日本の若者は、もっと自由であるべきだ | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

もともとは全員が名古屋生まれ。

しかし、いまは世界に散らばってしまった6人の兄弟が、数年ぶりに名古屋に集い、その伴侶、子供たちも一人残らず、合計23人が、兄弟の生まれ故郷にやってきた。

 

それは、6人兄弟の母が傘寿を迎え、そのお祝いのためである。

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久々の集まりは、おいしいものをいただき、多くのおしゃべりで時はあっという間に過ぎ去っていた。

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兄弟たちや、その子たちは、まことに広い世界に生きている。

その子たちは、上は24歳にまで成長し、いまはカリフォルニアでメディアの仕事に挑戦している。

2番目の年長の男の子は、大学を卒業し、いよいよ仕事探しを始めている(日本のように横並びで就職はしない)。

 

あんなに小さく可愛かったふたりは、かくもたくましく成長した。

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次の二人の姪は、この秋からイギリスとアメリカの大学進学が決まり、その次の日本在住の姪は、海外の大学進学を目指して奮闘中だ。

同じ年齢のアメリカの甥は、アメフトと野球に打ち込みながら、すでに大学を模索している。

 

彼らはみな思考が深い。

世界的規模でものを考え、視野も広く、またその出自からのアイデンティティに対する考えは複雑であり、自分の在り方を深く考えている。

当然ながら学ぶべき知識(事実)を学び、その上に思考を構築している。

日本でいう「学びあい」といった稚拙なものではなく、学問へのアプローチを明確に感じさせる。

 

彼らと接していると、改めて思考の大切さを学ぶことができる。

彼らは日本にいる間、私に様々な疑問をぶつける。

 

「日本人とタトゥーとのありかた」

「もののけ姫の背景」

「日本の入試制度」

「日本人と中国人」

「差別」

 

彼からの生き方、視野の広さ、価値観、そういったものを基盤にものを考えると、日本の教育の画一性の虚しさ、視野の狭さ、思考へのアプローチへの乏しさに、愕然とした思いがする。

 

どうしたら、日本での教育のなかで、こうした視野の広い思考の機会を子供たちが持つことができるか、強固な知識を基盤とした思考の機会を子供たちが持つことができるか、そして何より画一性と同調思考から抜け出した発想を認め合うことができるか、そんなことへの取り組みへの想いが強くなる。

 

知識を覚えることは重要で、思考をすることも重要で、自由な発想をとはその基盤の上に生まれる。

 

この素晴らしき甥や姪たちは、

 

「ロサンゼルスに来てくれ」

「ニューヨークに来てくれ」

「チューリッヒに来てくれ」

 

と言ってくれる。

 

むろん、これは私の努力の結果ではないが、このよううな日常の一言が、私には大いなる刺激であり、ット時代らしく、様々なSNSで彼らとその時や価値観を共有しつつ、だからこそ自分しかできない手法で日本に若者たちをその素晴らしき世界へ誘う、きっとそれが私の後半生の使命のような気がする。

 

その世界は、きっと私にも、若者にも、理屈抜きでぜったいに「楽しい」、確信をもってそう思う。

 

「挑戦は大事だ」

 

なんて言いながら、必死に現状を守る、

 

「失敗を恐れるな」

 

なんて言いながら、安全的思考を指導する、

 

「自分で考えろ」

 

なんていいつつ、画一性と同調を植え付ける、

 

「多様性は大事だ」

 

なんていいつつ、固定の価値観を正しいとする。

 

ひとりでも多くの日本の若者が、そうではない、もっと自由に思考できる世界に羽ばたけるよう、そんな応援をしていきたい。

 

 

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