ドラクエ好きに悪い人はいない

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前回までのあらすじ

企画職に異動して半年、課題設定力を鍛えるべく

『イシューからはじめよ』を読み、FF10をケーススタディとすることにした。

前編はこちらから

 

 

※以下、イタリック体は全てこちらの本からの引用になります。

※ベージ数は単行本版に準拠します。

 

▼一番大事な図:FF10的なバリュー図

(p25図2バリューのマトリクス・p27図4犬の道より、岡田作成)

 

「イシュー度」とは

「自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ」

「解の質」とは

「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」

(『序章 この本の考え方ー脱「犬の道」』P26より)

 

シーモアから学べること:

健全なイシューには健全な魂が必要なので、お母さんはアニマになっちゃダメ

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では、後編はブラスカとティーダについて見てみたいと思います。

 

 

 

 継続的イシュー:召喚士のブラスカ+ガードのジェクト・アーロン 

イシュー度  『シン』を倒す

解の質     自分の命と引き換えに究極召喚で『シン』を倒して、

         数年だけ出現を止める

 

一見良さそうなことをしているのに

実はバリューの高い仕事ができていないという点において、

非常に学びのある3名です。

仕事で陥りがちなのは、ほとんどがこのパターンではないでしょうか。

 

実際にスピラでは1,000年間、このパターンが繰り返されています。

 

ブラスカはユウナの父で、ジェクトはティーダの父。

今までのやり方を踏襲して

エボンの教えと、究極召喚を授けるユウナレスカの導きに忠実に。

ジェクトが究極召喚獣となって『シン』を倒し、ブラスカは命を落とし、

たった数年の「ナギ節」の後、ジェクトが次の『シン』となってしまいます。

 

 

この敗因は、イシューの立て方にあるんじゃないでしょうか。

 

 

イシューの「『シン』を倒す」って、明確なようで曖昧です。

このケースのイシューをもう少し具体的に言語化すると、

「『シン』の出現を数年だけ止める」になると思います。

 

 

本来、これでいいはずないんですよね。

イシュー特定の5つのアプローチ」の1つに、

③ 最終形からたどるという項目があります。

手っ取り早くイシューの広がりを整理するときには、

「最後に何がほしいのか」ということから考えることも有用だ。

たとえば、自分の事業の3〜5年間の中期計画を考えようとするのであれば、

「目指す姿とそこにたどり着く道のあり方」を設計することが

「最後にほしいもの」となる。

(第1章 イシュードリブン「解く」前に「見極める」P92より)

 

 

真っさらな状態で、最終的に欲しいものから辿っていけば

人を殺して暴れまわっている『シン』に対して、

「数年止めるだけにしよう」というイシューを立てる人なんていない。

自分の命を賭けてまで、この問い(イシュー)に解を出そうなんて思わないはずです。

 

ブラスカも「私は悲しみを消しに行くのだ。

 『シン』を倒し、スピラをおおう悲しみを消しにね。」と言っています。

 

一歩引いて考えれば明らかにおかしいのに

なんでこんなイシューを立ててしまっているかというと、

なまじ究極召喚というフォーマットを知っていたために、

Howから入ってしまっているからなんですよね。

 

 

もう一度、冒頭文を引用します。

 

「ロジックツリー」「MECE」「フレームワーク」……、

どれも正しく使えばとても強い力をもつツールだが、

それらを知っているだけでは答えを導くことはできない。

 

目的を知らずにツールだけを使うのは危険だ。

いわんや、「アウトプットとして何を生み出すことに意味があるのか」、

ツールからその答えを導き出すことはできない。

(「はじめに」P1〜3から一部を抜粋)

 

●「問題を解く」より「問題を見極める」

●「解の質を上げる」より「イシューの質を上げる」

●「知れば知るほど知恵が湧く」より「知り過ぎるとバカになる」

文の前半が一般的な考え方、後半がこの本で紹介する

「イシューからはじめる」考え方だ。

(「序章」P21より)

 

 

「『シン』を倒すには究極召喚しかない」というHowと、

「『シン』は数年後に必ず復活する」という知識があったために、

完全にそこありきの思考になってしまった。

スピラの人たちは、小さい頃からエボンの教えを受けてきているので

その手段がおかしいなんて思いもしないです。

自分の命と引き換えに数年だけ『シン』を止める、

このウルトラコスパの悪い解が当たり前だと思い込んでいる。

 

