2022年、高等学校の地歴公民の科目が大きく変わり、新たに「歴史総合」が創設される。
私は、個人的にはこの変化を心待ちにしている。
今現在、小学生やその保護者対象の「知育型歴史教育」や、「大人のためのやり直しの日本史」をNHk文化センター名古屋開講している。
私はこれを歴育」と呼んでいる。
さらに小論文指導を通じて、「型」「知識」「暗記」「対処療法」ではない、教育の実践を日々行っている。
そうした活動の中で感じることは、子どもだけでなく、大人、むろん教員も、「インプット」は得意だが「アウトプット」は極めて苦手だということである。
これは、本人が自覚しているかしていないかの問題ではない。
アメリカやヨーロッパの生徒・学生は、日本の生徒に比べて、決して「知識」は豊富ではないが、その会話は「疑問」で構成され、会話の中で思考を深め本質に迫ることを得意としている。
私のダブルの甥や姪たちはまさにそうだ。
だからこそ、日本人の豊富な「知識」を生かすためには、この「疑問」と、その先にある「本質への探究」をしなければならない。
日本の中学や高校では、いまだに年代暗記を生徒に強いるという、もはや謎でしかない指導を行っている学校が多数ある。
こうした学校では、将来の歴史総合を「思考の探究」として生かすこともできなければ、現行の偏差値重視の歴史の受験対応すら全くできない。
「知識」を大切にしながら、それをどうアウトプットさせ、さらにそこから「思考」につなげ、全員が異なった道を通り、さらに「本質」に迫れる、さらには大学入試もそういう形態が多くなる。
なんと楽しいことか!
もちろん、偏差値の向上で大学への進学の道もあり、つまりは選択肢が増える。
「思考」への道は、偏差値以上に深く遠い道であり、それは容易ではなく、さらには指導者にコミュケーション能力が絶対に必要である。
まともに校内で生徒たちに挨拶もしない、そんな威張ることを目的とした指導者では、もう成り立たなくなる時代が確実に来ている。
単なる指導要領の改訂と考えてはならない。
その意識を、お子さんが小学生の親御さんはしっかりと持ち、2022年にむけて日々「思考」を「歴育」でお子さんと一緒に深めてほしい。