秋の大会に一年生から選抜されたのが僕の他にひとりだけいた。松波淳平という華奢な男で、走り高跳びの選手だった。選抜選手のミーティングがあったとき、彼は僕の隣に座った。
「やあ、スワロー」と彼は手を差しだした。
「一年でここにいるのは俺たちだけだな」
僕は差しだされた手を見るだけにしておいた。
「悪いんだけど、その呼び方はやめてくれないか。あまり気に入ってないんだ」
彼はニヤついた顔をして、手をさらに前へ突き出した。
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「佐藤でいいよ」
「佐藤ってんじゃつまらないな。それに、うちの一年に何人の佐藤がいると思ってるんだ?」
僕は陸上部に何人の佐藤がいるか知らなかった。人の名前にも自分の名前にもあまり興味を持ってなかったのだ。まして母さんのようにほんとうの名前以外の呼ばれ方を求めてもなかった。
「下の名前は清春だったよな?」
僕は「そうだ」というふうにうなずいてみせた。彼が僕のフルネームを知ってるとは思わなかった。僕の方は彼の名前を知らなかったのだ。
「じゃ、清春って呼べばいいかな?」
僕は彼が差しだしつづけていた手を軽く握った。
「そうだな。それでいいよ」
「俺のことは淳平って呼んでくれ。実は俺も自分の仇名を気に入ってないんだ」
彼には『社長』という仇名がこれも特別に先輩からつけられていた。学園周辺では名の知れた大きな建設会社のひとり息子だったからだ。
淳平はその仇名を気に入ってなかったけど、実際に『社長』になった。二十八歳の時に父親が突然亡くなってしまった(くも膜下出血だった)ので跡を継いだのだ。それだけでなく、淳平は三十四歳のときに区議会議員にもなった。
大人になってからの彼は自制心のある、仕事ができそうに見える(そして実際にも仕事のできる)、色の浅黒い男になった。
ただ、この頃の淳平はいつもニヤけ顔をした、色の浅黒い、華奢な少年でしかなかった。まあ、人懐っこい顔立ちなのと、およそ人の悪口を言わないのとで陸上部一年のまとめ役みたいになっていたから社長としての片鱗はあったのかもしれない。すくなくとも僕につけられた仇名よりかは彼のは多少まともなものだったわけだ。
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《佐藤清春渾身の超大作『FishBowl』です。
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