、と言っているのはこの次元の事である。

自分のできない事、やらなかった事、逃げてきた事を今から思い順に必ず実行していく事は、自分の感情を言語化する作業だと思う。もやもやした苦しい昔の思い出、どうにもならない逃げたい気持ちを言葉にして実行していく。何が嫌だったのか、どうしたら自分はうまくいくのか、そんな完璧なプランを練って参加する事になるのだから。経験で言うと最初の2週間くらいはうまくも行かず手ごたえも掴めず、恥ずかしい、みっともない、といった感情が湧く。もう既にTO DO10どころか100はクリアしているので、他人の目などどうでもいい。そんな事よりもスケジュール管理の方で頭がいっぱいなので、何曜日の夜はアレ、土曜の朝はコレ、と習い事や参加行事が大量に続いている。休みの日こそやる事が多いので、平日の勤務日の方が夜ゆっくりできる日がぽつぽつとあったりと逆転現象が起きているが、こうして若い頃に逃げてきたことを簡単に取り戻せる取り組みがライフスタイルに当たり前に組み込まれている人生は豊かだと思う。

言語化する日

2021-08-23 14:15:12 | 日記
若い方々と仕事をする機会が多い。もう少し自分が若かった頃は、「あなた達もさあ、もうちょっと頑張ってもいいんじゃないの?」なんて思う事も多かったが、自然とおじいちゃんのように優しく見守るようになった。年を取ったのは事実だが、単純にやるべき事が増えたからだと思う。人は暇だと他人を気にするものなのかもしれない。

20前半まで何の希望も目標も無く生きてきた私は、20代中盤から、今までやらなかった事をやり直していこうというプロジェクトを始めた。いい判断だったと今でも思う。胸がキリキリと痛むような「やるべきリスト」を10個作り、一番上から「明日までに実行開始」というルールを作って実行した。もしかしたら一生見て見ぬふりをして逃げ続けた可能性のある「こんな事今からとてもできない」という10個を、1位から潰していくのである。やってダメならそれでよいので言う程難易度は高くないのだが、開始する時点での心理的なハードルはめちゃくちゃ高かった。が、それをやるのだ。生きている間に。

それは、自分の人生を本当に変えた。顔も体も考え方もすべてを変えたが、やはり中身は変わらないのだということも分かった。そして、自分は間違ったプライドに縛られて若い時代を過ごしていたんだなという事も分かった。自分は何もしてこなかったダメな人間だと口にしていながら、ではなぜ「それら」を今から実行しないのか。いまさらできない、恥ずかしい、ある程度できてからじゃないと参加できない、などと思うから実行しないのだが、ダメな人間であればできない前提で参加すればよく失敗しまくったとしても恥ずかしいという感情はないはずなのだ。それを恥ずかしいと思うのは、まだどこか自分を高く置いているからだと思う。適切な例かは分からないが、例えば会社の行事で毎年ソフトボール大会があって野球ができないから何とか理由をつけて休むのが毎年苦痛だとする。昔の自分だったらそのままか転職するが、今なら自然と、初心者OKの社会人草野球チームに明日までに入部希望の詳細な問い合わせをする。え、と思われるかもしれないが、人生のTO DOリスト10個をさばくよ、と言っているのはこの次元の事である。

自分のできない事、やらなかった事、逃げてきた事を今から思い順に必ず実行していく事は、自分の感情を言語化する作業だと思う。もやもやした苦しい昔の思い出、どうにもならない逃げたい気持ちを言葉にして実行していく。何が嫌だったのか、どうしたら自分はうまくいくのか、そんな完璧なプランを練って参加する事になるのだから。経験で言うと最初の2週間くらいはうまくも行かず手ごたえも掴めず、恥ずかしい、みっともない、といった感情が湧く。もう既にTO DO10どころか100はクリアしているので、他人の目などどうでもいい。そんな事よりもスケジュール管理の方で頭がいっぱいなので、何曜日の夜はアレ、土曜の朝はコレ、と習い事や参加行事が大量に続いている。休みの日こそやる事が多いので、平日の勤務日の方が夜ゆっくりできる日がぽつぽつとあったりと逆転現象が起きているが、こうして若い頃に逃げてきたことを簡単に取り戻せる取り組みがライフスタイルに当たり前に組み込まれている人生は豊かだと思う。

