さて、
そういうわけで
ハンスフォードへの旅へ出た
エリザベスでしたが、
その連れは
シャーロットの父・ルーカス卿と
妹・マリアです。

ウィリアム・ルーカス卿と、その娘の、快活ではあるが頭のからっぽなことは父親そっくりのマリアとは、ろくな話もできないので、聴いていても、まるで馬車のガタガタ走る音を聞いてるようで、おもしろくもなんともなかった。エリザベスは馬鹿馬鹿しい話が好きだったけれど、ウィリアム卿の馬鹿話は聞きあきていた。彼は拝謁と授爵の驚異についても、別に新しい話はできなかった。おまけに礼儀挨拶のしかたまで、つかい古したものであった

まあ、
こういうのは
エリザベスっぽいのですが
シャーロットの評価が
がらっと変わったのを思うと
どこまで信用していいか
わからなくなりますね。

いえ、
もしかしたら
それすらオースティンの
策略かもしれませんがね。

つまり、
あらゆることに批判的で、
毒舌家でもある
エリザベスの感想は
変更可能なものであるというのを
示してるのかもしれないんです。

固定化されたものではなく、
物語の進行や
彼女の置かれた環境によって
変化するかも――というのを
におわせているんですね。

まあ、
これはふとそう思っただけですが。


ところで、
ロングボーンを出るとき、
エリザベスはウィカムとも
話していたようです。

エリザベスに好意を
寄せてると思いきや、
一万ポンドを相続する令嬢に
尻尾を振った
あのウィカムですね。

そこは
このように書いてあります。

ウィカム氏とは仲良く別れたが、殊に彼の方は好意を示した。彼は今は別の女のあとを追っていたけれど、それでも、エリザベスが彼の注意をひくに足り、また実際に注意をひいた最初の女であり、彼の話に耳をかたむけ、彼に同情した最初の女であり、自分が感心した最初の女であることを、さすがに忘れることはできなかった

この文章はいいですね。
ちょっとまだるっこしいけど
僕は好きですよ。

それに
なかなか書ける文章じゃ
ないとも思います。

そして、
この文章は
このようにまとめられています。

――そうして心配してくれたり関心をもってくれたりする彼の別れぎわの態度を見ると、彼女は、いつまでも彼に心から好意をもてるような気がした。この人は、結婚しようが独身でいようが、自分にとっては、いつでも感じのいい愉快な人間の標本になる人だ、と考えながら、彼女は彼と別れた

しかし、
ここにおける
エリザベスの感想も
同様に
変更可能なものなんですよね。

ということは、
オースティンは
嫌悪と好意における
極端な感情を
同じ章に置いて、
そのいずれもが
一時的なものに過ぎないと
示したのかもしれません。

いえ、
これもふとそう思っただけですがね。

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