週刊今川氏真詠草&おんな城主直虎の不都合な真実 Vol.18 3月22日号
(2020/03/17-03/22)


もうすぐ花見シーズンの今宵も『おんな城主直虎』、17話「消えた種子島」と18話「あるいは裏切りという名の鶴」 のお話をば。


直虎のもとに直之と方久がやって来ます。二人が見せたのは火縄銃。直虎は何か分からないので、龍潭寺で試し撃ちします。


何故か龍潭寺(^^)。まあ、当時の寺院では武芸に励む僧たちも珍しくなく、傑山は弓、昊天は長刀の達人だったというので、場違いとは言い切れません。


ちなみに、今川領では弘治二年から三年(1556~1557)にかけて駿府に滞在した公家山科言継が家康のいとこおじ松平親乗から「鉄砲の鳥」を贈られているので、この頃にはある程度普及していたはずです。


直之は試し撃ちして見せて、戦力不足の井伊家に火縄銃を導入させたいようですが、方久からは本体も十貫と高いし火薬も必要と言われます。


それを聞いた直虎は一旦難色を示しますが、井平の鍛冶に鉄砲を作らせることを思いつきます。


方久は渋りますが、直虎は方久が借りてきた火縄銃を鍛冶屋に預けます。一方小野屋敷では、龍潭で試し撃ちの場にいた亥之助がおじの政次に弾丸を見せ、直虎たちの火縄銃開発を政次に悟られてしまいます。


直虎は龍潭寺に行き、手習いのために龍潭寺に通い始めた虎松が家臣の少年たちにちやほやされて、五目並べでも手加減されているのを見て叱りますが、今度は子供たちが虎松に手加減しなくなり、虎松は龍潭寺に行かなくなってしまいます。


それで虎松の母しのとすったもんだした直虎は、頭を冷やそうとして訪れた井伊家由緒の井戸端で龍雲丸に再会し、その言葉から、虎松に「勝つまでやめない」作戦を伝授し、虎松は龍潭寺に再び通うことになります。


直虎が一見落着と思って屋敷に戻ると、井平の鍛冶屋に預けた火縄銃の見本と試作品が二丁とも盗まれた、と聞きます。そこに政次登場、その火縄銃を持参して謀反の疑いをかけられると指摘して虎松の後見の座を下りるよう再び迫ります。


駆け足ですが、以上が17話のあらすじです。


井平は井伊谷北方にあり、井伊家一門の井平氏が城を構えて支配していました。実際鍛冶屋の集団がいましたが、鉄砲は作っていなかったと思われます。


もちろん直虎=井伊直盛娘佑圓尼が鉄砲作りに関与したという記録もありません。ですから今回も直虎周辺史実を読み込んだ脚本森下さんの創作です。


今回も直虎は奮闘するが事績は残らないユニークなヒロインでした。火縄銃開発のアイデアは、結局方久が氏真に売り付けて、直虎の手から離れました。


脚本の森下さんは、直虎の事績がないことから、視聴者がドラマを史実と誤解しないように、意図してこういう展開にしているように感じました。


18話の話に入ります。直虎は政次の後見から下りろという要求をあっさり受け入れると答えますが、政次はその旨駿府で太守氏真の前で話すよう要求し、直之を激怒させます。


直虎は政次と共に駿府に到着しますが、意外な事に、方久に出会います。


方久は、「直虎の指図で」火縄銃を鍛冶屋五平ごと氏真に売り渡したと告げます。方久は氏真に駿府で火縄銃を開発する事を持ちかけ、氏真はこれを受け入れたのです。方久はそれを直虎の指図として話したので、直虎は今川の兵器開発に協力した事になり、火縄銃の件は謀反と結びつける事は出来なくなりました。


その後政次を謁見していた氏真のもとに、武田信玄が嫡男義信を謀反のかどで幽閉し、という知らせが入ります。


これを聞いた氏真は病で明日をも知れぬ寿桂尼に呼びかけると、それまで昏睡状態だった寿桂尼がカッと目を見開き、復活します。


なかなか迫力があってよかったですね(^^)