クチナシの花

2021-06-17 23:04:58 | ブログ
ブログをあまり書かなくなってしまったが、かつてはよく書いていた。元々はノートにペンで日記をつけていたのが始まりだったから、ブログを始めて何を書いたらいいか分からない、という状態にはあまりならなかった記憶がある。

まともな人生を歩んで来なかったせいなのか、日常生活を送っていると、ふと心がえぐられる思いをすることがあった。取り返しのつかないことをしてしまったような、絶望に近い一瞬の想いがスーっと心を通り過ぎていく。それは何なんだろうと字に書き留めていったのが、ブログの中心を占めていたように思う。今日は何をした、だの、何を食べただのと書いたところで誰にも需要はないだろう。そして、そんな文章は続かない。続くものが日記なのだ。公開しないにしても続かないものを書いている時点で終わりはみえている。書きたいことを書くのではなく、続くものを書くのだ。トレーニングでもそうだ。続きもしない食事やトレーニングを追いかけるのではなく、続くものを実践するのだ。美容も、資格の勉強も、日々のルーチンも、そうすべきだと思う。

心がえぐられる、というのは結論から言えば「何もしてこなかった事」へ想いをはせる事だ。自分はやり直せるなら学生時代をやり直したい。ついでにあの銘柄の株を少しでもかっておけば、等の私利私欲は度外視で純粋に「学生の部分だけ」をやり直したい。そういう潜在的な想いが秘められているから日常生活が歪むのだ。何か学生生活を彷彿とさせる出来事を目にすると「よく分からない挫折」を経験する。それは覆せないことなのだから、日記を書くことによって自分は学生時代の事で傷つきやすいと理解していれば対処ができる。強くなれるのだ。


恋しない

2021-05-04 04:48:12 | 男性モデル写真集
ゲイである自分がゲイの男性との出会いを放棄してから随分経つ。特に何かきっかけがあった訳ではないが、少しずつ決断できた。思えばゲイの男性との出会いは不毛だった。向き不向きで言えば、自分には向いていなかった。それしかなかったから出会っていただけで、もっと広い視野を持っていたらもっと早くに断捨離できていたはずだ。出会わなければならない、恋愛する事が幸せなことだ、等が当てはまらない人生があるのだと知った。

ゲイの道に入ったきっかけはノンケの先輩を好きになったことだったが、それからの道のりは実り多いものだった。不毛だったと思うのはあくまで恋愛の部分だけで、自分は最終的には「モテたい」みたいなところとは無縁の場所でカッコ良さを磨く旅を続けていた。本来であればモテたくて、イケメンとヤリたくて自分を磨くものだと思うが、そうではない価値観へと舵取りをし始めたのだ。その是非はともかく、自分の価値は大幅に上がっていった。

自分の時間を大切にする、という程の事は何もしていない。他人と付き合っている時間がない、という訳でもない。そういうお高いものではなく、ただ恋愛を「する」「しない」の選択肢で、「しない」を選んだ人間なだけだ。好きなトレーニングをして、トレーニング動画を観てインスタを見て、生活している。ゲイとの出会いはないし、何かに顔を出して参加する予定もない。寂しい人生だと言われればそうかもしれないが、アプリやTwitterでSEXする相手を探さなければならない人生よりはいいだろう。色々なイケテる相手と上手にSEXを楽しんでいる男は、一番輝く場には呼ばれない男だ。

人は結局スタート地点にいずれ戻るものなのかもしれない。先日、25才で野球部出身のマッチョな会社員と仕事上会った時、ふと、きっかけとなった先輩の事を思い出した。自分だけじゃなく大勢の女がその先輩の事を好きだったのを知っている。女になりたいとは一度も思った事はなかったが、自分がもし女に生まれていたら先輩と付き合うチャンスはあったのかなと思うとどうしようもない絶望感に押しつぶされそうになったのを憶えている。その彼とほとんどスペックが一緒の男が10数年ぶりに目の前に現れたのだ。しかし、当時の自分とその時の自分では経験値が違った。カッコイイとは普通に思ったが、憧れる事も好きになる事もないまま、普通に業務をこなして終わった。頑張って好きにならないようにしたとかではなく、普通に何も思わなかった。これが自分が得たスキルなのだと分かった。恋愛偏差値というか経験値というか、自分はどういう人間を好きになるべきで、どういう人間に手を出してはいけないのかをわきまえる、というパッシブスキルみたいなものだろうか。頭でどうこう考えて自分を律するとかではなく、最初からそうなっているのだ。ノンケに恋しても不毛なのだから消去法でゲイに手を出すしかないというスタートだったが、ノンケに恋しない今であれば、そのままノンケと一緒にいればよい。そう、思えたから。


