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転移、転生モノの小説漫画ははじめから主人公に物凄く都合よく書かれている。
はじめから最強なんて都合のいいことあるわけないので平民ステータスで送られたら、魔物に怯えて暮らせなければならないし、普通に不便な中世の暮らしをしないといけない。
冒険者になるのも難しく、なったところで薬草採取専門になるだろう。なら薬草の栽培を研究したほうがマシだ。
魔力が少しあって生活魔法程度は使えるようになるかもだけど、ほとんど地球の中世と変わらないので娯楽も少なく重労働が多い。だからファンタジー世界だけはない。
結局のところ、戦後自衛隊のPKOやウクライナへ生活物資を送ったりすることはあるにしても直接戦争しないでこられている日本で良かったということだと思う。
台湾有事=日本有事で、いつ起きてもおかしくないにしても、給料が安くても生活できているなら働き方改革でだいぶ楽になってるから、しいていうなら
コロナがない世界に住みたい
どうなんでしょう?
自分は罪を犯したわけでもなく、友達を嫌うようなことをされたわけでもないが、昔の友達をなんとなく避けてしまっていた。
そういうこともあるし、年を取るにつれて友達とはなんとなく疎遠になってしまうものだ。
よく会う旧友が2人もいればいいほうじゃなかろうか?
結婚して家庭を持つと会いにくくなるし。
人と会うのは職場だけなんてことになる。
世界には70億ほど人がいるっていうのに、満員電車に毎日乗ってるのに職場のクソ人間関係しかない。
職場でも仲良くしてくれる人とは飲みに行ったり、釣りやらにいったりしている。
まあ、それはそれでいいけど、代わり映えしないし、発展性というか拡がりがない。
職場だと同僚で友達にはなりにくい。
そこで仕事以外のコミュニティに所属する必要があるあると思ってきてしまった。
面倒なことだが今後のためにやらなければならないことなんだろう。
なので、コミュニティーを作りました。
いや、わかっていたことなんですよ。
いつか来るけど、結構来ないもんだなと思っていたんですよ。
4歳下くらいでもこんなに通じないかというジェネレーションギャップがあったのも感じていたし、10歳下でも意外と話し通じるというのも感じていた。そりゃそうなんだが、20歳下だともうほとんどのことを知らない。あたり前田のクラッカーなんですよ。
で、阿藤快さんが亡くなった頃から立て続けに知ってる有名人が次々に亡くなっていって、あの話もこの話も古い話になって、若い子は90年代は分からない。話題に出すもの例えに出すものが全て古くなってしまった。
思い出補正じゃなくどう考えても90年代の方がテレビがわかりやすく面白かったし、漫画とかもベーシックなものはやり尽くされて小難しくしたり、ニッチなところにいったりになっている。
例えるときにしっくりいくものを考えると古いものになる。新しいもので例えようとしてもしっくりこない。
例えるってわかりやすくしてるはずなのに分かりにくくなっている。
ガンダムとドラゴンボールとスラムダンクくらいはビジネスの常識として学んでおいてほしい
とくにガンダムは必須。
志村けんからの上島竜兵で平成は吹き飛んでしまった。
ジェネレーションギャップを超える本当の世代交代が起こってコロナの変化なんかよりも吸収しきれない変化だと感じている。
どう考えても若いのに合わせるなんてムリ。
40代思ってたよりずっと若いなんて思ってたけどやっぱり否応なく完璧なオジサンになってしまったんだと思わざるを得ません
今までmixiとかアメブロとかいろんなネットコンテンツに手を出してきました。
上手くいかず飽きて廃墟を放置することになります。
2014に開設したアメブロもそうっちゃそうなんだけれど、暇になると書き込んだりします。
なんですかね。アメブロは思っていたこと、考えていたことがまとめて書いてある。他のコンテンツにはあまり書いてない。
心の資産になっている。
たまに読み返す。
こんなこと思ってたかとか、全く変わってないとか。心の記録になっています。アメブロだけたまに書き込む気になるのはそんなところだと思っています。