「ね、これに出てくる『温佳』って子、もしかして、あたしのこと?」

 

「なにを今さら言ってんだよ。これまでだってずっと読んでたろ?」

 

「でも、この『温佳』って子、最悪に性格の悪い感じに書かれてるじゃない」

 

「事実を書いてるつもりだけど」

 

 僕は前を向いたままそう言った。

 

「実際のとこ、君はこんなふうだったろ?」

 

 温佳は足をおろしてサンダルを履くと、大きく伸びをした。僕はその全体を眺めた。デニムのショートパンツに虹色のスマイリーマークがプリントしてある鮮やかな黄色いTシャツといった格好だ。「またそんな服着て。いい年して恥ずかしくないの?」という母さんの声が家に着く前から聞こえてくるようだった。

 

 ただ、温佳はいつもこんな格好をしている。大きな舞台にあがるときはもうちょっとまともな場合もあるけど、ライブハウスで演奏するときは普段着のまま出ていくこともあった。

 

「だって、みんなはあたしたちの音楽を聴きに来てるのであって服を見に来てるわけじゃないでしょ? それに、かわいい子の生足が見られた方がいいに決まってるじゃない。どう?」などと温佳は言う。

 

 たけよしろうに言わせると、この年の離れた姉がいつまでも若いというのは良いことであり、彼の仲間たちからの評判もいいとのことだった。淳平は今でも温佳の熱心なファンで、たまに顔をあわせると温佳の格好に子供の頃に感じた身体のうずきをおぼえるらしい(酔ったときにそう洩らしたことがあった)。

 

 母さんだけはそういったほんぽうさが鼻につくらしく、いつもなにがしかの注文をつけていた。しかし、この母子に関しては互いに批判しあうのが唯一のコミュニケーションみたいになっていたから、誰もその言葉のおうしゅうを気にしなかった。あまりにもひどくなった場合には僕か熊井女史が止めに入ればいいだけのことだ。

 

 温佳はきだしの脚を組んで、大きく胸を反らした。

 

「だけど、もうちょっとは可愛らしく書けないの? これ読んだら、あたしのファンが減るかもしれないわ。そんなことになったら営業妨害で訴えてやるからね」

 

 フィアットパンダは左折した。子供たちはまだ喧嘩中のようだった。運転してる母親は首を弱々しく振っていた。

 

「しつこいようだけど、事実を書いてるつもりなんだ。この頃の君はこんな感じだった。――なあ、そう言うなら訊くけど、どうしてあんなだったんだ?」

 

 僕はちらっとだけ横を向いた。温佳はよく動く瞳で僕を見つめていた。

 

「だって、このときはほんとにあんたのこと大嫌いだったんだもの」

 

 温佳はそう言った。それは、そっと気づかれないように小さな箱を置くような言い方だった。僕は温佳の顔をしっかりと見て、「なるほど」と言った。

 

「ん、もしかして、ちょっと怒った?」

 

 今では僕の不機嫌なのを温佳だけは敏感に気づくようになっていた。長く息を吐いてから、温佳は前を向いた。

 

「あんたは事実を書いてるんでしょ? つまり、これは自分の都合のいいようにあったことをねじ曲げてるようなものとは違うってわけよね? だったら、あたしも嘘をつくわけにはいかないわ。この頃のあたしはあんたのことが大嫌いだったの。これでいいんでしょ?」

 

「ああ、」と僕は言った。

 

「もちろん、それでいいよ」

 

「そう。――あたし、寝るわ。あんたが書いたの読むと非常に疲れるのよ。女優さんの家に着いたら起こして」

 

 温佳は目を閉じ、シートに身体を深く落ちこませた。そして、ほどなく眠ってしまった。僕は温佳の寝顔を見た。確かに僕は腹をたてていた。二十年以上前のこととはいえ、「大嫌い」と言われたらさすがに腹もたつ。――いや、まあ、それはわかっていたことだった。しかし、理解できてるからといって感情が動かないわけではないのだ。

 

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 画像があるので重たいとは思いますが、

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