【広告】 Male Model TOKYO

2020-10-22 01:13:46 | 男性モデル写真集
日本人男性モデル写真集のシリーズ最新刊が発売中
現役のアスリートやボディビルダー、フィジーク選手、パーソナルトレーナーが毎号モデルを務める
すべてのモデルがイケメンでマッチョ
Amazonにて好評発売中



Male Model TOKYO 73

Japanese muscle hunk


【イケメントレーナー イケメンパーソナルトレーナー イケメンマッチョ イケメン写真集 男性ヌード メイルヌード ヌードモデル アートモデル ゴールドジム フィジーカー イケメン選手 自衛官 自衛隊 消防士 警察官 スタッフ male nude body builder asian korean japanese muscle hunk hot men photography】

さみしい、ね。

2020-10-22 00:37:19 | クレジット・カード
シャワーを浴びていると唐突に過去を思い出す。あの彼はいま、どうしているだろうか。

会社のイベントで遠出をした帰り、アプリを開くとマッチョな男性がいた。やり目的ではなさそうなのが決め手となり待ち合わせることにした。都合よくその帰り道で会える訳もなく、後日ということで約束を取り付けた。

日曜日にわざわざその場所迄行くと、近くの大きな公園を散歩しようということになった。短髪で顔はあまりカッコよくはなかったが誠実そうなマッチョと並んで一緒に歩いた。ノースリーブにハーパン姿の彼は部屋着のまま来たと言っていたが、よく似合っていた。家が近いんだ、と部屋に誘われたが断った。このまま一緒に話していたい。こうしてコーヒーを片手に外を一緒に歩ける男性は、人生で何人いるだろうか。

ベンチに座ると、彼は低い道路脇の段差に座った。ここでいい、という彼を見下ろすような位置で話していると、毛と玉が少し見えた。
「見えてるよ笑」と伝えると、「え、本当だ笑」と確認して笑って、チ〇コの位置をわざとずらして、ハーパンの裾から微かにオレに見えるようにしてきた。

「おい笑」

「見ていいよ」

大学までずっと体操をやっていた彼は、以前は中野に住んでいたそう。一人暮らしの彼の部屋は知らない男達がやって来てはヤリ部屋と化していた。複数に回されておもちゃにされるのが好きな彼は、そのマッチョな体を大勢に使われて射精もさせて貰えずに次々やり捨てられていたそう。

「もう、そういうのはやめた。」

とにかくやりまくっていた彼は、運よく病気等にはならずに足を洗った。転職でこの遠方の街に引っ越してきたのを機に、やり目的の遊びをやめたそうだ。遠方とは言っても都内だ。これだけの体だから、色々な人がアプリ越しに会いに来てくれたようだが、結局なし崩し的にやってしまって続かないとのことだった。

「彼氏が欲しいんだ。」

大股開きの太い脚からはチ〇コが丸見えのままだった。大きい公園で普通に斜めに向かい合って話している2人だから、誰にも気づかれてはいない。この仮性包茎で毛がふさふさしたチ〇ポを、誰だかも分からない男たちに好きなように弄ばれてきたことを思うと、なぜか胸が少し締め付けられた。体操で鍛えたこの体やケツも好き勝手にいじられて、やり捨てられてきたのか。

