いつも興味深く読ませて頂いているブログの中に、家庭あるあるを発見したので、シェアします。
https://ameblo.jp/fumiyanishigawa2/entry-12406048411.html(←上手く移動しなかった方は、こちらのリンクから)
“夏休みの宿題の締切を2週間先延ばしにすることがなぜいけないの?”
そう思われた方がいたら、黄色信号かも?!
子どもに流されてしまう、ルールが曖昧になることは、とても危険。
先生を親に置き換えると
ルールを緩くする、一度決めたルールを途中で変更することは、子どもではなく、実は親の言い訳。
子どもには、例え言葉で明確に言い表せる年齢でなくても、それを見抜く力があります!!
書いている自分も耳が痛いですけれど。
学校のルールを決める教師間の連携というのは、家庭で言えば、夫婦の連携そのもの。
1人の先生(家庭なら、父親か母親)がルールの順守をしようとした時、周りの先生(家庭なら、その他の大人)が
“守らなくてもいい”
と言ったら、どうでしょう?
または、勝手にルールを曖昧にしてしまったら、子どもは楽な方を選びませんか?
これが家庭で起こった場合、子どもを甘やかした大人に、子どもは懐いたり、媚びを売りますよね?
すると、懐かれた大人も、悪い気はしません。
ところが、その日からルール順守はあってない物に変わってしまいます。
ルールが効力を持たなかったら、もはやルールではありません。
無いに等しい。
決めたルールを緩める時、私達は、子どもの為ではなく、自分達のために行っていないでしょうか?
家庭内のルールは、締切だけではありません。
ゲーム
生活リズム
基本的な自立
習い事
お手伝い
に関して・・・
例えば、
(自分の戒めの為にも書いています)
ゲーム依存・・・止めさせるのが大変だから
生活リズムの乱れ・・・指摘する側の自分も、お手本にならなくてはいけないので嫌だから
基本的な自立の遅れ・・・母親が手を貸した方が早いから。確信はないが、煩く言うより、いつか出来るようになるのを待てば良いのではないか。
習い事を親主体でコロコロ変える・・・本人にやる気が出ないので、お金がもったいないから(先生や子ども任せで、自分は仕事など理由に見てあげることはしていない)
お手伝いをさせない・・・やり方を教えるのが面倒。自分が子どもに汚されたり、壊されたくないだけ
というような、大人の思惑が見え隠れするわけです。
ところが、曖昧なルールの家庭でそのままダラダラ来ている子ども達が、ある日一念発起して、
ゲームはもうやめる!
朝ギリギリに起きるのはやめよう!
さあ、今日からお友達がやっているように自分のことは自分でやろう!
この習い事だけは、続けるぞ!
言われなかったけど、お風呂洗っておいたよ?
なんて、都合よく変わるでしょうか?
そんなはずありませんよね?
もし、変わろうと思ったところで、親の思惑(都合)に流されてしまうことさえあります。
ゲームしている間は、静かだ。
起きてこないなら、自分も寝られる。
早くしなさい!間に合わないから、ママが手伝うよ!
やる気がないなら、とっととやめて、違う習い事にするか、塾に行きましょ(努力という努力しないうちに)!
あなたが料理すると、片づける方が大変!ママがやるわ!
他の兄弟姉妹が、奴は奴、自分は自分・・・なんて大人に考えてくれるならいいですが、子どもだけに純粋。
一見、黙っている子達であっても、影響は周りにも出ます。
正当に勝負しているのに評価されず、違反ばかりの兄弟姉妹は見逃されているなんて、誰がどう見ても不公平ですもんね。
家庭だと冷静になれないことが、学級崩壊という集団の状態を外側から客観的に見つめることで、自分がやってしまいがちな失敗がよく見えてきました。
学級崩壊と違い、家庭が無法(ルール)地帯と化してしまっている場合、介入できるのは、我々両親のみです。
こわいですね。
他の先生との連携、つまりパートナーから協力が得られない場合は、このブログの元中学教師さんのように、家庭でも“学年主任”のような肩書きがあると良いのかもしれません
最終的に決定する権限が誰にあるか、周りの大人に明言してもらうだけでも、守らせる側は楽になりますね。
両親だけでなく、祖父母が子育てに大きく関わっている家庭も多いでしょうし、協力してもらう以上、役割って大事です。
今日の気づきからでした。
最近のお試し品
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労苦を共にするパートナーがいることは、何にしても感謝すべきことですね。
山本KIDさん、樹木希林さんを追悼します。
withLOVE