「生まれたばかりの猫をタテ縞しかない空間で育てると、

 その猫はヨコの線が見えなくなる」

(「序章」p41より)

 

 

このイシューの立て方でザナルカンドに到着すると、

究極召喚の伝道師ユウナレスカから教えられるのは

「究極召喚は、ガードを1人犠牲にして召喚獣に変える技」というところまでです。

(前編の「スピラについて」の④の部分)

 

その後の「その究極召喚獣が、次の『シン』になってしまう」までは、教えてもらえない。

(「スピラについて」⑤の部分)

 

さすがにそこまで知れば「それはちょっと・・・」ってなる可能性は高く、

実は聞けばユウナレスカも結構正直に答えてくれる人なのですが、

そもそも召喚士一行が誰も聞かないので、ユウナレスカも言わない。

イシューがあくまで「今まで通りのやり方で『シン』を倒す」というものでしかないので、

それ以上深く聞くという発想が生まれない。

 

 

象徴的なのが、ジェクトが究極召喚獣になる直前のやりとりです。

 

------------------------------------

アーロン「『シン』は何度でもよみがえる!

     短いナギ節の後で復活してしまうんだ!

     この流れを変えないと、ふたりとも、無駄死にだぞ!!」

ブラスカ「だが 今度こそ復活しないかもしれない、賭けてみるさ」

ジェクト「ま、アーロンの言うことももっともだ。

 よし、オレがなんとかしてやる」

アーロン「なにか策があるというのか?」

ジェクト「無限の可能性にでも期待すっか!ハハハハハハハハハ」

------------------------------------

 

 

なんということでしょう。

問題を一切深掘りせず、究極召喚という解の確定に入っている段階で

突然、無限の可能性に期待してしまいました。

無限の可能性に期待するなら、もっと前のイシューの段階でするべきです。

笑っている場合ではないです。

 

何らかのラッキーで万が一にでも上手くいくことがあったとしても、

そんな確率、どれ位あると言うのでしょうか。

最早、課題解決ですらありません。確率の低過ぎる博打です。

 

 

観てる分には感動的なシーンだし、

本人たちもザナルカンドまでの旅路がキツ上に命まで賭けてるので

努力している様に錯覚してしまう。

でも実際は、全く努力(=工夫)していないんです。

「今までがそうだったから」そうしているだけで、全くの思考停止なんです。

 

『シン』という顕在化している課題に対して

その場しのぎの、対処療法でしかない。根本解決になっていない。

 

 

ここで着目すべきなのがアルベド族で、

彼らは「たった数年のために召喚士だけが犠牲になることない」と言って、

召喚士を誘拐して、保護するという行動に出ます。

 

要は「召喚士たちのイシューは、解く必要のないイシューだ」と言っているんです。

だけど言っても召喚士の決意が固すぎて聞かないので、

強硬手段で止めようとした。

 

『シン』を倒すという観点とは違いますが、

周りに流されず、勇気を持って

「そのイシューは犬の道だ」と判断して止めようとした点において

実は課題解決力はブラスカ達召喚士よりも高いです。

 

しかし世間がどちらを評価するかと言ったら、

間違いなく召喚士の方なんですよね。

周りから見れば「アルベド、何やっちゃってんの?」ってなる。

アルベド族は他の事情も絡んでこれを理由にホームを破壊されますが、

世間もこれを容認している空気があります。

 

召喚士たちの方が、『シン』を倒すという方向に向かって

自分の命を懸けてまで努力して旅をしているので、美しく見える。

数年『シン』を止めてくれるというリターンもある。

 

 

これは結構、恐ろしいことです。

 

 

ブラスカ達のやり方では、命がいくつあっても真実にたどり着けません。

業務非効率の典型パターンです。

完全に「知り過ぎるとバカになる」のワナです。

 

しかしこれ、当事者も周りも結構気づけない。

普段の私たちも、FF10ほど命まで賭けてないにしたって

業務時間という意味では日々命を削ってる。

本当に、命を落としてしまう人だっている。

 

 