「こうして話しているの、久し振りかも。」

そんな彼の笑顔がまぶしかった。
ずっと話せていたらいいのに、とも思った。

シャワーを浴びていると唐突に過去を思い出す。あの彼はいま、幸せに過ごしているだろうか、と。







アンチコメント

2020-09-21 21:49:08 | 日記・エッセイ・コラム
最近、色々な人の動画を観るのが楽しい。どっきりとか企画ものもいいが、何かのテーマについて個人的な意見を話しているのがいい。その時の気分で株だったり筋トレだったりを、ダラダラ流しているのが合っているようだ。他人の考えに興味があるのだと思う。知識を得たいというのが前提ではあるが、グーグルでテキストを読み解いていくよりもできれば何らかの動画で流し聞きしていたい。そこで思うのが、他人の意見に同調しない人間が多いということだ。頭から否定するというか、私はこう、という論調が多くなってきたように思う。多いというのは、昔に比べて、というよりもネットの普及により物理的に反対意見を超えたアンチコメントみたいなものを目にする機会が増えた為だと思う。

反対意見にせよ、アンチコメントにせよ、長くならない範囲で丁寧に主張すべきなはずだが、いつからこんな事になってしまったのだろう。思えばゲイの出会いでのやり取りにおいてツールは違えどメッセージを送り合っている中で、不快な人は一定数いた。それは直接会う前提で1対1のやり取りでの話だ。ネットで見掛けた、会う前提ではない他人にそこまで攻撃的になる理由はなんだろうか。昔から言われていることだが、羨ましいから妬む、の一言に尽きる気がする。自分より明らかに下の存在の者がどう調子に乗っていようが人は歯牙にもかけないのではないだろうか。全然カッコよくないショボイ選手がどうイキっていようが、変なのがいるな、くらいにしか思わないだろうし、叩こうという興味も湧かないだろう。しかし、その選手が人も羨むような相手と付き合い始めたり、大きな企業のモデルに起用されたりしたらアンチが一気に増えるのだろう。本人の容姿が美しく社会的に成功すれば当然アンチが湧き、ブサイクだったとしても成功すればそれはそれでアンチが湧く。本人がTwitterで年中暴言を吐いているとかでもない限り、叩かれる方にも問題がある、というのは当てはまらない。当てはまるとしたら1対1の関係の時だろう。

この世の果てに

2020-04-03 00:47:33 | 日記
ゲイである自分がノンケを好きになる事は許されない事だと思っている。許される許されないという事ではなかったとしても、そもそも成就しない恋だ。そう知らされたのは23の時だったが、早くて良かったと思っている。その前にも後にもカッコいいノンケはいくらでもいたが、自分が恋したのは23才の時だった。思えば学生時代の頃から自分が幸せになるという実感がなかった。誰かに愛される、誰かから優しくされる、誰かを愛する、そういったものが欠落した人間だった。今もそうだ。だから、人生を諦めているというのとは決して違うのだが、自分には幸せは訪れないと悟っていた。だから23の時の恋心は淡く消え去ってしまったが、どこか分かっていた結末でもあった。

どうすればモテるのかを自分はよく分かっている。実践できるかどうかはともかく、どうすればゲイに対して、女性に対して愛されるのかを熟知している。しかし、付き合うというのがとても苦手なのだ。よく分からないといった方が正しいのかもしれない。そこで思ったのが、ゲイではなくノンケの男性や女性といる方が楽だという事だ。ゲイだと告白する気はないので多少の脚色は必要だが、一緒にいて居心地がいい。ゲイといればゲイの話ができるので魂の繋がりというか本当に心を開いて話せるのだが、その先はない。ではノンケはというと、最初から先はないのだから、余計な労力や無駄な色恋抜きで関係性を築ける。自分には幸せは訪れないと思って生きてきたからこそ、そちらを選ぶ。中学時代に好きだった野球部の男の子とは友達になれた訳でもなく一緒に野球をした訳でもなく、ただ他人として遠くから見つめるだけの存在だった。23で好きになった相手も野球部出身の男性だった。一緒の職場で一緒の電車で帰っていたが、好き過ぎて全てが空回りした。告白していなかったことだけが救いだったが、今あの時に戻れたら完璧な振舞いができただろう。では完璧な振舞いとは何かと言えば、好きになることなく仲良くなることだ。

相手を好きにならずに生きていく。自分が長い年月を経て手に入れたものが、それだった。
美しく生きていく、輝いて生きていく、そして誰も好きにならずに生きていくのだ。恋をしない、ということでもある。哀しくはない。コーヒーを飲むか飲まないかの違いくらいだと思うようにしたのだから。

