東京ステーションギャラリーで「きたれ、バウハウス」展を見ました。
デザイン関係の展覧会に行くと、「バウハウスの流れを汲んで」などのような解説がされているのを何度か目にすることがありました。ドイツにあったデザイン学校といった程度の理解しかなかったのですが今回の展覧会でその詳細を知ることができました。
デザインの学校ですが建築を最終目標としている点に特色があります。最初はなぜ建築を中心に置いたのかがいまひとつピンときませんでした。
創設者のが建築家であったということは関係ありそうですが、学校の理念として明確に示されているもので、これは興味深く感じました。
しかし展示内容を見ていくにつれて、建築には実に様々な芸術的側面が含まれていること、ものを形成していく過程において手工業で表現されるオリジナリティーが重要であることなどが次第に理解できました。
講師の間で教育方針の違いから意見が衝突し学校を離れていった先生もいたようです。もしかすると学校が理念とする枠組みに収まりきらず、そこから外れようとする考え方も一部にあったのかもしれません。決して完璧なカリキュラムが用意されていたわけではなかったのでしょう。
それでも建築を中心に置いたカリキュラムは斬新なものであり、デザインの基礎を幅広く身につけるうえでは画期的な拠点であったことは間違いないと思います。当時のドイツにおいて建築物がどのような位置づけにあるものだったのかということについては詳しい解説がなかったので、もう少し調べてみたいと思います。
色彩も教えられていましたが、一色単位の組み合わせのようなものしか見られませんでした。おそらく、建築物という生活の基盤として日常的に接する部分であり、生活用品やインテリアでは冒険的な色彩表現を出しにくいからではないかと思います。どちらかというと材質や形態といった物質的な側面のほうが重視されていたように思われます。
印刷・広告・写真なども手工芸から発展した科目として工房で教えらました。写真は光という素材の造形であると考えられ科目に加えられたのです。造形というものを広い範囲でとらえて科目の幅を拡げていったことからもバウハウスの柔軟な気風というものを感じ取ることができます。
特に印象に残っている展示物は、素材の触感を確かめる授業で用いられた見本帳です。布、石、コルク、木といった様々な素材に触れてその触感を知るというものです。その見本が同じ大きさで一ヵ所に集結して展示されていて、他の展示物には見られない鮮やかな色彩を放っていて圧巻でした。
展覧会を見て、いくつか興味を持った点を挙げてみます。
ひとつは、学習カリキュラムが建築への統合を目標としていたことです。
造形教育が最終的に建築に統合するように課題が設定されています。なぜ建築に統合しようとしたのか疑問に思いました。創設者が建築家であったことも関係していると思われます。
統合するという発想は斬新なもので、完全に生徒の自由に任せるだけでなく、ひとつの方向性を持つことで、より実践的なテーマに沿って学習できたのではないでしょうか。
建築物は様々な生活用品へと派生するもとになるものでもあり、身近な工芸品を通して学ぶことでより実践的にデザインにアプローチできるということもあったのかもしれません。実感を持てる身近生活用品を通じて工芸というものを発想しようと考えたからだと思います。
芸術的感性で造形を考えるうえで建築物がもっとも身近なものとして見られていて、実用的な生活用品の製作においては、無駄なく計算された間取りや構図に重点を置いたデザインが必然的に生み出されたのだと思います。
二つ目に幾何学的なデザインに特徴があることです。
デザインされた多くの作品には丸や直線を組み合わせた幾何学的な形態が多く見られます。コンパスや定規などを用いた作品が多く、細密で整然とした形態のものが多い印象を持ちました。
計算された無駄のない形はとてもシンプルですが、一方で装飾性が排された遊びやユーモアのないデザインはどこか無機質で堅苦しさがあるようにも感じられます。裏を返せば、それが多くのドイツ製品に見られる堅実さの底流をなしているものなのでしょう。
三つ目は工房という学習形態で授業が行なわれていたことです。
すべての科目は工房という場所で学ばれていました。実際に手を使った製作を通して技術を獲得していく方式が取られていました。手工芸という地道なクラフトを通して様々な手法を体得していったのです。
四つ目は手工芸と工業生産との相克です。時間をかけて一つの作品に没頭して製作する手工芸が追及されながら、一方で良い物を広く行き渡らせるための工業生産との連携が模索されていました。
20世紀初頭のドイツでは工業化が急速に進んでいた時代で、大量生産を希求する動きが日に日に高まっていたのです。自由な発想からオリジナルな作品が生まれることを奨励しながら同時に汎用性も志向していたという点は興味深いところです。大きな社会の変化にまみれながらデザインや工芸品に対する美意識が試行錯誤されていた様子が目に浮かんできます。
五つ目は触感によって無意識の思い込みを打破しようとしたことです。
触感による感じ方は人それぞれであって共有できるものではないという考えが行き渡っていた中で、本当にそうなのかと疑問を投げかけています。感じ方は人それぞれであっても誰もが快適に思えるスタンダードなものもあるだろうと模索したのです。これも手工芸から大量生産への標準化を目指そうとする動きに連動したものだと思われます。触感という微細で個人的なものを多くの人に共有され広く普及していくものにしようという志向性は、バウハウスの真骨頂を物語るものと言えそうです。
購入したメモブロックです。
ヨースト・シュミット「デッサウ市の案内パンフレット」の図柄です。建築を基盤とした手工芸の技術を学びながら工業化していく社会に適応した製品を追求する姿勢からは、美しい造形を目指す純粋な精神が脈打っていたことが理解できました。わずか14年という短期間で閉鎖することを余儀なくされましたが、デザインの分野で長く受け継がれることになるひとつの原点を刻んだことは間違いないでしょう。
バウハウスのコンセプトが現代に息づいている例は自動車デザインの中にも見ることができます。メルセデス・ベンツやBMWにしてもフォルクスワーゲンやアウディを見ても、直線と抑制の効いた曲線が融合した簡素なデザインは時が経っても飽きることがありません。その端正なスタイルはいつ見ても安定感があります。逆に、放埓で大胆であるところや華やかさという点ではイタリアやフランス車に軍配が上がると思いますが。
東京ステーションギャラリーの昇降階段です。古いレンガの壁が剥き出しになっていてとても味があります。階段と手すりはモダンな感じで、新旧のコラボレーションが面白いです。
工業化がある程度まで行き着いて、今また手工芸などのクラフト感が持つ心地良さを顧みる向きもあります。ひとつの素材の手触りをとことん慈しむような、生活用品との新たな関係が始まりそうな予感がします。レンガの壁に触れて階段を降りながら、そんなことを考えました。