私が在籍していたルーマニアの
プライベートカンパニーのお話です。
もう辞めて4年も経つので、いろんなことが
今は変わっているかもしれませんが
私がいた時のこと、私がこのバレエ団で
学んだことをお話します
まず、このカンパニーには
オペラが一切ありませんでした
オペラの演目のリハが多すぎて
全然バレエのリハができないというのは
小・中規模のオペラ座でよくある話なので、
当時はなんとも思っていませんでしたが
バレエに集中できる環境だったんだなぁと思います。
そして、バレエマスターが本当に良かった。
私がいた年は、草刈民代さんの
ルーマニアでのパートナーだった人が
クラスとクラシック作品のリハを教えていて、
バレエの技術的なこと、表現のこと、
そしてプロのバレリーナはどうあるべきか
たくさん学ばせていただきました。
奥野 亜衣@okuno_ai懐かしい、ルーマニアで草刈民代さんのパートナーだった先生の言葉。バレエ団1年目は特にいろんなこと学んでそれが今の自分を作ってる✨ この言葉は常に胸に留めとかないとあかん。 https://t.co/kU5vWxH8RO
2020年06月16日 10:53
これは常に私が心に留めていることです。
「外国で働くならば、その国の言葉を
学ぶ努力をしなくてはならない」ということも
後から自分の肌で感じる事になるのですが、
このバレエマスターは最初から何度も
私に言い聞かせてくれていました。
彼は英語も話せましたが、
ルーマニア語が少しでも分かるようにと
毎日ルーマニア語で話しかけてくれていました。
その話の中で彼の現役時代に草刈民代さんと
ジゼルを踊った写真も見せて貰いました
草刈さんがどんなに素晴らしいダンサーだったか
たくさんお話しして下さって、
私にとって草刈さんは憧れのバレリーナなので
毎日そのお話を聞けるのが
嬉しくてしょうがなかった
このバレエ団のもう一つとても良かった所は
在籍していたダンサー全員に
向上心や野心があったこと。
オーディションをしたり
他のバレエ団の友人と話す中で
初めて知った時はショックを受けましたが、
国立や公立のバレエ団の中には
若くてバリバリ踊れてた時に
ライフコントラクト(生涯契約)を貰って、
一生懸命踊りたいという気持ちを失って
技術的にもあまり踊れなくなってしまっても
ゆるゆると居座り続ける人がいます。
今はもう変わりましたが、
実は今私が所属してるバレエ団でも
数年前まではバーレッスンが終わったら次々と
ダンサーが楽屋へ帰っていき
グランワルツの時には数人しか残らない…
というのが当たり前の状態でした
このルーマニアのバレエ団ではそれが全くなくて
全員がもっともっと上手になりたい!という
気持ちを持って踊っていたので
いい影響を受けることができました
トウシューズはフリードを貰っていました。
カスタムできなかったし
マークの指定すらできなかったので
今思うとあんまり合ってなかったかも
確か私がいたシーズンはフリード、ブロック、
グリシコ、ゲイナーを履いている人がいました!
学校で愛用していたカペジオは貰えなかったので
日本でフィッティングして
フリードに決めたと思います。
そして支給があったのはプロになった感じがして
めちゃくちゃ嬉しかったですが
とてもじゃないけど支給だけでは足りなかった…
ゲイナーが履ける人だけが支給だけで
1シーズン足りてて、他のメーカーを使う人は
自分で買い足していました。
ルーマニアは郵便のシステムがそんなに良くなくて
高いものを通販で買うというのが冒険すぎたので
私はシーズン始めにロンドンに弾丸旅行して
トウシューズを買いに行きました
バレエシューズはサンシャプロだけしか選べなくて
タイツもサンシャのものが支給されました!
どちらも余るほど貰えたような記憶があります
あとこのバレエ団では
ヘアードレッサーやメイクの人がいなくて
全部自分でしなければいけませんでした
普通の舞台は大丈夫やけど、夜会巻きをしないと
いけなかった時は大変で、手先の器用な子が
できない子を助けていました
ロッドバルト役の人など特殊なメイクは
役を受け継ぐ時に代々どうやってするかを
先輩に教えてもらっていました
衣装さんはいたけど1年に一度か二度しか
会わなかったような…
本番の日のダンサーのお手伝いをしてくれる人が
いなくて、全部自分たちで
助け合ってしているうちに仲良くなれるので
それはそれで楽しかったかも
さて、続いてルーマニアにいた1シーズンで
私が踊った演目を書いていきます。
まずクラシックで一番踊ったのは白鳥の湖
プロデビューも白鳥の湖でした。
シーズンオープニング、
イタリアツアー、ブカレストツアーでも
白鳥の湖を上演しました!
私は1幕のワルツと、2幕、4幕の
白鳥たちを踊っていました。
まだ3幕に出番がなかったからマシなはずですが、
とにかくしんどかった笑
毎日脚がパンパンになって、
毎晩念入りにマッサージしていた記憶があります。
当時は毎日キツかったですが、
レパートリーに白鳥があるとある程度の
身体の強さは仕事をしているだけで維持できるので
本当にいい環境にいたんだなぁと
改めて思います
何度も白鳥を踊ったことで、
コールドバレエ、つまり人に合わせて
踊ることを学べたのも良かったです。
こればかりは学生時代ヴァリエーションや
グランパドドゥばかり踊っていると
なかなか身に付けられないことですから…
アメリカでは何十回もあったくるみは
このバレエ団では少なめで
2,3回しかやらなかったような…
でも雪、花ワルの他に中国を踊らせて貰って
リボンを持って踊るのが楽しかった
決して大きくはないバレエ団で
しかも自前の劇場が使えなくて
公民館の質素な舞台での公演でしたが、
振り付けが楽しくていい舞台でした
今だから言えますが
せっかく踊らせてもらった中国で一度
なんでもないはずのところで
ものすごい尻もちをつく大失敗をしています
興味のある方はご覧ください→…
アンナ・カレーニナは首都ブカレストから
振付家を招いて初演しました
80近いおじいちゃん振付家でしたが
いい作品を作ろう!という情熱がある
バレエが大好きな方でした
アジア人の私のこともよく可愛がって下さり、
振り付けの時にはなんとリフトまでしてくれる
スーパーおじいちゃんでした
直接振付家に教わって
初演に携わることの学びと幸せを知ったのが
この舞台でした
ツアーではガラをたくさん上演して
パキータ、ドンキの友人、コッペリアの曙…
王道クラシックの抜粋を
たくさん踊らせてもらいました
ネオクラシックも一つ初演をして
アメリカの振付家と仕事をしました
振付を間違えないか、正しく踊れているか
不安なまま舞台に立ったのを覚えています
しかもインプロまであった
そして本番が一回しかなかったので
慣れて自信がつく前に終わってしまいました笑
コンテは有志のダンサーが創作した
『五感』のショーケースと
ミサ・プロファナという
キリスト教題材の作品を踊りました
この時にコンテンポラリーダンスの魅力に気付き、
クラシック以外の作品を観るのも、踊るのも
好きになりました
あとドンキとバヤデールもリハはやりましたが
本番はありませんでした
私の一年目のバレエ団での活動は
こんな感じです
「習い事」ではなく「仕事」として
バレエを踊ることを学んだ一年でした。
シーズン始めは生意気なくせに
何も分かってなかったし
何も出来てなかったと思います
それを自分自身で分かってなかったから
辛かったこともあったけど、
今思い返せばそれは全て必要なこと。
このバレエ団で一年学ばせて貰ったことは
今の自分の働き方の基礎となりました
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