不思議だ。そう思って生きていたのに、好きだと言ってくれる人がいた。最近仕事で知り合った男性だ。
心に光が差したような気がした。

【広告】 Male Model TOKYO

2020-03-20 15:44:04 | CM

日本人男性モデルの写真集シリーズ「Male Model TOKYO」第64巻
現役のボディビルダーやフィジーカー、スポーツ選手や体育会大学生のトレーニング風景や日常シーンを切り取った作品です。
パーソナルトレーナーの方もモデルをしています。
イケメン、マッチョ、現役選手、そういったキーワードに興味のある方はぜひ手に取ってご覧になって下さい。
Amazonにて発売中です。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B086428LWS/ref=dbs_s_r_srch_l_p1_0?ie=UTF8&bsppEnabled=false&pd_rd_i=B086428LWS&qid=1584686825&redirect=true&sr=1-1-dbssearch-acs&storeType=ebooks

アンインストール

2020-03-20 15:13:52 | 日記
その男は日常のツールとして出会い系アプリを利用していた。出会いに依存していた訳ではなかったが、誰かと出会いたいという願望があり、どこに出向く必要もなく見知らぬ男性と出会えることは大切なことのように思えた。

ただ、出会ってはみても手元に残っていく人の数は極端に少なく、正直出会う意味もあまりないのかなと思うことも多くなっていった。とは言ってもゲイのイベントや飲み屋に行く気にはならないし、他のSNS、特にTwitterで出会うのも気が重かった。効率が悪くてもやはり誰かのホームパーティや海、バーベキューなどに参加して出会う方が結果としては良いとは分かってはいたが、大学生の時ならまだしも「今さら」と思ってしまう。二の足を踏んでいるというよりかは、出会いたいと思っている割にどこかどうでもいいと思っていたのかもしれない。

出会いと恋愛は違うものだと知った。出会いがあって恋愛がある、というような認識でいたので、まずは出会いが欲しいというようにセットで考えていたのだ。しかし違う。恋愛に繋がった出会いというのは、振り返ってみると、恋愛を意識していなかった出会いだった。誰かの友人で、とか、ジムで知り合って、とか、あくまで恋愛とは関係のない知り合い方をして、いつしか好きになったのだ。恋愛の入り口として出会っている限り恋愛は遠いのだろう。

その男はスマホゲームをインストールする際に容量オーバーの表示が出て、アプリ一覧を開いてみた。こういう時に、たまに行くファストフード店のアプリとかは消すのに迷う。そんな事を考えながら、出会い系アプリのアイコンが目に入り指が止まった。長年利用してきたアプリだった。立場を超えて見知らぬ男性達とメッセージのやり取りをしてきたものだった。ここ最近では利用頻度も下がっていって、正直こんなもので良質の出会いなどないのではとさえ感じてきていた。でもこのアプリがなかったら、出会っていなかった人が大勢いる。彼らとの縁が切れる訳ではないが、このアプリをアンインストールする事は、この先の出会いを削除するということだ。ちょっと寄ったカフェで何となくアプリを開いてみる、そういった暇つぶしがもうできなくなるという事でもある。

出会いはどこにでもあると思う。自分がゲイだから制限があるような気がしていただけで、Instagramでもジムでも友人からの紹介でも、割と出会えるはずなのだ。それをアプリに頼ってきたのは、「あなたも出会いたいんでしょ?」という甘えだったのかもしれない。

一瞬迷ったが、その男は見慣れたアプリをアンインストールした。

ニューゲーム

2020-03-14 18:53:36 | 日記
人生をやり直したいとよく思う。高校時代からやり直して、一流大学に入学し、医者でも弁護士でも目指したら今よりきっと幸せなはずだ。

では、もしそれが本当に可能になったとしたら、自分は目の前にあるリスタートのボタンを押せるだろうか。自分が歩んだ道を取り消せるだろうか。社会的に何一つ成功していない人生だとしても、キラキラと輝く思い出を消せるだろうか。

過去に戻れたとしても今より幸せだという保証はない。同じ選択肢が現れれば答えは分かるが、そうではない場合、自分で選択するのだ。それでミスしたらまたリスタートするのだろうか。それは幸せな人生だろうか。

