私は我が子を愛せるのか ~産後うつ~

本当に鬱のせいなのか、育児不適合者なのか。

私の知らないムスメ。

2017-11-21 10:33:06 | 思う事。
色々前向きな事ばかりを書くわけではないのが、ココ。
確かにムスメの成長とともに、私の中にあった未知への恐怖が
少しずつ減って来て、ムスメに対しても愛おしさが増えて来ているも、
例えば実家に遊びにいった時に、ふと母が口にする、
「母(と父)だけが知っている0歳児の時のムスメ」を
耳にする度に、責められているような、
あの頃の自分に戻ってしまうような、そんな気持ちになってしまう。

(とある児童施設にて)
「ムーちゃん(ムスメの事)はいつもここが好きで」

「前から必ずここで遊んじゃうのよねー」

・・・別に過去の私を責めてないのは分かってるのに、
『私が知らないムスメの姿』を見せられると、何故か苦しくなる。
なんでなんだろうな?


先日、保育園が写真アップの専門サイトに
園での日常を切り取った写真を見た時も似たような感覚になった。
こちらは同じような子供たちに混ざったムスメの姿が
あまり楽しそうに見えなかったからかもしれない。
「私のせいでそういう場所に長い時間預けてしまっている」
そういう自責の念にかられるのだろうな・・・。


一応会話としては、「保育園楽しい?」って聞けば笑顔でうんと言うし
迎えに行くとたまに遊びが楽しいのか帰りたくないふうに駄々をこねる時もあるから
本人は(毎日かは分からないけど)園での時間を楽しんでくれてることもあるんだろう。
兄弟もいないから、上のお兄ちゃんやお姉ちゃんらと遊んでもらえるのも
きっと楽しいのかもしれないし、おもちゃも絵本も沢山あるし。


せめて。
今よりももう少し早く迎えに行ってあげられたらいいのかな?
・・・これはほぼ私次第ってところもあるんだけどね。
ムスメと一緒の時間をもっと過ごして、
ママと一緒の時間は楽しい、安心出来る、そう思ってもらいたいと思うのも事実の反面
最近増えて来た謎の癇癪やイヤイヤ、イライラにどこまで付き合えるか、
私のキャパを思うと戸惑ってしまうのも、事実。
他のママたちは、当たり前にそれと付き合ってるのは分かってるんだけれどね・・・。


『コウノドリ』

2017-11-14 15:14:57 | 思う事。
タイトル漫画はチラリとしか読んだ事がないのですが、
ドラマは前のモノはムスメがお腹に居た時に、
そして今のシーズンのモノもみております。
・・・今回、軽めではありましたが「産後うつ」にも触れていて
ここから繋がったTwitter仲間の人はそれらを見て
「あんなすぐに『子供可愛い』なんてならないよ」と口を合わせるのに対して
うつを経験しなかった方は
「いつもはあるあるー!って同感出来てたのに
 今回のは『産後うつ』とかで全然共感出来なかったー」と言ってる人もいるとか。


共感とか、しなくてもいいんですよ。
ただ、そういうふうになってしまう人もいると
どこかに置いておいてくれるだけでいいんです。
みんながみんな、「子供出産してハッピー!」「しんどいけど赤ちゃん可愛い!」
そんなふうになれるわけじゃない、ってだけ。


ここのブログを開設する前に、とある大きなママ掲示板に
自分と同じような人がいないか書き込んだ事があるんですが
先に書いた多分後者だと思われる人が
「そういう事言わないで欲しい。皆辛いながら育児してるし
 赤ちゃんは愛される為に生まれてきたハズなのだから!
 アナタの書き込みは不快だ!」という内容のレスが付いて
あぁ、私ってやっぱりおかしいんだな、狂ってるのかな?
生きてる事が間違ってるのかな?子供なんて望んじゃダメだったのかな?と
どんどん自分を責める方向へ向かいましたし
自分に共感出来る人なんて、ほとんどいないんだな、と実感したのです。


それでも、少数ながら同じように病気だと気付き
投薬やら休息やらで回復して、普通に育児出来るようになった人や
今まさに同じ気持ちです、と打ち明けてくれた人もいました。
私自身、当時そういう言葉にずいぶんを救われました。
だからこそ、こういうブログを残そうと思ったのです。



