人生は、数ある皮肉の結果でしかない | Grünberg

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まぁ、そう本気で思うほどまだ自分の人生に悲観してはいないけど。

 

だが、歴史上そう思わざるを得ないほどの皮肉にさらされた偉人は数知れず。

 

あの七年戦争を戦い抜いたフリードリヒ大王もその一人ではないか。

 

今日は彼が会戦で用いた斜行陣について書いてみたいと思う。

 

斜行陣が最も成功した会戦といえばロスバッハ及びロイテンの戦いであろう。

 

ロスバッハの戦いは、プロイセン軍の側面を突こうと縦列行進をするフランス・オーストリア連合軍を即座に見つけたフリードリヒ大王が、逆に縦列の側面に歩兵横隊を移動させ攻撃した戦いである。

 

ロイテンの戦いは、オーストリア横隊の正面に展開する歩兵部隊をオーストリア軍左翼側面へと移動させ攻撃し突き崩した戦いである。

 

両会戦に共通するのは、平坦で開けた土地であり、歩兵横隊を見渡せる高台があったということだ。

 

さらに、歩兵の行進を邪魔する障害物もなかった。

 

このような条件下で、高度に教練されたプロイセン歩兵の横隊は、機械のような正確さで軍事行動を可能とした。

 

(これは後世の軍人にも高く評価されている

 

それだけでなく、騎兵や砲兵との連携も容易となった。

 

 

だが一方で、プロイセン軍の迂回を警戒し、障害物の多い地に強固な防御陣地を敷いた場合はどうだろうか。

 

その結果を如実に表したのがクーネルスドルフの戦いである。

 

ロシア軍の敷いた防御陣地の周りには池や沼などの障害物が多く、歩兵部隊はかなり疲弊し、そのために迂回も失敗した。

 

疲弊する歩兵を前に前線指揮官は攻撃の延期を王に進言したが、フリードリヒ大王は聞き入れず、結局正面から総攻撃に打って出ざるを得なかった。

 

当然、歩兵部隊はロシア軍の全力邀撃に遭い攻撃は頓挫。

 

ザイトリッツ率いる重装騎兵隊が突撃を敢行するも、ロシア軍の猛砲撃により壊滅。

 

こうして全兵力の3割を喪失する大敗北を喫した。

 

先のツォルンドルフ、ホッホキルヒでもそれぞれ3割の兵力を喪失し、そこには歴戦を戦ったベテラン兵も数多く含まれていた。

 

ベルリンを守備する兵力はほぼ無力であり、ここでオーストリア・ロシア連合軍が侵攻すればプロイセンの命運は尽きたも同然であった。

 

だが、皮肉にもロシア・オーストリアの不仲でそれは起こらなかった。

 

運命はフリードリヒに味方した。

 

ブランデンブルクの奇跡が2度起こったほどに。

 

 

クーネルスドルフの敗戦後、フリードリヒ大王は自殺も考えたほど憔悴した。

 

連合軍に起こった皮肉が、彼や祖国の命運を救った。

 

人生に起こる皮肉は、良い方にも悪い方にも人を左右する。

 

神の計画の下では、人は人生という舞台の上でただ踊ることしかできないのか。

 

そうした皮肉の結果は、誰しも人生の終焉にしか評価し得ない。

 

歴史を見ていくと、しばしばそういった思いに囚われることになる。