中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

” ニューヨークの水を泳ぐ(生きる)“

2020-10-11 07:12:04 | 海外留学
ニューヨークの水を泳ぐ(生きる)
2019/7/8 (再編集)
 
塾講師のアルバイトは、英語のサブスクールで会った,久美からの誘いでした。
彼女によると某国立大学出身、日本でニューヨーク近郊の日本人子女に塾の先生として派遣されて来たそうです。 歳は20代後半、丸顔、容姿並。

(塾は郊外の幹線道路沿いあり)塾はバスに乗りG.W.ブリッジ(ジョージワシントン橋- 良く映画で田舎者がNYに上京する際のシーンとして登場する橋)をニュージャージー側に渡り、右に曲がり3つ目のバス・ストップです。 旅行者は訪れない場所です。
何気に観光地でもないのに、大きく立派な橋が“ドン”とある、さすがアメリカ!塾の辺りには、イタリアン・レストランが2軒、離れてチャイニーズ・レストラン、セブンイレブン(当時のセブンは黒い内装で、なんだ↓の印象)が有るだけの寂しい一角。
グーグル・マップのリアルビューで探ると、それらレストランの外観は綺麗に直されているが30年前と変わっていない、なつかしさで正直涙が思わずでそうに・・・
2013年にもNYを訪ねていますが、アメリカでは20~30年経っても古い町並みが多く残っているのですね。


白塗り建物の2階に塾は有りました(参照:写真左端)。


(久美は塾講師の後任を私に)彼女は日本のスーパー・ヤオハンがこのニュージャージーで新規に店舗展開するということで、転職が決まっていました。 そんな訳で彼女は引き継ぎを捜していたわけです。 久美の心は塾には無く、授業法を誰も教えてくれる人がいないので、塾の教科書をもとに何とか切り抜けるしかありません。 私は授業のために予習、復習に専念しました ― これはMUSTです。
隣の教室では、理数系専門の工藤さんという中年男性講師(ボス)の声が時折、聞こえてきます。

工藤さんの頭は坊主ガリ、Tシャツ一枚で、オシャレもせず、“なぜ、この人がニューヨークに”と言った感じの人です。 もちろん独身。
でも、新参の私に威張るわけでもなし、直美との関係を詮索するわけでもなし - (外国へ行くと、誰構わず情報共有と、相互扶助で男女の関係抜きでも付き合わなければ、やっていけないのです)。 工藤さんは良い人でした。

塾生徒の子供は1年生から8年生まで、一クラスは2人~5人程度。 これらの子女は、XX銀行、XXビール、XX証券等の親を持ち、子供の半分は頭が良く、残りは・・・・でも草花と同じく、小さい時から手をかけてもらって、将来に大輪の花を咲かせるかも知れない投資をしてもらい、羨ましいと思いました。

不思議?NYで日本語文法・古文の勉強私自身、正直、日本では高校、大学受験を通して、正面から現代文の文法、古文、漢文に向かったことが有りませんでした。 それがニューヨークに来て、塾講師として知らないでは許されなくなりました。 冷や汗ダラダラです。 夜九時に授業は終わっても、予習と授業資料の準備、腹は空く、遅くなればなるほど、ニューヨークの地下鉄はヤバく(怖く)なる。 “ヤバイ、ヤバイ、帰りたい!でもでも・・・・・まだ終わってない”の連続。
もちろん自分自身の短大の宿題もあり、いつも時間に追われていました。

暫くして久美との再会
そうこうして、ヤオハンに転職して落ち着いた久美から”お茶でも“と誘いがありました。
”何かと?“思いました。 
要するに、あんな”チンケ“な塾を辞めてよかった事。
また何を言い出すのかと思いきや、実は現在、二人の彼と付き合っている事。
一人は、年恰好は久美と近い、トルコ人、永住者(グリーン・カードホルダー)。
もう一人はヤオハンの上司、歳は自分の親ほど離れ、高校生の娘もいるとか。

交際中の二人の彼の話を聞かされ、“どっちが良い?”と。 まさか?と思う問いかけでした。
難しい問題だし、どっちが良いとも言えません。

おかしいでしょう? 日本の皆さん。
でもこれが、時にはニューヨークの中の日本人。
何人もの男を渡り歩いて、汚いとかは日本での話
久美の話を別にしても、英語学校に自分と同時期に日本から来た日本人は数か月もすると,直ぐ外人のボーイフレンドを見つけます。
あたかもクラスの他の日本人を出し抜いたかのように、聞きなれぬ英語をしゃべり初め、“レント(家賃)”から解放され、しかも身近に英語教師がいるかのような優越感を誇示したりします。自分も最初は、こうした事を汚いとか、道徳に反しているとか感じました。 日本人ですから。
アメリカ生活を4年やって、人は生きているうち、一時期、人に指を指される生き方をしても、“とやかく”言ってはならない。 この考えを、今は受け入れています。
それよりも、人が〝澄み過ぎた水の中で、討死“するのを見るほうが辛い

NYにて、日本人の薄っぺらい浮世その年の晩秋、ボスの工藤さんから“久美がヤオハンで、イミグレーション(入国管理局)の査察で違法就労により捕まり、会社側から即刻クビになったみたいだ”と話が。
彼女のビザはH1で本来、この塾以外では働けないビザでした。

その先の話は、工藤さんから聞くまでも無く、自分は分かっていました。
久美はここへ戻って来たいし、ボスの工藤さんも彼の周りを”チャラチャラ“するのは男の自分よりも、女性の方が良いに決まっている。 
まして、二人で塾の給料を分け合うほど、忙しくは無かった。 私がしなければいけない事は決まりました。

12月の中頃、引き継ぎの日、久美は白いワンピースに包まれ、言葉少なげ。 私も同じく。 私たちは約半年前に、時計を戻さなければなりません。 
半年前は、彼女は授業中にブルージーンズを穿きラフな服装で、それで良いの?と言った感じでしたが、今度は”崖っぷち“と感じたのでしょうか?その日の久美は、少し“オシャレ”。
あたかも二匹育った巣穴から、傍らの一匹を突き落すしか無い選択肢と、落ち着きとも、私には届いてきます。


では、また他の投稿でお会いしましょう・・


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