人生をやり直したいとよく思う。そして、すぐに考え直す。素晴らしい人生だったと。

迷わない

2020-03-12 23:54:24 | 日記
自衛隊の話を以前聞いた事がある。新隊員が隊長を好きになって告白した。隊長は新隊員を傷付けまいと、恋愛ではなく好きだと答えたそうだ。ノンケとゲイ。相容れる事はない関係のように思えるが、兄弟や親友が後からゲイだと分かったら関係は破綻するのだろうか。知らなかっただけで、それとは関係なく一緒に過ごした思い出を破棄できるだろうか。ゲイだったんだ、と知る事はショックだっただろうが、ゲイ本人はもっとつらかったのだ。そう思えば縁を切ることはしないだろう。

上っ面の話をすればこういう風になるが、実際の例を書くと少し違った話になる。
ノンケ側も薄々は気付いているものだ。女っぽいな、とか、女性に興味がないのかな、とか、そういったきっかけから色々と察していたりするのだ。それを敢えて聞くこともなく仲良くしてくれるのは、男側の愛情だと思う。このままでいいのかどうかは分からないけど、だからといって何かを改善するようなものでもない。ゲイじゃなかったらいいなとは思うが、変なことを聞くわけにもいかない。例えそれが親友だとしても。そんな風に思いながら大学時代を一緒に過ごしてくれた親友は多いのではないか。

思えば世の中はいい人が多かったかもしれない。振り返れば自分に優しくしてくれた人は多かった。中にはゲイだと察したうえで態度を変えずに仲良くしてくれた人もいたはずだ。例え今が困難な人生だったとしても感謝すべきではないだろうか。

そして、ノンケがゲイを好きになる事もあった。人を好きになった、と言ったらいいだろうか。タイプじゃなかったけど結婚したみたいな話と同じなのか分からないが、一緒にいて好きになった、それが男だったという事なのかもしれない。自分にも経験がある。

カップルとまではいかないが、はたからは分からない2人の関係がある。ノンケがオレに会いたい一緒にいたいと連絡をしてくる。恋人同士なのかと錯覚するほどに親密な関係になるが告白されるわけでも肉体関係に発展する訳でもない。向こうはただ親友としていちゃいちゃしてきているのだったらそれはそれでいい。特に勘違いするような「あわよくば」という気持ちは本当にないので、下心や変な気持ちがないのであればそれでよい。よく考えれば分かる事だが、どんなに好きな男でも相手がノンケであるのなら女性と結婚して幸せになってもらいたいと思う。本当にオレの事が好きで同性婚をしたいと言ってくるのなら嬉しいが、こちらからそれを望むことはない。考えていないので行動に出ないという事だ。ゲイはノンケを好きになるべきではない。

ゲイで良かったと思う。また生まれ変わったらゲイに生まれたい。


【広告】 Male Model TOKYO

2020-01-26 20:09:58 | 日記
日本人男性モデル写真集のシリーズ最新刊が発売中
現役のアスリートやボディビルダー、フィジーク選手、パーソナルトレーナーが毎号モデルを務める
すべてのモデルがイケメンでマッチョ
Amazonにて好評発売中

https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/search?_encoding=UTF8&author=KYOSUKE+KOGURE&searchAlias=digital-text&page=1&sort=DATE_DESCENDING&didRefine=1

イケメンノンケとブサイクゲイ

2019-12-31 19:47:34 | 日記
そのノンケは大学進学の為に東京に訪れた。入学式の為に一緒に来てくれていた両親と東京駅前で食事をして、どこかのカフェに移動した。段々と口数が減っていき、彼らの新幹線の時間があっという間にやって来た。笑顔で手を振ると母親は少し泣いていた。

ずっとモテてきた彼は大学に入るとよりモテた。都内のクラブに行ったり、コンパに顔を出せばその日にヤレる相手はすぐに調達できた。東京で彼女ができ、それとは別にSEXする相手も大勢いて、大学生活は本当に楽しかった。

大学にジムがある事を知り、特に興味もなかったが暇な時は通うようになった。

そのゲイは、仕事である男性と知り合った。打ち合わせの段階から割と気が合い、話が弾んだ。世の中には2種類の人間しかいない。気が合う人間と、気が合わない人間だ。目の前にいる男性は凄まじいイケメンだとは思うが、だからどうという事もなく、容姿の劣る自分でもこうして仲良くなっていくのだから人間というのは不思議なものだ。