ブラスカは妻を『シン』に殺されていて、

心の底から人々の平和を願っていたし、

過酷な旅でも、自分の命と引き換えでも、必ず『シン』を倒すのだという

強い強い意志もあった。

 

だけど、そういった美談や根性に誤魔化されず

自分自身も周りも「それは本当に解くべきイシューなのか?」は、

冷静に見極める必要があると思います。

 

 

「そのイシュー意味ないから究極召喚辞めましょうよ!」と

最後まで主張し続けたにも関わらず、

ブラスカとジェクトにガン無視されて1人悲しい想いをしたアーロンが

次世代のユウナ一行にも参加してくれたので、

この後超いい感じのアシストで物事を解決に導いてくれます。

 

 

 創造的イシュー:召喚士のユウナ+ガードのティーダ一行 

イシュー度  『シン』を倒してユウナも死なせない、

         そんで『シン』の復活も止めたい

解の質   ・祈り子の歌で『シン』を足止めする

       ・『シン』の中に入り、召喚獣を呼び出して

        本体のエボン・ジュを乗り移らせて弱体化させる

       ・エボン=ジュを倒す

 

 

『シン』の本体が召喚士のエボン=ジュであることを突き止めて、

倒す方法まで辿り着いたのは、ティーダ達だけです。

 

マイカ総老師とか、召喚獣の祈り子とか

昔からの人でエボン=ジュの存在を知っている人もいるんですが、

「どうせあいつは倒せないし」とか

「今までこうやってきたし」とか

「エボン=ジュいなくなったら俺も消えるし」とかそんなんで、

倒そうとする発想すらない。

 

 

しかしこのスピラ中で唯一ティーダだけが、

根本解決へのイシューを立てます。

「『シン』を倒す」なんて曖昧な言葉ではなくて、

「『シン』も倒すし、ユウナも死なせないし、『シン』の復活も止める」

というところまで明確にした。そしてそれを言葉にし続けた。

 

何はともあれ「言葉」にする

イシューが見え、それに対する仮説を立てたら、次にそれを言葉に落とす。

(中略)なぜか?イシューを言葉で表現することではじめて

「自分がそのイシューをどのようにとらえているのか」

「何と何についての分岐点をはっきりさせようとしているのか」ということが明確になるからだ。

言葉で表現しないと、自分だけでなくチームのなかでも誤解が生まれ、それが結果として大きなズレやムダを生む。

(「第1章」p41より)

 

 

これ、ティーダが異世界から来た外部の人だったというのが

かなり大きいと思っていて。

 

スピラの人たちはそれこそ小さな頃からエボンの教えを受け続け、

ユウナレスカに至っては最早1,000年くらい繰り返してて

「究極召喚以外に『シン』を倒す方法はないし、『シン』は何度でも復活する。

 こういうもんだ」と思い込んでました。

 

 

しかしティーダはその常識、Howを知らなかったので

真っ向からおかしいと思うことができた。

純粋に、シンプルに欲しいものの最終形から考えてイシューを立てて、

そしてそれを絶対にブラさない強さがあった。

 

 

「犬の道」に入らないためには、正しくイシューを見極めることが大切だ。

(中略)問題はまず「解く」ものと考えがちだが、

まずすべきは本当に解くべき問題、すなわち「イシュー」を「見極める」ことだ。

ただ、これは人間の本能に反したアプローチでもある。

(「第1章」p45より)

 

 

『イシューからはじめる』、一見簡単なように見えますが

実際やってみると相当辛いです。

人間の本能に反したアプローチ」とありますが、

めちゃくちゃ落ち着かないんですよ、これ。

 

私もこの本を勧めてくれた上司に起案の相談した時、

何度打ち合わせてもイシューの擦り合わせにしかならず

先に打ち手にいこうとすると怒られ、

そうこうしている間に起案の日は近づき、非常に不安になりました。

打ち手の終着点が見えない中で、イシューにじっくり取り掛かると

「本当にこれ完成するんだろうか・・・」と恐怖に駆られる。

とっととHowにいって終わらせたくなる。

 

が、結果的には「課題特定が明確で良かった」と周囲に褒められた仕事にはなったので、必要なことだったのだと思います。

 

 

そもそもの「よいイシューの3条件」に

▶1 本質的な選択肢である

▶2 深い仮説がある

▶3 答えを出せる

(「第1章」p55〜56より)

