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愛用しているモレスキンの余白が残り少なくなってきたので新しいノートを買いました。今使っているのと同じプレーンタイプを選びました。外出中に書くことが多いので、書き終えたらすぐ新しいノートに移れるように鞄には今2冊入っています。

ノートには、ある人がどこかで話したこと、人から直接聞いた言葉、自分で感じたり考えたりしたことなどを書いています。いろんな内容を順次書き込んでいくので、書いたメモの前後にはまったく関連がありません。だから、書いた後しばらくしてから、あるメモのことを探そうとしてもすぐには見つからないことが多いですね。書いたことは覚えていても、それがどのあたりだったかはうろ覚えなので見つけるのは少々難儀です。それでもページをめくりながら探すことは楽しいので、書き方はこのスタイルで通しています。前後に書いたことを手がかりにしながら思い出すこともあります。

特に何を探すわけでもなく読み返しても、どこから何が飛び出してくるか分からないところは面白いし、それがマイ・ノートの醍醐味でもあります。

このモレスキンは192ページのノートですが、ある分量で1冊として完結していることに実は重要な意味があると思っています。分量の幅はあれ、ノートの最後まで書き終わったらいったんそこで区切りがつきます。もっとたくさん書き続けたくてもそのノートはそこで終わりという物理的制約があることはひとつのリズムを生みだしているように思うのです。1冊書き終えてまた新しいノートに書き始める。この繰り返しがひとつのリズムとなって記憶を刺激する。リズムと記憶が定着することの間には少なからぬ関係があるように思われ、興味深いものを感じています。

ある分量で区切られているということがリズムを形成する素になっていて、書いた内容に関する記憶をおぼろげながらも辿っていく手助けをしているのではないかと考えています。ノートがある分量で区切られていることには、持ち運びやすいといった利便性を超えた意味があるように思います。ノート1冊のページ数というのは、人がなんとなく記憶しておける範囲としてちょうど良い分量なのかもしれません。

1冊という単位がリズムを刻み記憶を刺激する導線になっているのです。書いたノートが増えるにつれて様々なリズムが生まれ、それが思考の旋律をより豊かにしていくというように。

片手に収まるポケットサイズが魅力的で気に入っています。大きいノートだと書き方が冗長になりそうな気がしていて、小さいほうが簡潔に書けるように思うのです。外に持ち運ぶのも楽です。それに、さっと取り出してさらっと書けるところはイケてる感じがしていいですね。長々とレポートを書くわけではないので、普段使うノートはこのサイズがちょうどいい大きさです。
短文を簡潔に書く。モレスキンにはそんな使い方がお似合いです。

ランダムに書いているし、みな同じタイプなので使った順番の見分けがつかなくなりそうです。でも、ただ何冊かに分かれてそこにある、というだけでいいのです。どこに書いたか明確ではないけれども、うっすらとは覚えている。そんな曖昧な記憶のうちにあればいいと思っています。どこかに必ず書いてある、ということさえ分かっていればそれでいい。何度も繰り返し読み返していくうちに、書いたことが次第にはっきりと記憶のなかに定着していく。そんなノートの使い方が私には合っています。

さて、新しいノートには何から書き始めようかな。