「ぜひ、また。」

社交辞令ではなく挨拶を交わすと、スーツケースを1つ持ってあげて途中まで送った。

そのノンケは就職後も本格的にトレーニングを続けた。目標は特になく、カッコよくなりたいとかモテたいだとかそういう事も無かった。大学卒業後は実家に戻り、地方でこうしてのんびりとした生活を送っている。彼女とは疎遠になり別れてしまったが、仲間たちは時々連絡をくれる。旅行を兼ねて遊びに来いよと誘ってみると実際に何人かが遊びに来てくれて嬉しかった。大学時代の面々と会って話していると学生時代が遠い昔のように感じる。このメンツで都内のクラブに行ったものだった。自分は女関係は派手に遊んでいたとは思うが、東京の生活に馴染めなかったからこうして地元に就職したのだ。仕事関係で都内には時々行くが、新宿駅等を使う時はうんざりする。あのまま東京で就職していたら自分は幸せだっただろうか。そんな事を日々感じながら、アポイントが入っていた件で再び東京に向かう事になった。

「わざわざお越し頂いて申し訳ありません。」

先方が立ち上がり、挨拶をしてくれる。

「いえいえ、とんでもございません。」

スーツケースを2つ傍に置きながら頭を下げた。何かいい人そうだなと直感で思った。

そのゲイは駅まで送りながら、道行く女性が割と彼をちらちら見ている事に気が付いていた。確かにこの男は芸能人以上の容姿をしている。しかもスーツでいるから完璧なカッコ良さだ。聞くまでもなく実生活ではモテているだろう。自分はこうして当たり前に一緒に歩いているが、この男に恋した女性は何人いただろうか、とふと思った。

手頃な場所まで案内すると握手を求めてきた。
その後、彼は別の要件で東京に来た時も気軽に連絡をくれて東京駅でよくお茶をするようになった。
新幹線がくるまでの時間は長いようで短かった。

「さようなら、またいつか。」

「はい。」

笑顔で手を振ると、彼は手を振り返し階段を昇って行った。


好きでいて

2019-10-27 03:33:31 | 日記
仕事の打ち合わせで都内のカフェに出向くと、その選手は先に席に着いていた。オレに気付くとすぐに立ち上がり挨拶をしてくれた。体育会出身特有の礼儀正しさがあった。

彼が以前に写っていたポスターやPRの動画などを見せてもらいながら話が進んでいく。仕事の話が一通り済むと、自然と世間話になっていった。見れば見るほど、とてつもなくいい男だなと思いながら会話を楽しんだ。

それから何度か仕事で会う機会があった。あくまで仕事での関係なのだから楽だった。昔であれば好きになっただろうし、女性に生まれていたらこの男と付き合えたかもしれないと妄想したはずだが、今はもうない。ノンケを好きにならないというのがスキルだとしたら自分は難関資格を手にしたようなものだと思う。手に入らないものは望まない、それが幸せになる為のスキルかもしれない。

車で送ってくれた時があった。悪いなと思ったが先方から言って下さったことなので遠慮なく送ってもらう事にした。恋愛の話などしてはいなかったが、こうして何人の女性が彼の助手席に座っただろうか。自分が女性に生まれていたとしても、こうして隣に座れたかどうかは分からない。むしろ男に生まれたから今こうして送ってもらえたのではないだろうか。信号が赤の間、缶コーヒーを飲みながら彼が何か話していた。近くにミンティアがちょっと置いてあったり、後ろの席に雑に着替えが置いてあったり、そういった情報の1つ1つに、いいなって思ったりしていた。

数か月間のうちに数日こうして会う機会があり、仕事としては終了した。連絡先は知っているが特に連絡することもない。こちらが会いたいと思えば何とでも理由をつけて会う事ができる立場ではあるが、そういう気もない。彼がゲイだったらいいなと思った事もない。彼と付き合ったらどんなだっただろうかと妄想する事もない。自分は、何かが枯れてしまったのかと一瞬心配したが、答えが分かった。年齢とともに自分を好きになったのだ。いい男ばかりに価値を置いてきたが、自分にもそれなりの価値があるのだという事だ。向こうがこちらと一緒にいたいと思う瞬間もあるはずで、美しい月を見上げるばかりではなくなったのかもしれない。