 

 

というものがありますが、ティーダのイシューは

▶3 答えを出せる」がかなり際どいところではありました。

 

「本質的な選択肢」であり、十分に「深い仮説がある」問題でありながら、よいイシューではない、というものが存在する。それは、明確な答えを出せない問題だ。(中略)どのようにアプローチをしようとも既存のやり方・技術では答えを出すことはほぼ不可能という問題は多い。

(「第1章」p70より)

 

 

この見極めも、すごく難しいです。

ここは経験とセンスによるんじゃないかと思いますが。

 

ティーダのイシューは、

当時スピラの人全員が

絶対に実現不可能と思っているイシューだった。

 

ただ、ティーダは固定観念を持たずに

解が出せないイシューだと決めつけなかった。

そのイシューに対する解は何かを、ずっとずっと考え続けた。

 

 

ティーダのイシューは、仲間内からかなり否定されます。

ユウナですら、自分が助かる道や究極召喚以外の方法なんて

最初は全く信じていなかった。

 

ティーダ一行が、ユウナレスカから「誰を究極召喚獣にするか選べ」と

言われた後のやり取りが下記です。

 

 

------------------------------------

ワッカ 「あのな……『シン』を倒して、ユウナも死なせねえ

 そんで『シン』の復活も止めたいってか?全部かなえれば最高だけどよ!」

ルールー「よくばりすぎたら……全部失敗するわ」

ティーダ「イヤだ。よくばる」

ワッカ 「青くさいこと言うなよ!」

ティーダ「青くてもいい!オトナぶって カッコつけてさ

 言いたいことも言えないなんて絶対イヤだ!

 そんなんじゃ何も変えられない!オレ……この青さは なくさない」

 ああ、どうしたらいいかなんてわかんないよ

 でも10年前のアーロンが言ってたこと……オレも信じるッス」

リュック「無限の……可能性?」

ティーダ「うん。オレ 行ってくる。ユウナレスカに話聞く。」

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↑ここが、ブラスカとの決定的な分岐点だったと思います。

 

 

イシュー特定のための情報収集

 

コツ① 一次情報に触れる

第1のコツは「一次情報」に触れることだ。

一次情報というのは、誰のフィルターも通っていない情報のことだ。

 

(中略)

あまりにも基本的なことに聞こえるかもしれないが、

これらを呼吸するようにできている人は少ない。

 

「優秀」とか「頭がよい」と言われている人ほど頭だけで考え、

一見すれば効率のよい読み物などの二次情報から情報を得たがる傾向が強い。

そして、それが命取りになる。

肝心の仮説を立てる際に「色眼鏡をつけて見た情報」をベースにものを考えることになるからだ。

 

現場で何が起こっているのかを見て、肌で感じない限り理解できないことは多い。一見関係のないものが現場では隣り合わせで連動している、あるいは連動しているはずのものが離れている、といったことはよくあるが、これらは現場に出向かない限り理解することができない。

(「第1章」p76〜78より一部を抜粋)

 

 

ブラスカたちは「究極召喚を得る」という解ありき

ユウナレスカと対峙したために、

そもそも「聞く」という発想がありませんでした。

 

ティーダもこの時点で策がないのは一緒ですが、

あくまでイシューをぶらさなかったので

解の質を上げるために、ユウナレスカという1次情報を取りにいこうとします。

これは大きな態度の違いです。

 

ティーダに感化されたユウナや仲間もし次第に自分の頭で考え始め、

「『シン』は絶対に蘇るのか?」を改めてユウナレスカに聞いたことで、

「究極召喚はまやかしだ」と気付くことができる。

 

 

このあたり、10年前のブラスカ一行の唯一の生き残り

(正確には生き残ってない)アーロンが、

さり気なくいい感じに仕事してくれてます。

 

ユウナが解のない絶望的なイシューを立て始めたので

ユウナレスカがシーモアばりに死という安らぎを一方的に与えようと戦闘態勢に入ったとき、

ここでアーロン一世一代の名シーンです。

 

 

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アーロン「さあ、どうする!

 今こそ決断する時だ。

 死んで楽になるか、

 生きて悲しみと戦うか!

