信頼さえしていれば | 人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

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心理コンサルタントの白瀧です。

 

さて、教師が生徒に暴力を振るう、そのような問題が起こると、必ずと言っていいほど持ち上がるのが『体罰は是か非か』という議論です。

 

この議論では、賛否両論ありますが、大抵は、「体罰は、単なる暴力だからダメだ」という意見が主流を占める傾向にあります。

 

それでも、中には、体罰を容認する意見もあり、その意見は多くの場合、

 

生徒との間に信頼関係が築けていれば、生徒はそれが暴力ではなく、生徒への愛情の裏返しだということをわかってくれる」

 

という趣旨のものがほとんどです。

 

また、かつて運動部に所属し、体罰を受けてきた人の中にも容認する人は多く、その人たちの意見は、

 

教師との間に信頼関係があったので、それが、暴力ではなく教師の愛情だということがわかった。」

 

「殴られても仕方ないようなことをしたと分かっていた」

 

というようなものです。

 

これらの容認派の意見は、確かに尤もらしく聞こえますが、残念ながら、その中にある矛盾には気づいていないようです。

 

まず生徒の側から言えば、殴られても仕方ないことをしたと分かっていたのであれば、それは、殴らなくても口で言えばわかったということを意味しています

 

つまり、教師との間に信頼関係が築けていれば、殴る必要はなく、口で言えば十分わかるということを言っていることになります

 

また、教師の側からすれば、生徒との間に信頼関係が築けているのであれば、果たして体罰を加える必要を感じるでしょうか。

 

生徒を信頼しているのですから、口で言えばわかると思うはずです

 

そもそも、本当に教師と生徒の間に信頼関係が築けているのであれば、体罰を必要とするような行動を生徒が取ることはないでしょう。

 

これは、親子の関係も同じです。

 

親と子の間に信頼関係が本当に築けているのであれば、親が子の行動に対して「ああだこうだ」言う必要性を感じることはないでしょう。

 

信頼するとはどういうことか

 

まずはそのことを知る必要があるのではないでしょうか

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

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