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クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CDレビュー◇

2020-07-06 12:20:12 | 協奏曲(ピアノ)



<クラシック音楽CDレビュー>



~バックハウスのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番~第5番(全曲)~



ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番/第2番
        ピアノ協奏曲第3番/第4番
        ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

ピアノ:ヴィルヘルム・バックハウス

指揮:ハンス・シュミット=イッセルシュテット

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:ユニバーサルミュージック UCCD‐9166/9165/9164
 
 2020年はベートーヴェン生誕250年に当たる年だ。この記念すべき年に改めて聴いておきたい曲として挙げられるベートーヴェンのシリーズ作品としては、交響曲全曲(全9曲)、ピアノソナタ全曲(全32曲)、弦楽四重奏曲全曲(全16曲)、ヴァイオリンソナタ全曲(全10曲)、チェロソナタ全曲(全5曲)、ピアノ三重奏曲全曲(全7曲)などが思い浮かぶ。今回はこれらの中から、ピアノ協奏曲全曲(全5曲)を取り上げたい。何故かというと、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲が連続して聴ける演奏会にあまりお目にかかれないからである。そして、数ある録音の中からバックハウスで聴きたいと思う。これら3枚のCDの録音時期は、1958年4月~1959年6月(録音場所はいずれもウィーン、ゾフィエンザール)と、今から60年以上前の録音であり、本来ならば”歴史的名盤”として扱われるべきなのかもしれないが、音そのものが鮮明に捉えられており、現在の録音と比べてもいささかの遜色がなく、その上、バックハウスの演奏自体も、古めかしさは微塵も感じられず、現代感覚に溢れており、現役盤と言ってもいいほどの優れた演奏内容となっているからである。
 
 ピアノのヴィルヘルム・バックハウス(1884年―1969年)は、ドイツ、ライプツィヒ出身。ドイツ国籍であったが、後スイスに帰化した。7歳でライプツィヒ音楽院に入学。 1900年、16歳の時にデビュー。1905年、パリで開かれた「ルビンシュタイン音楽コンクール」のピアノ部門で優勝したが、このときの第2位はバルトークであったという。その演奏に付けられたニックネームは”鍵盤の獅子王”だった。 1930年、スイス、ルガーノに移住。1946年、スイスに帰化。第二次世界大戦後の 1954年、カーネギー・ホールでコンサートを開き、アメリカへ進出を果たす。同年、日本を訪れた。1966年、オーストリア共和国「芸術名誉十字勲章」を受ける。また、ベーゼンドルファー社からは、20世紀最大のピアニストとしての意味を持つ指環を贈られた。1969年6月28日、オーストリアでのコンサートで、ベートーヴェンのピアノソナタ第18番の第3楽章を弾いている途中心臓発作を起こし、7日後に死去。享年85歳。
 
 ベートヴェンは、ハイドンに作曲を学ぶため、1792年にボンからウィーンに居を移したが、この時期に第1番~第3番の3曲のピアノ協奏曲が作曲された。第1番と名付けれれた協奏曲は、第2番の後に作曲されたが、出版が先であったためピアノ協奏曲第1番となった。1795年3月に初稿が完成し、初演は3月29日にウィーンのブルク劇場において行われた。その後改訂され、交響曲第1番が初演された1800年4月2日の演奏会においてその改訂版が披露され、さらに手が加えられ、1801年に出版された。ベートヴェン:ピアノ協奏曲第1番でのバックハウスの演奏は、ベートーヴェンの初期の作品であるからといっても少しの手抜きもなく、しかも実に楽しげに演奏している様子が目の前に浮かんでくる。バックハウスの繊細で美しいピアノの音を聴いていると、心の底から清々しくなってくるのだ。
 
 ベートヴェン:ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品19は、1795年3月に完成した。第2番とされているが、実際は第1番よりも先に作曲されている。 楽曲の規模や楽器の編成の点では第1番よりも小さく、またハイドンやモーツァルトの影響が強く残っているが、随所にベートーヴェンの個性と独創性の萌芽が見える。初演は1795年の3月29日にウィーンのブルク劇場でベートーヴェンのピアノ独奏によって行われた。この初演は、作曲者にとってのウィーンでのデビューとなった。この曲でのバックハウスの演奏の聴きどころは第2楽章アダージョであろう。ゆったりとした優美な旋律が、聴くものの心を鷲掴みしてしまいそうな演奏内容ではある。後年のベートーヴェン像が徐々に形づかれる過程の様子をバックハウスが明快に演奏する。そして快活な第3楽章へとリスナーを自然に誘う。すべてが自然に流れ何とも心地よい。
 
 ベートヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲中唯一の短調である。 1803年4月5日にアン・デア・ウィーン劇場において行われた公演で初演にこぎ着けたが、この時、独奏ピアノ・パートは殆ど空白のままであったという。独奏ピアノ・パートが完成してから最初に演奏が行われたのは、初演から1年余り経った1804年7月であった。そんな苦労のかいがあって、この曲で初めてベートーヴェンらしさが前面に出たピアノ協奏曲が完成したのである。この曲でのバックハウスの演奏は、ニックネームの”鍵盤の獅子王”通りの堂々として力強い演奏に終始する。しかし、ただ力でねじ伏せる演奏でなく、どことなくロマン派風の香りを漂わせながら弾き進む。そこには、それまで聴いたことのない革命的とも言えるピアノ協奏曲が忽然と浮かび上がってくるのだ。
 
 ピアノ協奏曲第4番は、1805年に作曲に着手し、翌1806年に完成。 ベートーヴェンは同ピアノ協奏曲でいきなり独奏ピアノによる弱く柔らかな音で始めるという手法を採り入れた。これは聴衆の意表を突く画期的なもの。さらにベートーヴェンは伴奏役に徹しがちなオーケストラとピアノという独奏楽器を“対話”させるかのように曲を作るという手法も採り入れた。完成の翌年の1807年3月にウィーンで初演された。自身のピアノ独奏により初演された最後のピアノ協奏曲となった。この曲でのバックハウスの演奏は、一音一音を噛みしめるように、やや内省的にゆっくりと弾き進める。”鍵盤の獅子王”ならぬ”鍵盤の白鳥”とでも言ったらいいように一音一音が輝くほど美しく、典雅な演奏に終始する。聴き進むうちに、この協奏曲が本来的に持つスケールの大きな構成力が、リスナーの前に悠然と姿を現し始める演奏内容なのだ。
 
 ピアノ協奏曲第5番は、「皇帝」の通称で知られている。ナポレオン率いるフランス軍によってウィーンが占領される前後に手がけられ、1809年4月頃までにスケッチを完了、同年夏頃までに総譜スケッチを書き上げた。初演は不評に終わったが、後年、リストが好んで演奏してから人気が出始め、現在では、ピアノ協奏曲の名曲の一つに数えられている。 「皇帝」という通称は、ベートーヴェンとほぼ同世代の作曲家兼ピアニストであり楽譜出版などの事業も手がけていたヨハン・バプティスト・クラーマーが、この曲での印象から付与したものと言われていおり、ベートーヴェン自身が付けたものではない。この曲でのバックハウスの演奏は、実に堂々としていて一部の隙も無い男性的な力強い演奏を披露する。バックハウスの演奏は、単に外形的に形が整っている美とはいささか異なる。何か一音一音を、自分自身に言い聴かせるように弾き進めるのだ。このためテンポは比較的ゆっくりとしたものとなる。このような演奏を聴いていると、知らず知らずのうちにベートーヴェンの精神の奥へ奥へと導かれていく。

 この5曲のピアノ協奏曲を伴奏するハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮ウィーン・フィルが、これまた素晴らしい演奏を聴かせる。バックハウスの持つ音楽性と完全に同化する同時に、あたかも交響曲を聴くような充実感を、リスナーに味合わせてくれるのだ。指揮のハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900年―1973年)は、ドイツ出身。 第二次世界大戦後、北ドイツにおいてBBC交響楽団を模範にした管弦楽団の設立を委託され、1945年北西ドイツ放送交響楽団(現:NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)を結成した。以後、 同楽団は飛躍的な進歩を遂げる。ハンス・シュミット=イッセルシュテットは、就任後、26年間にわたり同楽団の首席指揮者の地位にあり、退任後は終身名誉指揮者に就いた。(蔵 志津久)
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