○うつを克服したときに○

うつ病になって10年間を書いていきます。
現在は克服し、結婚して幸せな生活を送っています。

自分と他人との距離

2020-09-10 19:52:47 | 雑談
こんにちは!

1年半ぶりの記事を書きます。

記事を書いていない間も、毎日たくさんの方がご訪問くださり、
うつの方、ご家族の励みになればと思っていました。

うれしいことに仕事が忙しく、
なかなか時間が取れませんでした。

書きたいことがたまってきたので
またちょこちょこ更新出来たらと思います。


今日は「自分と他人の距離」です。



人って一人では生きていけませんよね。
学校、仕事、家族、親戚、ママ友、兄弟、いろんな人と関わって
生きています。

私は絶対に譲れないポリシーがあります。
それは
「自分に不利益な人、自分を不快にさせる人とは付き合わない」
ことです。

これってすごく難しい。

自分の好きな人とだけ関わって生きていくことは難しいからです。

誰でも、他人に好かれたいと思うものです。
私もそうでした。
うつになる前は、人によく見られたい
と常に思っていたから疲れました。


いつもニコニコ、自分の意見を押し殺して、
人に合わせて、居心地はいいでしょう。


昔人に言われてハッとした言葉があるんです。
「いい人は、何かちょっと悪いことをすると”実は悪い人”になる。
悪い人は、ちょっといいことをすると”実はいい人”になる。」と。

結局人は表面しか見ていません。
いい人でいても、何かあれば実は悪い人なんだと言われてしまうことだってある。
だからと言って悪い人になれと言っているのではありませんが…。






私は徐々に「自分になる」訓練をしてきました。
訓練って…そんな大層なことはしていません。笑

人と適度な距離を置く、好きな人には好きと伝える、
嫌な人は付き合わない。
仲がいい人でも、環境が変わると合わなくなることだってあります。
居心地の悪い人間関係は、心を疲弊させます。
うつの入り口です。

嫌われたっていいんです。
だって私の代わりに生きてくれる人はいませんから。



今、私の周りには居心地のいい人しか残っていません。
決して友達は多くないけれど、
年賀状しかやり取りをしない人なんて必要ありません。
同窓会だって絶対に行きたくない。
他人の成功の話を聞いても、自分が成功していないのなら
不快な気分にさせるだけです。

それが私の価値観でありポリシーです。

いろんな考えがありますので、
同じ意見の人ばかりではないでしょう。



自分はどうなのか?
を考えることから始めると、楽になる方法があると思います。



違う意見の方は
あーこういう考えの人もいるんだなと
流してくださると嬉しいです。




ここまでお読みいただきありがとうございました。



























価値観の違い

2018-01-19 19:19:11 | 日記
ご無沙汰しています。

娘が1歳になり、だんだん落ち着いた生活になってきました。

ただ、家でずっと子育てって想像してた通りしんどい…
今日は散歩中、宅配サービスの勧誘で話を聞いてしまいました。
だって毎日話し相手いないんだもの。
かなしい。。


旦那が最近は残業で遅く、娘と2人の日々。
でも、幸せを噛み締めていますよー。
落ちるところまで落ちた人の特権です!
普通の日以上にこれ以上ない幸せを感じることほど
幸せなことはありません。






