質問「聖書の三位一体の表現について」 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2010年 11月

【質問】なぜ聖書には、三位一体であるような、三位一体ではないような表現方法が用いられているのですか?


【回答】三位一体は知恵袋にしばしば出てきますね…。

実に多くの人が学生気分が抜けず、頭で理解しようとしている…と思っています。

神も死後も霊の次元に属します。

これをこの世界(3次元)の概念で理解しようとするのは、到底、無理でしょう。

高次元を低次元の言葉では表現できないし、納得も出来ないでしょう。

3次元である一つの箱を何平方mと表現しますか。

1とも3とも言えるでしょう。

又は、百万とも言えますよ。

聖書の表現をこの世の単位に置き換えるので、矛盾がでます。

神は言われました。

「わたしが何故、人の作った単位を使わなければならないのか」

神の次元は、一日が千日であるような次元です。

とても理解は出来なくても、同じ次元の信仰で悟る事は出来ます。

「見える物は見えない物から出来たのである」

という聖書の言葉に仰天しましたが、現在の物理学者がやっと到達したビッグバンが2千年前に書かれているのです。

若い人は、ニュートン力学を絶対だと信じているようですが…。

霊の次元を認めなくては、宗教も信仰もただの教訓になるでしょう。

海南島のヨハネ


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