塾長の受験生時代

2021年05月28日 | 塾について

略歴については,別記事の「塾長から」の最後のほうにまとめているのですが,その前後の受験生(学生)時代についても自己紹介してみたいなと思い記事を書こうと思い立ちました。

塾を開いてかれこれ15年以上たち,学生時代の経験もふくめると20年以上になる「塾人生」ですが,自分自身が塾に通っていたのは,中3の夏休みから私立受験の2月までの7ヶ月だけでした。

でも,その中で学校の授業と塾の授業の差に衝撃を受けたことも多々ありました。
学校の内容がそれなりにできていたとしても,入試問題に対応しようとするとさらに必要なことがあるということを思い知らされました。
まさに,井の中の蛙なんとやらってやつでした。

今思うと,中2に上がるときに転校して,前の学校で理科の天体(当時は中1内容)を学校で習わず,中2で転校先で理科の先生に授業してと頼んで無理と言われたにも関わらず最終的にはなんとかなったり,中3の2学期に盲腸で入院というハプニングがあったりしてもなんとかなったのは,7か月の塾のおかげの一つなのかなとも思います。

余談ですが,その塾で自分的にいちばんいいなあと思った先生が,担当が理科で大阪大学に通っていたというのも,後から思うと結構影響を受けてたんだなと思います。

高校受験用の五ツ木の模擬試験は当時からあり,志望校の判定は専願で良くて『C』(ほとんどが『D』),併願で『E』でした。
さらに,このような成績なので,大阪私立の前に和歌山の私立をいわゆる滑り止めで受けておけと言われて受けましたが,見事に『不合格通知』のペーパー1枚だけの封筒をもらいました。
(「速達用の切手を貼った大きな封筒はどこへ行った。切手代返せ!」とツッコミを入れた記憶があります)

そんな状況での大阪私立高校受験,落ちたら公立は絶対にわがまま言いませんという約束で志望校に挑戦しました。

詳しくは教えてもらえませんでしたが,中学の担任の先生の口ぶりから察するに,受験当日の順位は下から五指に入るレベルだったようです。
そんなレベルであったにも関わらず,挑戦させてくれた担任の先生と親には感謝しかありません。

▼そんな中3時代(公立中)の塾長の通知表です

 

さて,めでたく(何とか)高校生になったのですが,”五指に入るレベル”は事実のようで,入学直後の宿題テストでは,学年で下から3位くらい,クラス最下位という状況でした。

そして,1学期の数学では赤点でした。
2学期からは何とか赤点は免れました(点数調整をしてもらった?)が,低空飛行(というか,ほぼ地を這い続けるレベル…)は相変わらずでした。

2年生になると,今度は1学期の物理が赤点になりました。
(ちなみに担任かつ顧問の教科でした)
こちらも2学期からは赤点は免れました(やはり点数調整アリ?)。

ただ,夏~秋くらいだったと思いますが,少しは低空からは脱しているような感じはありました。

3年生では,めでたく赤点なしの成績表になりました(これが普通なのでしょうが…)
※ちなみに3年生の担任は,1年のときの赤点の数学の担当の先生でした。

3年生のときは,センターの国語が志望校の目標点の半分にも満たない(ほぼ絶望的)状況(満点に対して半分以下…)でした。
(他の教科も足りてなかったのですが…)

なので,進路懇談で志望校を変えないと言ったところ,浪人前提で「来年はどこ受ける?」という話ばかり進んでいました。

この辺は中3のときとあまり変わっていませんでした。

ただ,入試に向けてはだいぶマシにはなっていたと思います。高1・高2での赤点をとってしまうような勉強方法の経験や高3になってからのなんとかなるようになった勉強方法の経験は,現在の生徒指導につながっていると思います。

また余談ですが,高3の夏にセンター国語を徹底的に研究しまくったところ,本番ではさまざまな好条件が重なったこともありますが,9割強の得点をゲットでき,全体の得点でも十分に志望校を狙えるということになりました。
その研究成果は現在の国語の読解問題の解法指導にも取り入れており,学習前に過去問で半分程度の得点率だったのがセンター試験本番の現代文で漢字以外満点という結果を出す生徒がいたり,中学受験や高校受験の国語においても生徒が模試でしっかりと成績アップを果たしたりしています。

ちなみに,高校3年間は塾や予備校には一切通っていませんでした。もちろん,家庭教師に教わったり通信添削をしていたということもありません。

何とか第一志望に合格でき,無事大学生にはなれたのですが,卒業するのに普通よりも1年余分にかかってしまいました。
単位不足で,2回生のころにはほぼ留年確定状態だったので,あまりにこのままでは…と思い,言い訳用に気象予報士試験受験をしてみました。
(1週間ほどの講習会に参加しただけで,ほぼ独学だったためすんなりとはいかず,結局合計7回受験して大学5回生のときにやっとのことで合格しました…)

また,そのころに塾の講師という仕事にも出会いました。

 

と,脈絡のない話となりましたが,自分のうまくいかなかった時期のこともきちんと伝えておきたいなと思って書きました。
また,あまり早々にあきらめてしまわなくても何とかなるよ的なことが伝えられたらなとの思いもあります。

 

ご覧になった方にどのように伝わるかは未知数ですが,ひとつ確実に伝えられるのは,

中学校の通知表が5段階中で5が一つだけでも,高校1年生で数学が赤点でも,高校2年生で物理が赤点でも,最終的に理系の大学に現役合格できるような勉強方法をお教えできる!

ことかなと。

学習塾ジール 塾長

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