山村暮鳥は1884(明治17)-1924(大正13)年、40才で亡くなっています。この詩がいつ出来たものか知りません。彼の生涯から推測すると二十歳は過ぎていて、日本は日露戦争に勝利し、第一次世界大戦も勝利して、いよいよ日本の奢りが高まっている頃ではないでしょうか。彼は日本の将来が心配で心配でたまらない。うつくしい国、小さな国、かあいらしい日本、幸福な日本よ、奢るな、真実であれとこの詩で警鐘している。彼は40才の若さで亡くなるが、彼が心配したようにやがて日本は中国と戦争し、米英とも戦争し破滅の道を歩んでいく。