さて、タイトルの価値観とは。

私の価値観で書いていきます。




私が韓国に留学していたころ、
私は26歳でした。

たくさんの交換留学生が日本から来ていて、
大学生なので大体20歳前後。

私こう見えても昭和生まれなので、
平成の子はとっても若く見えます。




海外留学やワーホリで得られるものとして、
他の日本人との関わりは大きいと思います。


海外に行くとどこでもたくさんの日本人がいますが
みんな地域も年齢もバラバラ、
そんな中で学ぶことはとても多いです。






私はそこで「価値観」を学びました。

自分の感覚が人と同じ感覚ではないのは
誰でもよくわかっていることでしょう。

私の母は自分の価値観を押し付けます。

例えば、東京のタワーマンションの最上階に住んでいる私の友達。
おそらく数億のお部屋です。


私が、
「タワーマンションの最上階だって!すごいね!」
と言うと、


「そんなところ住みたい?
地震では揺れるし、忘れ物したら面倒くさいし。
それだったら田舎の高い一軒家がいい!」

と言うやり取りが、ずっと続きます。笑





単なる価値観の違いなんですが、
母はその考えを受け入れられません。







ただ、この価値観の違いを受け入れるだけで、
精神的にすごく楽になります。

人は自分の考えと違うんだ、と言うだけでなく、
自分の考えを押し付けようと思わなくなります。




精神的にすごく楽なのです。






人生は、何をするかが10%、どう受け止めるかが90%。
と言う名言が(誰が言ったっけ?)ありますが、
私はこれに尽きると思います。





自分は人と同じでなくてもいい。





まず、自分を受け入れてあげる。
自分の価値観を認識し、人の考えも受け入れる。



私はこれで、うつから一気に抜け出すことができました。

価値観で悩まなくなったからです。







































感情の起伏や薬、妊娠のはなし

2017-06-30 14:56:00 | 日記
ご無沙汰しています!


昨年の8月から更新が止まってましたね、約1年です。。
すみません。


実は今年1月に長女を出産し、前後はバタバタと
あわただしい日々を送っていました。


このままブログも終わってしまっていいかなぁと
思った時もあるのですが
有難いことに毎日たくさんの方がこのブログを見て下さっていること
まだまだ書きたいこともあったり、
毎日思うこともあるので
のんびりペースで続けていこうと思います。






妊娠中は落ち込みも激しかったりで
タイトル通り、感情の起伏が激しかったです。



ホルモンバランスの影響ですね。




私はすでに数年前に断薬しているので
妊娠に関して心配なことはなかったんですが
服薬中は妊娠を心配した時期もありました。

断薬したからって、体から薬がすぐに抜けることはないですからね。






私の友達で、精神科に通っている子がいるんですが
妊娠してすぐに自己判断で断薬してしまったそうです。

それからはまた精神的に不安定な日々が続いて…と。
お薬関係は、できればちゃんと主治医に聞きながら調整したいですね。

服薬中に妊娠し、中絶したという人にも出会ったことがあります。










うつの完治っていつでしょうか。
断薬したら完治でしょうか?




私は断薬してからも、気分が激しく落ち込んだりする時は
「あぁ、やっぱりまだ治ってないんだ。」とダブルで落ち込む時があります。

でも健康な人だって、当然ながら落ち込む時はある。
これはうつの症状じゃないと自分に言い聞かせてきました。

たまにどうしても感情の行き場がなくなり、
リストカットに走ってしまったりするけれど
その度にうつのことは深く考えないようにしています。


これはうつの症状だと強く言い聞かせるのは
自分の感情にとってよくないことだと、
この数年で学んでいるからです。

そういう時は夕方まで寝たり、やけ食いしたり、
自分なりの発散を見つけ次の日にはできる限り忘れています。

難しいことですが。。






うつじゃなくたって、
嬉しくて飛び跳ねたい時もあれば
ご飯が食べたくないくらい落ち込む時もある。




感情の起伏とうまく付き合っていけるように
日々努力しています。




最初の1か月間

2016-08-05 10:32:11 | オーストラリア
渡航して最初の1か月間、
この時ほど生きることに必死になったことは
先にも後にもないかもしれません。




言葉が通じない生活、
だけど苦痛ではありませんでした。

家に帰ればホストファミリーがいるし、
そんなに会話はしないけど(できないけど)
誰かがいる家に帰るだけで安心感がありました。


また、ホームステイ先には香港から来た17歳の女の子がいて
よく話しかけてくれました。





英語の勉強にこんなに必死になったのも初めてでした。
平日は学校へ行き、帰って英語の勉強をし、
土日には友達とシティをぶらぶら観光。

3週目からは、シェアハウス探しで一生懸命でした。







ある日、ホストファミリーが
パブに連れて行ってくれました。
(パブと言っても日本のように怪しい含みはなく
お酒を飲んで音楽を聴いたり、スポーツを観戦するところです。
郊外のパブにはお昼に子どもも来ていました)

