昔から今までの時代に心が一番翻弄されている心理ですね
義務と責任、権利と自由
人間に生まれてきたら周りと生きる、社会で生きる上でこれらが生きる土台にもなっていて
どう交わるか、どう対応するかで考える事が多い真理です
それが今までの時代はそのバランスがパワーバランスで成り立っていた
力が強いものが強い…みたいに
それが所有するやしないの人間関係バランスのように
小さな社会の家族や親子関係でもそれが言えていました
父の威厳、男は家族を養い女は家を守る、家長制度、長男が継ぐ、子は親に従う、老いては子に従う
相手がいるからこその関係からの関わりだと思うけど
自分を棚に上げてるからかもしれませんね
子供の為に、親の為に、とかが過ぎると、所有物となり、義務を感じ、責任を果たさないととなるんでしょう
親が子供をみる義務とか責任、そうなると子供が親を看るのも義務で責任となってしまう
そうなる前に意識をシェアするという事をしないでは成り立ちません
後に負担だけが残る事になります
「人の為に」というのも神話になりつつあり、「尊重」重視で
自分を尊重し、自分がしっかり生き、自分の為にしている事が、知らない間に相手の為になっているとなれば最高ですよね
たまたまうちの母親と話していた時の事(いつもの事だけど、私の事はあんまり認めません、というより、母自身の問題ですが)
末の娘が一人暮らしを始めたという話で、母は私に「理解ある親やな」と言葉で言ったけど、心裏腹です
そのすぐ後には「親というものは子供を結婚させて初めて親の義務を果たすもんや」と言います (^_^;)
私は義務を果たせていないと言いたいんでしょうか、自分はちゃんと義務を果たしたと言いたいのでしょうか
そう自分が思うのなら自分が思っていた事を果たせたと喜べば良いだけです
私も簡単に「理解ある親」になったわけではありません
そのための努力はしてきたんです
それを誰に認めてもらうかではなく自分で認めれば良いと思います
そうした時にその理解もいつか伝わるようになるんだと
そして昔は「結婚」が人生の区切りでそう言っていました
昔は16や18で結婚もしてましたし、早く世間に一人前だと認めてもらうのが当たり前でしたから親元を離れるのも早かったですが
今時は結婚時期も遅くなり、30過ぎても家にいますよね
それが悪いという訳でもなく、
そうなると親の義務ってなんだとか、親の育て方が悪かったのか、子供が悪いのかとかになりますよね
世間に認めてもらうって何でしょうか…とかになりますね (^.^)
自分を責める原因にも、引き籠りや鬱にもなり得る
世の中での色んな概念が変わる過渡期
そしてそんな概念に対してシステムを変えて行く過渡期でもある今
直ぐすぐにどうにかなるものでもない
そんな時にこの義務や責任、権利と自由をあまり世の中に左右されず、
自分の意志を忘れずに人生を創って行きたいもんですね (^.^)
自分の概念が狭く苦しみの中にいてるのか、
世の概念が変わるのを待つのか、
自分の概念を広げ、世の中と共に地球の未来に乗っかって行くのか
そんな時代もやって来ます (^.^)