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◇クラシック音楽CDレビュー◇若き日の名ピアニスト アシュケナージ(26歳)のラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番/第3番

2019-11-12 09:37:08 | 協奏曲(ピアノ)

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番/第3番

ピアノ:ウラディーミル・アシュケナージ

指揮:キリル・コンドラシン/管弦楽:モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団<第2番>
指揮:アナトール・フィストラーリ/管弦楽:ロンドン交響楽団<第3番>

録音:1963年3月、ロンドン<第2番>/1963年9月、10月、ロンドン<第3番>

CD:ユニバーサルミュージック UCCS-9155

 ピアノのウラディーミル・アシュケナージ(1937年生まれ)は、旧ソヴィエト連邦出身。9歳の時にモスクワ音楽院附属中央音楽学校に入学。1955年「ショパン国際ピアノコンクール」に出場し第2位。同年モスクワ音楽院に入学。翌1956年「エリザベート王妃国際音楽コンクール」で優勝。これを機にヨーロッパ各国や北米を演奏旅行して成功を収める。モスクワ音楽院を卒業後、1962年「チャイコフスキー国際コンクール」で優勝。1963年旧ソヴィエト連邦を出国し、ロンドンへ移住。 1970年頃からは指揮活動にも取り組み始める。1987年ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督就任。これまで、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者、ベルリン・ドイツ交響楽団首席指揮者、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者、EUユース管弦楽団音楽監督、シドニー交響楽団首席指揮者を歴任。初来日は1965年。2000年に初めてNHK交響楽団の定期公演の指揮を行い、2004年から2007年までは音楽監督を務め、退任後は桂冠指揮者の地位にある。現在でも、しばしば日本を訪れ、指揮活動のほかピアノ演奏も行っている。現在、妻の故国であるアイスランドの国籍を持ち、スイスに在住。   

 指揮のキリル・コンドラシン(1914年―1981年)は、旧ソ連邦出身。1943年ボリショイ劇場の常任指揮者に就任。1960年モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。1967年モスクワ・フィルとともに初来日。1978年アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任客演指揮者に就任し、オランダへ移住。1980年、再来日してNHK交響楽団を指揮。ショスタコーヴィチの交響曲第4番、交響曲第13番「バビ・ヤール」は、コンドラシンの指揮により初演された。モスクワ・フィルを指揮して、世界で初めてショスタコーヴィチの交響曲全集を録音した。一方、指揮のアナトール・フィストゥラーリ(1907年―1995年)は、ウクライナ、キエフ出身。7歳にしてチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」を指揮したという神童。ロシア・オペラ・グループを組織し、シャリアピン・オペラ協会、モンテカルロ・ロシア・バレエ団の指揮者を歴任、1943年から1年間、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。20世紀における優れたバレエ指揮者の一人として知られた。1948年イギリス国籍取得。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番 Op.18は、1900年秋から1901年4月にかけて作曲されたラフマニノフの出世作。当時、ラフマニノフは、交響曲第1番の評論家からの酷評に悩まされ、その結果、神経衰弱に襲われ、曲を捜創作することが不可能に陥ってしまった。しかし、催眠療法を受けることによって快方に向かい、ピアノ協奏曲第2番完成させた。全曲の初演は1901年11月9日にラフマニノフ自身のピアノで行われた。あらゆる時代を通じて常に最も人気のあるピアノ協奏曲のひとつであると同時に、ピアノの難曲としても知られる。ロマン派音楽を代表する曲の一つに数えられ、広く演奏されてラフマニノフの代表作の一つとなった。曲は全3楽章からなる。この録音でのアシュケナージの演奏は、安易に流されず、一音一音を確かめるように、ゆっくりと着実に曲を進める。この曲はポピュラーなこともあり、どのピアニストも華やかにムードたっぷりに弾き込む。しかし、ここでのアシュケナージの演奏は、このような姿勢とは相反して、ロマン派の色濃い演奏というより、何か古典派を思い起こさせるような、重々しい雰囲気すら醸し出す。しかし、聴き進うちにアシュケナージのこの曲へ対する熱い思いがリスナーに徐々に押し寄せる。聴きなれたこの曲の新たな側面が浮かび上がってくるのだ。その堂々とした構成美を前面に押し出した演奏内容は、指揮のキリル・コンドラシンからの影響が少なからずあると思う。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、もう耳にタコができるほど聴いたというリスナーには、特にお勧めの録音。

 一方、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番 Op.30は、1909年の夏に作曲が開始され、完成は同年9月。初演は1909年11月28日に作曲者自身のピアノでカーネギーホールにて行われた。演奏には高い技術がいるため、当初は演奏するピアニストは多くはなかったという。この曲が広く演奏されるようになったのは、1958年に開催された第1回「チャイコフスキー国際コンクール」で、ピアノ部門で第1位となったヴァン・クライバーンが本選でこの曲を演奏したことがきっかけだった。この曲も、ピアノ協奏曲第2番と同様に3つの楽章からなる。この曲でのアシュケナージは、第2番とはがらりと変わり、ロマンの香り濃い演奏に終始する。難曲と言われるこの曲を何の苦も無く弾きこなす技量に圧倒されるが、少しも技巧的な演奏には聴こえないところに真の価値が存在する。そこにあるのは、豊かな精神性であり、ロマン派の音楽だけが持つ、絵にも言われぬ甘美な世界なのだ。アシュケナージの繊細な神経が細部にまで行き届き、この曲の持つ豊饒さを余すところなく弾き尽くす。アナトール・フィストラーリ指揮ロンドン交響楽団の響きも、アシュケナージのピアノ演奏に負けずに幻想的で、優美さを際立たせたものに仕上がっている。ピアノ独奏とオーケストラ伴奏とが一体化したことによる効果を、これほど印象付けられた録音は滅多に聴けるものではない。このピアノ協奏曲第2番/第3番の録音は、ともに1960年代で、アシュケナージが新進ピアニストとして活躍していた26歳の時だ。録音も鮮明であり、今でも十分に鑑賞に耐える。現在は指揮者として活躍するアシュケナージの若き日の名ピアニストとしての姿が、ここに鮮明に捉えられている。(蔵 志津久)


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