内容(ないよう)に拘る。 | キンジの自分軸哲学

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~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

 

 

どもども。

 

キンジです。

 

 

※この記事は、2015/5/13の記事のリライトとなっております。

 

 

内容(ないよう)って言うと、

まぁ、所謂、

外面と内容って対比も可能でしょうし、

それ以外にも、

内容=外見と中身って対比も、

可能になるものでしょう・・・・・!!

 

 

その上で言えることが、

外と内、どちらの場合であったとしても、

内の方に、本質に向かう為の、

気付きってものが、存在していることを、

前提にして行くと、

 

内か外、どちらからのアプローチなのかは、さておき、

 

勿論、

 

両方共が、大事にはなるのでしょうが・・・・・、

 

外側だけを見ていれば、

なんだか、チャらくも見えてきてしまうものでしょうし、

 

またまた、

 

枝葉末端に拘る=本質を蔑ろにしがちだと、

捉えられてしまうのもまた、

 

多くの人が、持ち合わせた、

自我の習性ではあることでしょうね・・・・・。

 

 

 

だからこそ、

 

内容(ないよう)に拘ることが、

大切と言うか、まぁ、

 

結局は、

 

外面とか、見た目ってものは、

誰しもが、無視しづらいものと言うか、

当たり前に踏まえていくものであるからこそ、

 

内面=内容(ないよう)に拘ることで、

その全体性を意識することが可能となり、

 

内外って言うよりは、

全体として、整えて行ける側面も、

持ち合わせたものなのでしょうね・・・・・!!

 

 

 

ま、文章化でもあり、

コンテンツ化して行くことを、

前提とすれば、

 

外だけに拘るって言うのは、

まぁ、

 

評価しづらい側面も存在するでしょうし、

その評価自体も、どちらかと言えば、

内容が無い評価に、落ち着いて行くのもまた、

仕方がないのでしょうね・・・・・(^^;)

 

 

 

だからこそ、

 

内容(ないよう)に拘ることで、

 

自他共に、

 

その場限りの評価で終わらさないで、

次に続いて行きやすい評価を、

形として残していくことが、

 

何かと、

 

「自発的に生きる。」とか、

「自分ならでは、自分でこその生き方。」ってものを、

生きて行く為には、必要不可欠となるでしょうし、

 

それはまた、

 

何も残らないような、その場限りの評価ってものにさえ、

新しい評価の切り口を、

自他共に、定義可能にもなって行くものでしょうから、

始まりの行動に、アドバンテージを創造しやすくなるのでしょうね・・・・・(^^)

 

 

 

それらを踏まえて、

今回は、

 

内容(ないよう)に拘る。

 

ってテーマに沿って、考察してみましたよ〜(^^)/

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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