昨日は久しぶりに実家に帰ったのだけど


母親の態度に生まれて初めて
「コイツ早く死ねばいい」と本気で思ったエビです




以前、10年前くらいかなー…恩師にね

「親に『早く死ね』と思えるならその方が良いよ」

そうアドバイスされた事がありました



そのときは「そんなこと思ってはいけない」って思ってたけど


昨日は私の中で何かがブチっと切れましたキョロキョロ


気がつけば
「早く死ねばいい」と本気で思ってました
コワイですね〜滝汗




何があったかと具体的に説明すると
ややこしくなるので、要点だけ書きますね





こちら側の都合や尊厳を踏み倒した
超一方的な言動や態度にわたしも不快な態度を表す


その時夫も一緒にいたのですが
夫の前でも御構い無しにヒステリックに私を罵る

それを「たまに雷を落とさないとワガママ放題になるから」と夫に説明

…夫は父親にこっそりと「あんな風に人のいる前でひどい事を言ったらみゆきも可哀想だよ」とボヤく


彼を巻き込んでしまった事に申し訳ない気持ちが溢れる




ここからは私の一方的な思いですが…


親に愛されていたことは分かってます






ただ、

幼少期、
あんなにこの家の人間形成の犠牲になったのに


いくつになっても
「やってもらって当たり前」の態度




稼げないうちはそれを心配され

稼げるようになったらそれを妬まれ…




そうこう思っているうちに
涙がドバドバ出てきて止まらず



何でこんなに泣いてるのか?
心にたずねてみたんです。


「決別の涙」


そう教えてくれました。





「この母親、早くシネばいい」


そう思えたことで、
私の中で何かが終わり、何かが始まったんです


そして胸の中に安堵が広がりました




ああ、私、親と決別したかったんだ




ようやくそう思う事ができた気がします



育ててくれてありがたい



でも、人としてキライな所は多分にある



それを無理やり好きにならなくていい




私は母親の嫉妬深いところ、人の尊厳を踏みにじるところがゆるせないし、許せなくていい。

キライでいい。憎んでいい。




そう思えた今、
心の生傷はまだジクジク痛むけれど


どこかとても清々しくて
大切な存在を取り戻したように思えるのです



それはもしかしたら

「あの人の子供」である事を
卒業したということかもしれない。




そう思っています。




奇遇にも今週からファンタスティックジャーニーのコースが始まります。



子供の夢を大人の感性で叶える





このテーマを扱うために
もしかしたら必要な破壊と再生のプロセスだったのかもしれません