直虎は無事に井伊谷に戻りましたが、南渓和尚に会って、いつも他の誰かに助けられてばかりのふがいなさを嘆きます。


南渓和尚は直虎に、政次も読んだという書物を貸し、直虎は政次の手の内を知りたいという思いから、書物に没頭します。


そこに小野の屋敷に住むようになったなつがやって来ます。政次の弟玄蕃の未亡人です。


政次の疲れた様子を見て、何があったか気になって直虎を訪ねたというなつは、政次が井伊家を乗っ取ろうとしていると疑う直虎に対し、政次を擁護して去ります。


直虎はその事について母佑椿尼と話し合った後、政次が直虎や井伊家を守ろうとして、その意図を隠して一人矢面に立って行動してきた事、直虎を虎松の後見から下ろそうとするのも、直虎たちを守るためだと気付きます。


直虎が龍潭寺に行き南渓和尚を叩き起こしてその事を問いただすと、南渓和尚は「仲良しごっこ」をすれば政次の策を無駄にする事になる、と助言します。


直虎は、井戸端で一人直親に語りかけていた政次を見つけ、井伊家を守る策を政次に問います。


政次は、直虎が自分の心中に気づいた事に困惑しつつも、直虎から「われをうまく使え。われもそなたをうまく使う」と言われて、「戦わずして勝つ」事が大国に囲まれた井伊の生き残りの唯一の道だと答えます。


さらに政次は、信玄が嫡男で氏真の妹の夫義信を幽閉した事を告げ、武田がいずれ今川に牙をむく事、武田と松平の動きに注意する事を進言します。


今回のエピソードは、武田信玄による義信幽閉から、永禄八年(1565)秋の出来事だと分かります。この頃信玄は外交方針を転換し、信長の養女を四男勝頼の妻として迎え入れて織田家との同盟を締結しようとしていました。


これは信玄が駿甲相三国同盟を破棄して今川領に侵攻する意思を明らかにしたと考えられ、義信は氏真の妹の嶺松院の夫として、これを阻止しようとしたと考えられています。


義信はおそらく自害させられ、嶺松院は、氏真のもとに送り返されます。


嶺松院の墓は、氏真夫妻の墓もある観泉寺にあり、今川家への帰還後慶長十七年(1612)八月に死去するまでの動向は不明でしたが、公家山科言緒の日記に登場する徳川二代将軍秀忠の御台所江姫の取次「今川テイ春」が法名貞春を名乗っていた嶺松院と思われます。


そうすると、今川家は、今まで考えられていた以上に徳川将軍家に食い込んでいた事になり、嶺松院の行動には氏真の関与も考えられます。


なお、嶺松院が亡くなった慶長十七年には氏真と蔵春院夫妻が京都から江戸に下向しています。同年正月二十四日が氏真が冷泉家歌会に参加した最後の記録なので、氏真たちがこの年の前半に江戸に到着した数ヶ月後に嶺松院が亡くなったと思われます。


さて、今回も直虎関連のエピソードは、全て脚本森下さんの創作です。例によって関連史実を踏まえた創作です。


瀬戸方久が氏真に鉄砲開発を持ちかけたという史料はありませんが、方久は後に氏真から徳政免除のお墨付きをもらっています。氏真と直接面識はなかったかも知れませんが、何らかの接触が始まっていたかも知れません。


直虎が龍潭寺で何を学んだかは知る術はありませんが、禅寺は兵書や政治書を含む漢籍を所蔵し、禅僧が武士の学問の師となる事もありました。


井伊を守ると自分で決めたから、おなごだから守ってやろうと思うのなら、それは「お門違い」だ、直虎は政次にそう告げました。


直虎が男にいわは「消費」される都合のよい女ではなく、毅然としたハンサムウーマンとしての人物造形はこの作品の魅力だと思います。


今宵はここまでにしとうござります。以下は過去ツイート再掲です。

 


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今日も氏真さんの一首を。

 

 述懐
なき時はあはれとおもふ人もあらん世にあかれつゝ長ゐせり共(6―729)

 

慶長十七年(1612)夏ごろ?この年氏真は江戸下向後、八月に妹の嶺松院(武田義信正室)と死別したようだ。
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#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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今日も氏真さんの一首を。

 

 かたはらに人のあつまるをみれは花一本あり
深山木も浮世の花にふれてより今更人にしられぬる哉(1―232)

 

