緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

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病気も自己表現 2

2020-01-26 | 日々気づき
  昨日は、癌などの病気の告知を受けた身近な人の話でした

その病気も自己表現だと

そんな事を考えていた最中に

お客さんが亡くなられました、享年91歳でした

84歳ぐらいからの数年のお付き合いでしたが、娘さんやお孫さんが来られていたりしてたので、ご家族の環境をよく知っていて

そのおばあちゃまは最初は遠い美容室に行っておらていて

お母さんとお孫さんが来られていた

お孫さんのお世話を良くされていて、公園で遊ぶうちの子供たちの事もよく知っていたので心親しかった

お母さんは美容室に良く来られていて、私と同じ年で話も合い、好きな人のコンサートへ行く話でよく盛り上がっていました

ある時、仕事を始められて楽しそうにしていたのに突然倒れられた

クモ膜下出血だったようです

それ以来、おばあちゃまの予約でお孫さんは来られるけどお母さんの情報も無く

娘さんとだけのお付き合いになりましたが

そのお母さんの状態も芳しくなく、おばあちゃまがずっと家族のお世話をされていました

孫の成人までホントに精一杯の事をされていました

そのあたりからうちへの来店となりました

孫さんが大学へ行くと独り暮らしを始め、寂しくなったのかな

いろんな苦労話をされていました

お母さんは倒れて以来大変だった様で、他の大病とかもされてほぼ何もできない状態だったみたいです

それを一人で面倒見るって想像を超えていたと思います

お孫さんが出て行った後はご夫婦とおばあちゃまとなったわけですが

お婿さんの理解がないらしく、その3人の関係性にもご苦労が

聞いているとコミュニケーションの大切さとかコミュニケーションエラーが問題を大きくするとか、勘違いがそれぞれの心を苦しめるとか

そんな感じをいつも受けて、ある意味勉強させてもらってた感じですが

当事者の体験はその苦しめる心がもっと辛い体験にしてしまうと思うと胸が痛くなりそうでした

ましてやそのおばあちゃまの体は私なんかの何分の一かというぐらい

小柄でめちゃくちゃ細くて、立っているだけでも大変そうな方

それでよく孫さんのお世話と病気の娘さんのお世話、理解の無いお婿さんの世話って!って感じでした

聞いていると大変すぎて私ならとっくに逃げているだろうと思う事でも、それに向き合うエネルギーが凄く、苦労されも果敢に気丈にいつも前向きに過ごされていました

ご自身は大病はする事はないけど、体や腰が痛いとよく言っておられて、私が知る限りでは何回も骨折されていました

うちでも移動の時に手を差し伸べようとか腕を抱えようとすると力入れなくても折れそうな感じでいつも心配してました

「骨を折る」って言葉があって、苦労するとか苦心して人の世話をするとか、力を尽くすという意味があるけど、このおばあちゃまを見ていてこういう事だと腑に落ちた事があります

帰り際には靴を履く時に苦労していて手伝おうとしても拒否されている時に、「こんな時に素直に助けてもらえばいいのにね、駄目な私でしょ」なんて言われていたけど

家族の世話もそうだったんでしょう、頑張り過ぎちゃうんでしょうね

人に頼るとか、責任とかって軽くするの難しい、そんな時代の人ですよね

それでも、誰もが本当は自身の事は分かっているんだなとも知りました

それが出来るか出来ないかは人生の課題でもあるのかと

いつもうちに来られて話すと楽になる、聞いてくれてありがとうとおっしゃってくれていました

行く前に世話を掛けている側の娘さん(お母さん)からも「話聞いてもらっといで」と言われていたそうですが、その状況からも関係性の苦労の様子が見えて来そうでした

いつも愚痴にはなっていましたがそれで頑張れるのなら良いかなと思って聞いていました

でも、もうそろそろ遅いぐらいやろうけど、自分の為に楽しても良いんじゃないかという話もしていました

人生も頑なに頑張り過ぎても駄目だという事もきっと分かってはいるけど、やらずにおれないという人もいるんでしょう

亡くなる前の数回の来店では弱音も吐いていたり、どこかホームに入ろうかと言ってみたり、諦める意識になりつつあったみたいです

病気の人も自己表現で周りの者は見守るしかないですが亡くなった人を想う時もそうだと思います

悲しむとか、後悔の念を憐れむよりも

その人の人生そのものを「それで良かったんだ」とその人の表現を受け入れる努力とか、受け入れるように心寄せる方が良いのかと思うし

納得してあげる事なのかなと思います

自分の父親の時もそうでした

いなくなる事は寂しいけど、悲しくはない

実際は嫁に出て傍にいない人生を始めていたので、居ない中で「父親を感じる」という事になっていたので、亡くなったという事はすんなり受け止めれました

父親の人生を振り返り、父親を感じ、父親の意識を感じ、受け継ぎ

その人の表現はいつでもすぐに感じるる事は出来ます

そこにはきっといつでも何かを教えてくれていると思っています

このおばあちゃまからも教わった事いっぱいです

ご冥福をお祈りいたします✨


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