何度も書いてますが、私もまだ通院中で、薬も続いてます。
それでも、今ではあんなに怖い存在だったムスメと一緒に遊んだり
歌ったり踊ったりして笑っています。
これも家族のサポートと、保育園という場所のおかげだと思っています。
決して薬のおかげだけとは思ってません。
分かってくれる人がいる、そして助けてくれる人がいる事、
これが一番大切なんじゃないかな、と思っています。


子供を産んだから、すぐに皆お母さんになれるわけじゃない。
それは人間も動物も同じなんじゃないでしょうか。
病気でなくとも、育児放棄する動物がいるように、
決して「母性は本能」とだけインプットされているのは怖いなと思うのです。
・・・逆をかえせば、男の人にだって育児は出来る。
女性でドッと母性が溢れる人もいるかもしれないけれど、
そうでない人だっている。そう、私みたいに。
作られていくものでもあるんじゃないでしょうかね?


お久しぶりです。

2017-11-08 11:10:22 | 今日の徒然。
また一ヶ月程、更新が空いてしまいました(^_^;A
更新しない間に通院もありました。
一応安定しているとのことで、次は二ヶ月後、
段々に通院の間隔が空いてきました。
お薬は変わらないんですが、睡眠薬がなくとも眠れる日が増えてます。


そして私の実家に行く事があったのですが
やはりムスメは私の父・母が好きみたいで
オットの実家に行った時とのリアクションの差はスゴいです(^∇^;)
・・・まぁしょうがないですけどね。1年以上私の実家で過ごしてますしね。
彼女がその事をしっかり覚えているのかは謎ですけれど
バアバLOVEなのはあいかわらずで、
ムスメと私の母との間には、私には入れない何かをどうしても感じて
その都度昔の感情で揺れ動いてしまうのも、仕方ないと諦めてます・・・。
これも、しょうがない。そう諦めるしか無い。
私は私の居場所を作るしか無い。
そんなふうに思いつつ、どうしても凹む自分を隠せません。


実家に行くとムスメが楽しそうなのが、嬉しい反面、寂しい。
私の父も母も、ムスメが可愛くて仕方ないのがにじみ出てるし
元々子供好きだから、歌を歌ったり遊んであげるのも上手いから
きっとムスメからしても、一緒にいると楽しいんだろうな、と。


でも、これから長い時間一緒にいるのは、私やオット。
じいじとばあばに会える時間は短い時間なのだから、
その時間を楽しく過ごしてもらった方がいいよね?とも思うのです。
全てが本音。
相反する気持ちを抱いてしまうからこそ、気持ちがグラグラするのでしょうね?


と、まとまらない気持ちをツラツラ書きましたが
どんどん増えるムスメの語彙や遊びの幅に
成長という時間の流れを感じているミツなのでした。
「ママ」というポジションは、相変わらずです。
ばあばにも、パパにも、まだ追い付けません。
だけど、ニッコリされるとこちらも笑顔になれるのも相変わらずです。


「ママ、あっち!」

2017-10-03 14:55:03 | 1才〜。
この頃、ムスメは意味のある言葉をちょいちょい話すようになって
意思の疎通が少しだけ出来るようになってきたと思う。
「パパ」や「ママ」もちゃんと分かって言ってくれるし
自分が座ってる隣をポンポンしながら「ママ、ぉいで」って
呼んでくれたりする事もある。
・・・まぁだいたい家事してる時とかなので
「ちょっと待ってー」ってタイミングばかりで大変ではあるんだけど(ー_ー;)


だからこそ、イヤイヤもハッキリしてきた。

「お水飲む?」(←夏だし沢山水分取って欲しい私)

「ナイナイ」(気分じゃないとすぐ首を振って否定するムスメ)

とか

「さぁお風呂入るよ!」(そして歯を磨いて早く寝て欲しい私)

「ナイナイ!」(気分じゃないとすg(以下略))

とか。

「ナイナイ」と「イヤ」と「イタイ」が彼女の否定系。
その中でも「イタイ」は痛くしてないのに、
イヤな事されてる時とかに触っただけで言うから厄介。
聞いたら保育園も使ってるようなので、もう口癖になってしまってるのかもしれない・・・。
(口回りに付いた食べカスを拭くと嫌がり、「口イタイ!」とか言う感じ)