ホストマザーがバンドに合わせて歌うようで
一緒に連れて行ってくれました。




ガーデンにイスとテーブルが置いてあって
バンドと歌う人たち。
それを見ながらサラダやピザを食べて
ビールを飲んでのんびり過ごします。



この時私は本当に数年ぶり、
うつになって以降は初めての「幸せ」を感じました。

「生きててよかった」とは今後何度も思うのですが
モグラのように土の中にいた気分を何年も味わっていた私が
やっと地上に顔を出したような気分でした。





ぼーっとしていた私を見てホストマザーは
つまらなかった?と聞いてきましたが
「まさか!幸せすぎて死にそうだった」とは
もちろんこの時まだ英語で伝えられず…笑





ホストファミリーには今も感謝しています。













渡航1日目

2016-08-01 14:21:45 | オーストラリア
もう8月ですね、毎日暑いです。。





オーストラリア渡航1日目、
ここからは、うつの話は少なくなると思いますが
日常起きたことと織り交ぜながら
書いていきたいと思います。





オーストラリアの空港に到着すると
出口にエージェントの人が待っていてくれました。

車でシティを案内してもらい、
4週間のホームステイ先へ送ってもらいます。




この時の私の英語力はほぼ0。
これに関しては不思議と不安はありませんでした。

語学学校へは26週間(6か月間)通うことになっていました。




ホームステイ先へ案内され、
エージェントの方が私が全く英語を話せないことを
ホストファミリーに伝えてくれました。







ホストファミリーはイギリス人夫婦、
たくさんの日本人がホームステイをしますが
私のホストファミリーほどいい家族は絶対いないと
今でも思っているほど恵まれました。

家の中を案内され、キッチンにある食べ物や飲み物は
すべて好きに食べてもいいこと、
夕ご飯は6時と教えてもらいました。


荷物の整理をしていると、
2人は出かけてくるね!と出かけてしまい
家は私一人と、猫数匹…
急に心細くなり、ここで一気にホームシックに。


追い打ちをかけたのが、
ネットが使えないと言われたことでした。

事前に、ネット(wifi)が使えると聞いていたのに
私の前にステイしていた日本人が映画をダウンロード
しまくったらしく、ネットは使えないと言われ
母との連絡手段がなくなってしまったことで
不安が襲ってきました。

母に泣きながら電話をかけ(国際通話ができる
電話でしたが、この時の電話代は6000円だったと思います)
帰りたいと訴えました。





次の日、学校1日目でしたが行けず、
ホストマザーが声をかけてくれました。


「今までたくさんの日本人がステイしてきたけど
みんなホームシックになった。
あなたはノーマルなのよ。
でも家から出ないともっと悲しくなるから、
家から出ないとダメ。」

そう言われ、私は午後から準備をしてエージェントの
オフィスに向かいました。
ずっとすっぴんだったので、化粧をした姿を見て
「いい感じだね」と声をかけてくれたのを
よく覚えています。


一旦出ると、もうなんともなく、
次の日からは学校へ行きました。

ホームシックは女性に多く、私が知っている中での
最長は3か月間、毎日家族に泣きながら電話をかけていたと
聞いたことがありました。(ベトナム人ですが)


異国の地に1人、言葉も通じないのに
ホームシックにならない訳がありません。






留学やワーホリは、精神力を鍛える
行動力を付けるのには最適だと私は思います。

助けてくれる人はたくさんいます。
でも、みんな自分のことに必死なので
最後に決断するのは自分です。









こうしてこの時から私も例外なく、
どんどん強くなっていきました。