四月になり、僕は最上級生になった。

 

 温佳も中等部の三年になったのだけど、高等部への編入に関しては気にする必要はまったくなかった(なにしろ僕でさえ特進クラスに入れたのだ)。ピアノの練習も休まなかったし、女子生徒が入れ替わり立ち替わりで訪問するのもつづいていた。僕は何度か市川さんに話を聴きにいった。ただ、彼はあんなことを口走ったのを後悔してるような顔つきで妙によそよそしくなった。淳平もこれといった情報を集められなかったようだ。

 

「いろいろ訊いてはみたんだけどさ、なんだかよくわからねえんだわ。ごく一部の人間は知ってそうなんだけど、口がえらく堅くってよ。あまり踏み込めねえ感じなんだ」

 

 トラックをゆっくりまわりながら淳平はそう言ってきた。

 

「ま、だけど、なにかありそうな気がすんな。あんだけガードが堅いってのはそういうことだろ? なあ、なにがあるんだ? お前の方でわかったことはないのかよ」

 

 僕はしばらく黙っていた。どのように話せばいいかも、どこまで話していいかもわからなかったのだ。

 

「誰にも言わないから教えてくれよ。俺だって温佳ちゃんが心配なんだ」

 

 僕たちは並んで走っていた。ゆっくり走ってるつもりだったのに気がつくと何人も抜かしていた。自然とそうなってしまったのだ。

 

「わからないんだよ。ただな、もしかしたら上杉と関係があるのかもしれない」

 

「上杉って、上杉先生のことか?」

 

 僕は走りながらうなずいた。淳平の瞳は様々な方角へ向けられた。

 

「上杉の噂はないのか?」

 

「まあ、ありはするよ。っていうか、お前は聞いたことないのか?」

 

「ないね。まったくない」

 

 淳平は声をひそめ、こう言ってきた。

 

「バレー部に吉村っているだろ? ほら、今の部長だよ。あいつとつきあってるらしいって話を聞いたことがある。その前には先代の部長――あのいやに胸が大きかったのがいただろ? それとつきあってたってのも聞いたな。なんか、バレー部のキャプテンは上杉先生に気に入られないとなれないって話だ。上手い下手より、そっちの方が重要ってな」

 

「ふうん」

 

「でも、こんなのはよくある話だぜ。他の部でも似たようなのはある。俺だって近藤さんとラブホ行ってるって噂を――いや、こんなの噂にもならないけど、ま、そういうのをたてられたことがある。黒い者同士でホモだってな」

 

 近藤さんというのは陸上部の顧問で、寸の詰まった五十代の毛深い親父さんだった。たしかに淳平と同じように浅黒く、並んで立ってると(顧問と部長なのでよく並んで立つはめになったのだ)親子のようにもみえた。

 

「ま、誰が部長になっても、批判っていうか文句みたいのは出てくるんだよ。女子バレー部なんてのはもちろん女子ばっかりなわけだから、そういうのが特にあるんじゃねえかな。あの子より私の方が上手なのにぃ、みたいなさ。だけど、それと温佳ちゃんがやってることに関係があるってのか?」

 

 僕たちは走り終え、柔軟体操をはじめた。淳平はしきりに顔をのぞきこんできた。心配してるのはよくわかった。もし、なにかひどいことが降りかかってきたら、全力でそれを跳ね返そうとするのだろう。それは頼もしくもあり、同時に危険にも思えた。今はまだ大騒ぎする段階ではないのだ。

 

「な、どうなんだよ」

 

 淳平は小声でそう言ってきた。

 

「わからない。なんだかわからないことばかりだ。ただ、なにかわかったら言うよ。絶対に教える。だから、すこしだけ待ってくれ」

 

「そうか」

 

 力強くうなずく淳平を見て、僕はなけなしの笑顔をつくっておいた。ただ、激しく落ち着かない気分になっていた。

 

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