アフリカのタンザニアで暮らしながら、そこでの暮らしのシーンを絵にしていた若者がいました
大自然と共存したり、発展途上の国では厳しい事も多いと思います
人間の命とも動物の命とも目の前にする事も多いんでしょうね
命はエネルギーで、命があって生きている
厳しさを生きるってエネルギーも大きいんでしょうね
そういう事が身近になっていると自然と命を考える事も多くなるんでしょう
その若者はそこで暮らし始めて最初に身近な人の死と直面した時に
可哀想に思ったんでしょう、表情もそう訴えていたんでしょう
日本にいても、日本人も大抵はそうでしょう
そうじゃないと反対に非常識だと思われてしまいますよね
その若者がそうやって悲しい顔をして泣いていると
そのタンザニアの人に言われたそうです
なぜ涙を流して泣くのかと…
目の前のその人としっかり向き合っていたとしたら涙は流さないはずだと。
向き合っていなかったから涙を流して泣くんだと。
常に私も家族にはそう言っている
私に対しての感情があるのなら、言いたい事、嫌だと思う事、好きだなと思う事、生きているうちに残さないで言って欲しいと。
たとえ恨みつらみでも良いと。(大袈裟やけど!)
未熟な子育てしていたかもしれないし、何か言いたい事言ってと
生きているうちに聞きたいこと聞いてって。
私は全部思いっきりぶつけてきたから!
それで、突然死んだとしても泣かんといてと。
「あぁ~お母さんは幸せに死んでいった(天に帰って逝った)」と思ってって。
酔っぱらってお風呂で倒れてても悲しまんといてっていつも言ってた
その時は、裸のお母さんに服着せるの大変やわなんて言われてるけど
最近はそこまで酔わんのでどんなカタチで行くかわ未定ですが(笑)
最後がどんなカタチでもその瞬間に命が尽きただけ
エネルギーのスイッチが切れただけ
アフリカのようなサバンナの厳しい暮らしでないので
のんびりしているとスイッチも入っているのか消えているのかなんて思うかもしれないけど
自分なりの忙しく厳しい時代は過ぎ去っていったので
死ぬ事や死の世界に対しての概念は、泣く事の悲しみや恐怖などには繋がらない
そんな時に子供に言われたい事は、「この世に産んでくれて有難う、自分は幸せだよ」って (^.^)
そんな理想でもって伝える事も伝えながら残りの命を生きようかなと思う
タンザニアの人もだけど、同じ考えの人がいるだけでも幸せだ (^.^)