志望理由書の作成が続いている。
小論文も志望理由書も面接も、その本質は同じであることはいうまでもないが、なかなかそこは深めることは難しい。
特に志望理由書は、どうにも「型」になりやすく、文章の最初には、「志望校」もしくは「将来の仕事」を書くという短絡的なものが多く、残念極まる。
そうした本来は「手段」にすぎないことを「目的」のように錯覚し、その「手段」を描写する志望理由書がほとんどだが、もっともっと「目的」を深く思考し、そこをしっかりと書いて欲しい。
そういった、いわゆる痛い「きっかけ志望理由書」が多いが、それは、残念なほど類似品で、しかも誰でも書ける。
日本人特有なのかもしれないが、どうしてこうも「型」「マニュアル」「テンプレート」が好きなのだろうか。
志望理由書は、添削では絶対に良くならないし、ましてや立ち話でいいものが書けるような指導もできない。
なにより、
こう書いてないとダメ
最後の行まで書く
最初に志望校を書け
こういったパターンの追及は、受験生は絶対にやめるべきだ。
どうして、「自分のやりたいこと」の本質を追求しないのだろうか。
そうして、表面を描写するのだろうか・・・。
志望理由書とは、そうしたものではなく、例えば、
「私は、将来は看護師になりたい。そのきっかけは・・・」
ではなく、
「私は、人のために役に立つ人生を送りたい。その志を看護師を通じて実現したい。そのためには・・・・が必要であり、大学ではそのために・・・を学びたい」
といった発想を持ってほしい。
むろん、上記の文章に、また空欄補充しそうで、そういう発想こそが、まさに痛い。
志望理由書は、「志」を述べるものである。
あなたは「志」をパターンで書くのか?
そんな大量生産型になってはならない。