淳平は僕の異質感を拭い取ってくれる数少ない友人のひとりとなった。
また、なにかと浮き上がりがちな僕を他の部員や同級生に繋ぎとめる役もしてくれた。彼を中心とした同心円上に僕は身の置き場を得ることになったのだ。陸上部の連中は僕を『スワロー』と呼び、淳平を『社長』と呼びつづけた。でも、僕たちは互いを「清春」、「淳平」と呼びあった。そういうのは悪くなかった。
彼はFishBowl内部に立ち入った初めの部外者にもなった。
日曜日の部活が終わった後、僕たちはベランダの椅子に深くもたれかかり、リムスキー・コルサコフやダニー・ハサウェイなんかを聴きながら午後の陽射しを浴びて昼寝をした。
考えながらでないと話せない僕と言葉数は多いもののほとんど考えなしにしゃべる淳平とでは圧倒的に彼の出す言葉の方が多かったけど、それでも不思議に会話は成り立っていた。
たぶん、淳平にしたところで僕の両親や真昼ちゃんにたいする好奇心は持っていたのだろう。しかし、彼はそれをあからさまに出すことをしなかった。
父さんは僕がはじめて連れてきた友人にも持ち前の人見知りを発揮させ、母さんは毎回同じ質問を繰り返し(「お父様はなにをされてるの? まあ、そう。じゃ、お母様は?」)浮き世離れした女優を演じてるかのようだった。真昼ちゃんはなにかというと僕たちにちょっかいを出してきた。
「清春! 淳平ちゃん! なにか飲みたくなぁい? お姉さんがとびきり美味しいお茶を淹れてあげるからちょっとこっちに来なさいよ!」という声がスピーカー越しによく響くようになった。
「清春、お前、いろいろ大変だな」
淳平は片目をあけて、そう言った。
「そう言ってくれるのは淳平だけだよ」
僕たちは短期間に、急速に、仲良くなった。僕の《家族》の有り様が結びつきを強くしてくれたわけだ。ただ、淳平は僕とだけでなくFishBowlのほぼすべての住人と仲良くなった。吉澤マサヒロがその中でも一番で、彼は兄のように様々なこと(まあ、女の子とのつきあい方とかペッティングの仕方なんかがその主たるものだったけれど)を教えてくれた。
僕たちは吉澤マサヒロのアトリエに入り浸ることが多かった。ちなみに、僕が写真をはじめたのもこの頃のことだ。僕たちは父さんが難しそうな顔をしてメモをとってるところや、サングラスにマスクをしてもはや誰なのか判別できない母さん、すっぴん顔の真昼ちゃんなどを撮りまくった。
真昼ちゃんは僕と淳平がかまってくれないと父さんにこぼしていたようだ。
「男ってのは男に懐くものなのさ。ってことは、すくなくともあいつらにとって真昼は女だってことじゃないか。真昼の色気にあたっちまうから遠ざかってるだけだよ。いかにも青少年のしそうなことだろ?」
父さんはそう言って真昼ちゃんを慰めた。
「それはそうかもしれないけど、せっかく若い男の子が来てるってのにこれじゃ生きてる甲斐がないわ」
真昼ちゃんは理事会に出なくなってから少しフラストレーション気味だった。常になにかしてないと落ちつかない性格なのだ。淳平にちょっかいを出すのはその代替行為のひとつだったに違いない。
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《僕が書いた中で最も真面目っぽい小説
『Pavane pour une infante defunte』です。
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