質問「異言を話すってどんな感じなんですか?」 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2011年 7月

【質問】「異言を話す」ってどんな感じなんですか?

ペンテコステ派、バプテスト派、ローマ・カトリック、監督派、メソジスト派、ルーテル派、長老派において異言を話す習慣があるそうですが、どういった感じで行われてるんですか?

どちらの教派かはわからないんですが、以前テレビで見たのはこんな感じでした。

5~6人の人が輪になって手をつなぎ、目を閉じて瞑想しているうちに、次々と不思議な(意味づけのし難い)言葉を話しだし、その中の一人の女の人が卒倒してしまい、牧師さんらしき人が介抱されていました。

見た感じ、催眠に近い印象を受けました。

質問ですが、皆さんの教派でもこんな感じで行われますか?

異言を話しているご本人は、ご自分が話している不思議な言葉の意味がわかるもんなんですか?

どうぞ宜しくお願いします。


【回答】普通、異言は語ると言います。

その人の頭を使っていないからです。

何も考えていない時でも、別の事を考えている時でも、異言で語れます。

聖書を読めば判りますが、これはイエス・キリストが昇天前に弟子たちに約束された奇蹟です。

これで神の存在や聖書の正しさの絶対的な証明です。

共産主義者は勿論、無神論者や一部のキリスト者さえこの事実は認めない様です。

そして現在、世界中で何千万の人が経験している奇蹟です。

最初は祈っていて霊を感じた時に唇が突然すごい速さで動きだし、一体、何語であるのか、本人には全くわかりません。

これも聖書に書いてある事です。

「我ら如何に祈るべきかを知らざれども、御霊言い難き嘆きをもて我らの為に執成し給う」
(ローマ信徒への手紙8章26節)

本当は、神の聖霊が人の口を使って人には理解出来ない言葉で神に祈っているのです。

教会ではこれを「受霊した」と言います。

奇蹟的な経験ですので、経験者が神を疑う事は一生無いでしょう。

実は、ペンテコステ教会の中でも、熱心にこの奇蹟を何十年も求めても与えられない人々が何割もいるのです。

これは神から与えられた奇蹟ですので、何故与えられないのか人間には全く判りません。

これらの人々(特に役員的立場の人)は、どんなに悔しい思いをしているでしょうか…。

何とか与えられたいと思う反面、聖霊は他の方法でも与えられるとか…色々な理屈をつけて自分を慰めているようです。

都合の悪い事実は認めたくない…私はこれを無神論的キリスト者と言っています。

昔は批判していた教団も、教会内に異言の奇蹟が現れる事がしばしばあるので、奇蹟は認めているようです。

しかし牧師を始め経験者がいないので、

「それは悪霊の仕業である」

とか、

「注意が必要である」

とか言って、とどめている例が多いようです。

聖霊を受けた時が他に多くの奇蹟的な能力を受けるチャンスなのですが、惜しい事です。

異言は神の約束であり、人間を大転換させる奇蹟なのです。

これを認めない人は中国共産党の弁明と等しく、

「中国が豊かになったのは共産主義の成果だ」

と言うのと同じでしょう。

実際は、国民の一割にも及ぶクリスチャンがギャンブルや怠けから性質が大転換したので真面目に働くようになった…当然ながら国は豊かになります。

異言は現在でも多くの人が経験できる神の奇蹟です。

海南島のヨハネ


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