「どうしたんだよ」

 

「どうしたって?」

 

 温佳はスカートから手を離した。そして、僕を見た。

 

「自分でもわからない。眠れないのよ。ううん、眠ろうともしてない。いろんなことが頭の中をぐるぐるしてて」

 

「一緒だな」と僕は言った。

 

「あんたも?」

 

 温佳はすこしだけ笑顔になった。それまで見たことのない表情だった。十歳の女の子が笑うときにみせる、ごく普通の笑顔だ。でも、すぐに表情を乏しくさせた。

 

「真昼ちゃんたち、いつ戻ってくんのかな?」

 

 素足をヒーターの前へ伸ばし、温佳はそう言った。僕は黙っていた。傷ついてるのはわかっていた。僕だってすくなからずそうだったのだ。かといって、どのように話せばいいかわからなかった。

 

 言葉は幾つか浮かんでいた。しかし、温佳がそういったもの――慰めとかを僕に求めるとは思えなかった。立ちあがって、僕は外を眺めた。そうすることで真昼ちゃんがまだ帰って来ないというのを自分自身と温佳にわからせるためだ。

 

 温佳はまた違う問いをあたえてきた。

 

「あたし、はやく大人になりたい。あんたは?」

 

 僕は外を眺めながら「さて、どうだろう」というふうに肩をすくめた。風が強いのは見てるだけでわかった。暗く広がる景色の前にはそれを僕たちから遮断するガラスがあった。それは光って、温佳の影を薄く映していた。

 

「あたし、ここから出ていきたい。できれば今日にでも。もうこんなとこにいるのは嫌。前からそうだったけど、もっともっと嫌になった」

 

「気にしてるのか? あの男が言ったこと」

 

 温佳はしばらく黙っていた。僕は振り向いた。自分の発した言葉に間違いがあったのかと思ったのだ。いつだって僕はなにか言うごとに発言がその場にそぐうものだったかわからなくなるのだ。温佳は考えこんでるようだった。背後から風の音がひときわ強く聞こえてきた。窓がすこしきしんだ。

 

「気にするっていうか、」

 

 温佳は見つめてきた。目の辺りは引きつったようになっていた。

 

「ま、そうね。気にするなって言われてもそんなの無理だわ。気にしないなんてできっこないでしょ、あんなひどいこと」

 

 僕は椅子にかけなおし、正面から温佳を見た。

 

「でも、それだけじゃない。あんただっていろいろ言われてるでしょ? 母親はあんなだし、父親だってとんでもなく有名人なんだもん。あたしより言われてるんじゃない? 普段から、ひどいこと」

 

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《恋に不器用な髙橋慎二(42歳)の物語です。

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