天正三年(1575)三月二十日、相国寺での信長への蹴鞠披露の後の心境を詠んだようだ(続
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氏真が公家衆と共に行った蹴鞠披露は以前触れた『信長公記』のいう「主上公家武家ともに御再興」の一環で、恥ずべきものではなかったが、こんな形で名を知られるとは、と複雑な心境だったようだ。
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悪夢で目が覚めたので記録。
名古屋のロビー?で「東京よさらば」(意味不明)と言っていたら、右手の窓の向こうに赤黒いマグマみたいな巨大なシフォンケーキが立ち上がり、その幹がやや細くなりキノコ雲に変形。窓からは幹しか見えないが、人々が騒ぎ始め、爆風が来ないかと心配して目覚めた。
(続


その後北朝鮮の飛翔体のニュース。その夢の前も沢山変な夢を見た。再会した昔の知人の部屋でコタツに向かい合って座った。薄暗くモニターが並ぶ昔のSF風地下秘密基地で衝撃波を受け、他の隊員?は前に投げ出されたが、自分だけ何ともない、と思ったら数十秒後自分だけ投げ出された(続


投げ出された床には別の赤毛の白人隊員も横になっていて、そのまま英語と日本語交じりのメモを見せられ現状説明を受けた。地下基地の上には色々インフラがあるが、プライオリティは鉄道だとか(意味不明w)
 (続


キノコ雲の悪夢の後、目覚める前に久しぶりに心臓が不安になるほど動悸を感じた。
最近のコロナウイルス騒動とか世情不安で自分も無意識に不安になっているかもしれない。目覚めたら心臓は何ともなかったけど(^^)

 

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花見シーズンの今日も氏真さんの一首を。

 

 花始開
待ほとはおもひまかへし白露の光ことなる今朝の一花(2―10)

 

天正五年(1577)春?失意のうちに牧野城を出た後、待ちわびていた桜を見て詠んだ一首のようだ。
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今日は信長への出仕後天正三年(1575)三月十七日?の氏真さんの四首を。

 

  鞍馬のうす桜とて人の持きたる
一枝の花にしられてくらま山夜もたとらし深き色かは(1―224)

(続
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先月見られなかった鞍馬の雲珠桜を持参してくれた人には、これほど深い色香なら、夜になっても迷わず見つけられますね、と詠んだ。氏真の出仕の首尾を知ってから、夜のうちに花を取りに行ってくれたのだろうと思いやったようだ。(続


 諸国貴賤花見る事まゝたると聞て見残
 す方多し大原野の花とて人の送る
世を背く心そあさき大原やかゝる桜の花を見るには(1―225)

 

大原の桜を贈ってくれた人には、和泉式部と少将井尼の歌のやり取りを踏まえ、このように美しい桜を見ると、世を捨てようとする心も浅くなりますね、と詠んだ。(続


 小原の花手折て行色ふかししつ原も同じと云
見るからにしつ心なししつ原やをはらの花の折や過まし(1―226)

 

外出先の小原静原では、紀貫之の有名な古歌を踏まえて、名前は静原にもかかわらず「しづ心」なく散る桜を惜しんだ。(続


 八幡の花人のをこせるに

木の本の面影なからやはた山折つたふ花の枝にみる哉(1―227)

 

八幡山の桜を贈られて、花の枝から桜の木全体の見事さが想像できます、と返した。

以上から、氏真の信長への出仕が上首尾に終わると、少なくとも三人の「人」が善意か打算かはともかく、桜を愛する氏真に祝福の花を贈ったことが分かる。(続

 

国主級の氏真の「御出仕」は、『信長公記』のいう「主上公家武家ともに御再興」として新たな「上様」信長を権威づける一大イベントの一環で、氏真は一躍時の人として「人に知られ」るようになったようだ。
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今日は氏真詠草はスキップします(^^ゞ
そのかわり、明日は四首ご紹介します。
それがしの書いたものを詠んだ方はご存知ですが、信長に「御出仕」の後、面白いことが起こったので(^^)
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今日も氏真さんの一首を。

 

 あたり立まはれは終夜人の絶間なし
ことはりの花のなかめに暮はてゝ思へは月の都成けり(1―223)

 

天正三年(1575)三月十六日信長に出仕。「花の眺め」時流に乗って信長に会うことを指すようだ。
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週刊今川氏真詠草&おんな城主直虎の不都合な真実 Vol.18 3月22日号
(2020/03/17-03/22)