最善の祈り | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2007年 5月29日

老人になると経験は豊富になる。

あの時こんな祈りをした、この時はこんな祈りをした、と色々思い出される。

他の老人も同じ様である。

昨日食べたご飯のおかずがどうしても思い出せないのに、老人の頭の中は一体どうなっているのだろう。

祈りが答えられたとその時は大喜びしたのに、何年か経つと、

(あの祈りは聞かれなかった方が良かったなー)

この様な事はしばしば有った。

誰でも経験はあると思うが、就職先や結婚相手で、その時はそれが最善と思って、

「何が何でもこうして下さい」

と祈る。

しかし何年か十何年間か経つと、色々事情が変わってきて、祈りをきかれた人が後悔し、きかれなかった人が神に感謝する事も起きて来る。

何年か後、もし祈りが聞かれていたらと考えて、ゾーっとする事もある。

それは神に聞くのが一番だと誰でも思うであろうが、大抵の人はそれを聞ける状態ではない。


「悪人は光に来ようとしない。悪事が明るみに出るからである」聖書


神を信じる者、すなわち神の子とされた人にも、なかなか最善を示して呉れない。

一つの理由は、従わないからであり、もう一つの理由は、独走するからである。

私はこう祈っている。

“御心が天に成る如く地にも成させたまえ。そして私の上にも成ります様に”

神の思いの成就がどんな祈りにも先行する事を私は今頃悟った。

自分を愛しておられる神様は、どんな時にも最善をなして下さる。

だったら委ねようとの信仰があれば、この様な祈りが出来る。

“神様、私は現在このような状態です。しかし最善を行って下さい。最善を教えて下さい。実行させて下さい。”


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質問「神から祈りの答えを受け取る方法」


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