「喧嘩になったりはしなかったんだ。その二人の間で」
僕は慎重にそう訊いてみた。
「そうよ。だって、草介おじさんからしたら憎っくき恋仇じゃない、うちのお父さんは」
母さんは笑顔を保ったまま僕と温佳の顔を順に見ていった。僕たちに継承されたそれぞれの父親の印象を確かめるようにだ。僕の顔は歪んでいないけど目は父さん譲りで細く、温佳の目は大きくクルクルとよくその表情を変えた。感情を押し殺したような目と、心の動きを相手に直接訴えかけるような目。母さんは僕たちの顔からかつての恋人たちの面影をひとつずつ拾いあげているようだった。
「喧嘩なんかしたってしょうがないじゃない」
母さんは静かにそう言った。
「みんな、大人なのよ」
「母さん以外はね」
温佳がすかさず言った。あからさまな溜息をつくと、母さんは姿勢を正した。
「あなたたちは私がああいうことをしても平気でいたって思ってるんでしょ? でも、そうじゃないわ。私はひどく落ちこんでたの。草介にも清春にも悪いことしたって思ってたし、あわせる顔がないって思ってたの。仕事だって半年も干されてたしね。もう歌川美紗子は終わりだって言われてたの。
そういうときに脩一さんは私を気遣ってくれた。あんな優しい人に会えたの、私、初めてだったわ。私のことを全部許してくれるような人なんて初めてだったのよ。だから、脩一さんと結婚したんじゃない。
草介だって、あの日、とても自然に接してくれたわ。そりゃ、わだかまりはあったでしょうけど、私が幸せなのを怒ったり妬んだりするような人じゃないもの。それは私がよく知ってるの。あなたたちなんて草介のことも脩一さんのことも全然わかってないのよ。
ああ! なんでこの子たちは私がすべて悪いように言うのかしら?
きっと真昼やシゲがあることないこと吹き込んだのね! 年老いてから子供にこんなふうに責められるなんて!」
母さんはまるで舞台に立ってでもいるかのように長台詞を言い終えると、僕の方を見た。そして、唇の端を一瞬だけ上げた。きっと、ほんとうに舞台に立っている気分だったのだろう。
僕は肩をすくめさせた。温佳は両手を一度開いてみせ、それをゆっくりと膝の上においた。母さんは満足したとでもいうような顔をしていた。この幕はこれで終わりなのだ。
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《僕が書いた中で最も真面目っぽい小説
『Pavane pour une infante defunte』です。
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