 自分の心で感じたままに物語を動かす時だ!」

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「<考える>と<悩む>、この2つの違いは何だろう?」

僕はよく若い人にこう問いかける。あなたならどう答えるだろうか?

 

僕が考えるこの2つの違いは、次のようなものだ。

「悩む」=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすること

「考える」=「答えが出る」という前提のもとに、建設的に考えを組み立てること

この2つ、似た顔をしているが実はまったく違うものだ。

(「はじめに」p4より)

 

 

アーロンは前回の反省を踏まえて10年の間に

『イシューからはじめよ』読んだんじゃないか?というくらい、

アシストとして完璧です。

 

「究極召喚がガードを1人犠牲にする手段であること」、

「そのガードが次の『シン』になってしまうこと」をアーロンは知ってるんですけど、

敢えて言わずに、ザナルカンドという現場に来させるんですよね。

なんで知ってるくせに教えないんだよとみんなイライラするんですが

(私も普通に教えろよと思いましたが)

打ち手を先に知ると、みんな考えなくなるので。

みんなが「悩む」のではなく「考える」ように、うまく導いている。

旅の間中「自分の頭で考えろ」って言い続ける。

 

 

こうして「聞いた(一次情報を取りにいった)」ことにより、

究極召喚という解を拒否してユウナレスカを倒したティーダ達は

ユウナレスカが今際の際に「エボン=ジュが・・・」とかボソボソ呟いたので

え、エボン=ジュって誰やねん??となり、

イシュー解決のための次の1次情報を集め始めます。

 

イシューを考え続けた結果、

仲間からもいろんなアイディアが出てきはじめます。

リュックとワッカの「祈り子の歌で『シン』を止められるんじゃ?」案、

そして「答えは教えの外にある」(→マイカ総老師を問い詰めよう)という

キマリのナイス一言。

常識外のことを考えるために、まずは制約条件となっている常識を知りにいく・・・

キマリ、あいつもなかなかイシューを分かっている憎い獣です。

レッド13より頭良さそうです。

 

こうしてイシューに従って、1次情報から真因を突き止めていき

「『シン』の内部に入らなきゃいけない」→どうやって?

「エボン=ジュを倒さなきゃいけない」→どうやって?

などのサブイシューを立て続け、

『シン』を完全に倒し、ユウナも死なせずに

スピラに永遠のナギ節をもたらすことに成功しました。

 

 

もう有名な話なのでネタバレしますと

(一応行空けます)

 

 

 

 

このイシューを解くと、最後にティーダが消えます。

 

 

自分の存在が、かつて滅びたザナルカンド・・・

つまりはエボン=ジュが召喚しつづけている夢の世界の人間だからです。

滅びゆく自分たちの故郷を夢の中だけでも存続させたい、

『シン』はそれを守るための存在でした。

 

恒久対策には『シン』の核となるエボン=ジュの破壊、

つまりはティーダの消失が表裏一体です。

 

その事実をティーダだけが知るのですが

ユウナが死ぬということにはあんなに抵抗し続けたティーダが、

その事実はあっさり受け入れて、一切迷いません。(消える時は泣きますが)

 

「『シン』を倒して、ユウナも死なせず、『シン』も復活させない」

このイシューを決してブラさないからです。

自分が消えることは、イシューに対する解として不可避なことであるからーー

 

 

 

FF10をやったことがある人は

ぜひ「イシューからはじめよ」を読んでみてほしいですし、

FF10やったことない人はやってみて・・・っていうのは

PS2でしか出てないのでハードル高いんですけど

※7/17追記:PS3でもPS4でもVitaでもPCでも出てました

 すみません土下座して謝ります!!!!!

動画ググってみるなりしてみてください。

イシュー的にはユウナレスカ戦の前のやりとりだけでも!

書ききれない学びもたくさんあるので・・・

 

エンディングは涙で前が見えなくなって

2日くらい業務中もFF10のことしか考えられなくなります。

 

 

ここまで書いたところで、ていうか私が持ってるFF10は

11年前の新卒時代、前職同期のあべちゃんから

借りパクしたままのものだと気付きました。

あべちゃんほんとごめん。FF10を教えてくれてありがとう。

住所教えてくれれば送ります。

 

 

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おかださいこ

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