それに加えて。
ほぼ私に向けて限定なのだけど、機嫌が悪くなると
私と目が合っただけで「ママ、ナイナイ!」とか
横で寝かしつけさせてる私に向かって「ママ、アッチ!」と
全力で手を使って顔を押し出されたりすることがあります.・゚・(ノд`)゚・.
最近は慣れつつある私だけど、最初はかなりショックで
普通に凹んで普通に真に受けて「ママの事嫌いなのね。アッチいくね・・・」って
傷心のまま別の部屋に行ったりもして。
・・・オットにもたま〜にあるみたいだけど、比較すると1:9ぐらいの割合で
ムスメは私相手に「イヤイヤ」を炸裂させるから、凹むわけで。


あ、私の母相手には見た事ないです・・・。
それどころか、いつもニコニコ楽しそう。
もちろんオムツ交換とかはイヤイヤすることもあるけど
私の時みたいに露骨に「そこに存在する事を否定」される姿は見た事無い。
・・・まだまだ母には勝てないのは、仕方ないと分かりつつ、
こういう分かりやすい比較があると、やっぱり考えちゃいます。


オットに抱っこをねだって、忙しくて出来ない時に
「ママが抱っこするよ」とムスメの前で両手を広げても
ギャン泣きされたり、とか、添い寝も「パパ!パパ!!」と
パパじゃなきゃ嫌、という素振りをされたり、もう散々ですが
耐性が付きつつある自分、ちょっとだけ強くなったな、とも思うのです。


しょうがないです、イヤと言われたって
ムスメのママは今のところ私だけなのですから。
思春期になったら、もしかすると「パパイヤ期」来るかもしれないしね、
と先を見て、今のイヤイヤをやり過ごそうと思います。
ムスメはホント、ツンデレ体質(というか子供は皆かな)かな?
気分屋で、一人で黙々と遊んでると思ったら、
急に泣きそうになってやってきて「あっこ!(抱っこ)」と言ってきたり
顔をプイ!としたと思ったら、振り返ってニコニコしたり。
・・・猫もそういうところあるよね、と思って感情を揺さぶられ過ぎないよう頑張ります。

ほんの先の未来の話でした。

2017-09-29 22:17:21 | 精神科通院。
少し時間が経ってしまったけれど、いつもの通院がありまして
前々からずっと聞きたいと思いながらも
なかなか聞けずにいた事を、今回思い切って先生に聞いてみました。


「私、いつになったら寛解というか、
 もう病気じゃないです、って言えるようになれますか?」


これまで診察が始まると先生の「これまでどうでしたか?」
というお決まりの質問から入って、
私の生活での出来事や、気持ちや、そういう事を話して
ほとんどの事を否定する事なく「そうですね、良かったですね」
「そうですね、辛かったですね」「それは良い方向に変わりましたね」
そんなふうに聞いてくれていた主治医の先生ですが、
締めもお決まりで「お薬はこれまで通り、次回は1ヶ月後の○○日で大丈夫ですか?」
という感じで約1年通院を続けてきていて
私は本当に良くなってるのか。いや、まずは本当に病気なのか、
このまま終わりなく通院が続き、本当は必要のない薬を飲み続けていかなきゃならないのでは?
・・・そんなふうにまで疑いが出てきてしまっていたのだけど
「さぁ、(寛解は)いつになるかまだ分からないですね」と濁されたり
「あまり変わってないですし、○年ぐらいはかかるかもですね」
と遠い未来を言われたりするんじゃ、と
最初の質問を聞けなかったのは先生の答えが怖くて。

だけれど、今回切り出した私の疑問に
「そうですねー。前回伺った時からちょっといい感じではないかと思ってて
 今回もそれを継続されていたようなので・・・
 一応そういう状態が半年続いたら減薬とか断薬とかを考えてました。
 なので早くて来年明け、とかですかね?」
と、先の見える答えが返ってきた・・・!!
これまで、未来の見えない道を歩いていた私に
急に少しの光のある方向が見えてきたような気分になれたのです(*'-'*)

「通院期間も少し開けましょうかね?
 次は1ヶ月半後ということで」

先生はそう続けて、今回の診察は終了。
自分で感じてた「私、良くなってるかも」という思いは
気のせいではなかった、と分かっただけで嬉しくなった。
・・・どこかで薬を飲まなくなった時の自分がどうなってしまうのか、
本当に鬱になる事無く今みたいに生活出来るのか、という不安は無くはない。
でもここまで一緒に診てくれていた先生を今は信じようと思う。