さて、
ほんのすこしだけ
間があきましたが
明日から第17章をはじめますね。
その前に
第16章の振り返りを
すこしだけしておこうと思います。
第16章のタイトルは
『意味あるものとして残るもの』
でした。
このタイトル、
もし初めから読まれてる方が
おられたら、
「あっ、ふうん」などと
思ったかもしれませんね。
これまではプロローグを除き
すべて
『●●●/△△△』のように
してましたから。
しかし、
こういうタイトルにしたのには
もちろん
意味があるんですね。
これは、
この小説のメインテーマが
ここで終わることを
示してるわけです。
王子様とお姫様の物語は終わり、
つまり、
語られるべきことの
あらかたは終了したというのを
宣言しているんですね。
ということで、
ここから先は
エピローグになります。
ま、
とはいっても
そこそこボリュームのある
エピローグではありますがね。
ところで、
いったん終了というのを
示す章だけあって(いえ、まあ、
これは書き手の意図としてですが)、
全体の《まとめ》みたいな
文章がそこここにありましたね。
たとえば――
『正当に思える理由があったとしても、暴力というのはあくまでも暴力に過ぎないのだ。これは、この後にFishBowlにもたらされた暴力と死によっても明らかだ。動機などというものは、どんなに詳細なものであっても個人的な思いに過ぎない。ワンサイドの事実というのと同じだ。それが説明可能なもの――説得力を持つものであっても、狂った人間の狂った理屈であっても、暴力について提示される動機は、それを語る人間の幻想なのだ。僕がしたこととその動機との関係も同様だ。僕は何度だって同じようにするだろう。しかし、それが暴力をともなった場合、その動機は意義を無くしてしまう。暴力というのは、つまりはそういうものなのだ』
というもの。
これは(当然ですが)、
僕の考えそのものです。
また、
これなんかは
本当に
全体の《まとめ》っぽいです。
『その関係をどう捉えようとも、人と関わることは影響をあたえあい、受けあうものなのだ。時の経過自体が成長を意味しなくなる年齢になっても、僕たちは関わりあうことで変化していく。その変化にどんな名前をつけるかはそれぞれの人間しだいだけど、つけた名前が美しいものであっても/なくても、関わるのをやめてはいけないのだ。かつて父さんがノートに書いていた『なにか新しいものをつくらないと駄目になってしまう』というのは、僕にとってそういうことだ。そして、それは自らの生をつまらないものにしないためにも欠かせない要件なのだ。痛みを感じることになっても、悔恨を抱きつづけることになっても、それをやめてはいけない』
で、
章の最後には
僕の考える
『FishBowl』らしさに
溢れた文章がありました。
『現実というのがいかなるものであっても、僕たちがつかんだものを離さないなら、それに相対していかなければならないのだ。それは闘いであるともいえる。しかし、FishBowlの大人たちがしてきたことを考えると、闘いというのはなにも歯を食いしばってやるだけのものではないのだ。深刻な問題であっても(もしくは深刻な問題であればあるだけ)、僕たちは変に構えることなく、過剰に怖れることもなく、適当に喜びも感じながら、その喜劇的要素に目を向け、闘いつづけなければならない。過剰な怖れや自己憐憫は闘いを悲痛にするし、そういった闘いはたいてい負け戦になるのだ。僕と温佳が抱えたテーマは一面ひどく深刻なものに違いないけれど、丁寧に、しっかりと、明るい声と目線でもって闘っていけば、すくなくとも闘いつづけることはできる。そして、こういった闘いに終わりが訪れるのは、闘う者が死ぬときだけであるけれど、僕たちが死ぬときまで意味あるものとして残るものというのは、闘いつづけることによってしか生みだされないものでもあるのだ』
ほんと
手前味噌の見本みたいですが、
僕はここが大好きなんですね。
他者に理解されなくても
これを書けただけで
いつ死んでもいいと思うほどにです。
ま、
いまも別のを書いてるから
そう簡単には死にませんけど。
さて、
明日から第17章です。
この章はまさに
エピローグですね。
だから、
書き方もエピローグ風にしてあります。
ただ、
最後に仕掛けというか
全体を覆しかねない部分も
埋めこんでいるんですね。
これは
第15章で主人公が呟いた
『じゃあ、いったい誰がこの物語を書いてるんだ?』
というのを考えると
理解しやすいかも
しれないですね。
ま、
お時間のある方は
ぜひお読み下さいね。
ちなみにタイトルは、
『いつも遅れてやってくるもの/太陽の十字架』
です。
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