どもども。
キンジです。
※今回の記事は、2015/4/16の記事のリライトとなっております。
個って言うのは、
個人の視点のことでもありますし、
全体って言うのは、
コミュニティとか、全体の総意的なものを、
表します。
その上で言えることって言うが、
「個は全体を兼ねるが、全体は個を兼ねない。」ってことでもあります。
何故ならば、
コミュニティの総意ってものは、
結局は、
多数決的なものを、さし表すことにもなるでしょうし、
また、
その場でもあり、環境でもあり、構造にての、
空気感と言ったような、
フワフワしたものが、
その根拠ともなっていることでしょう・・・・。
勿論、
その空気感ってものが、
キチンと、コミュニケーションや、
実務を踏まえた上で、
共有されていた場合は、
その全体ってものは、
個の視点を、決定づける為の、
道標的役割を、こなすことでしょうが・・・・・、
その上でも、
結局は、
個の視点を決定づけているのは、
各々の個人の、
持ち合わせた肉体でもあり、
培ってきた自我によって決定されるものであるとも言えるのです・・・・・!!
ま、だからが故に、
個人の視点でもあり、
もっと言えば、
主観ってものは、
人に伝えなければ、
ただの妄想だと、扱われがちでもあるのでしょうが、
その妄想を、人にキチンと、
行動を踏まえたコミュニケーションで、
伝えること自体に、
計り知れない可能性が、含まれているのだと言いたいのです・・・・!!
勿論、
ただ単に、
言いっぱなしで伝えるよりも、
共有出来る形にすることが、
望ましいものではあるのですが・・・・・。
結果的には、
「コミュニティの為。」でもあり、
「自分の為。」でもあり、
「人の為。」になることを、
目指すものではあるのですが・・・・・、
そのプロセスにては、
一旦、
上記のどれかの視点が、欠けることもあり得るだろうし、
最初から、全てを踏まえれる環境や、構造ってものは、
ある意味、
恵まれた環境でもあり、構造であるとは定義出来ることでしょうね・・・・・!!
ま、何はともあれ、
「まずは、自分の為。」を、追求していくものであり、
「コミュニティの為。」ってものも、
結局は、
「自分の成長の為。」となっていくものでもありますから、
そのプロセスにて、
「当たり前に、他人の為。」とすることをも、
さし表していますから、
変に、迎合したり、
ある一定の、
お金の象徴となってしまうような個人だけを、
依怙贔屓する代物でも無いでしょうから、
それによって、
自分自身の欲のコントロールさえも、
可能になるだろうし、
そのコントロールが無くなれば、
お金の奴隷になってしまうことさえも、
まぁ、
「自分自身が成長する為のプロセス。」とは、
なっていくことなのでしょうね・・・・・(^^;)
それらを踏まえて、
今回は、
個は全体を兼ねるが、全体は個を兼ねない。
ってテーマに沿って、考察してみましたよ〜(^^)/
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