よくバイト先の方と子供の頃の話をしたりするのだがそこで言われるのが

「四コママンガを書いてブログにした方がいい真顔
(その人は私がブログをしていることを知りません)


という事で厳選した話を書いてみようと思います照れ
あっ四コママンガではありません口笛



母は新興宗教にどっぷり浸かっていました!

私が幼稚園の頃に入会したのかな。

私と弟達は入会出来る年齢になったら学校を休まされて入会のための儀式に参加させられましたショボーン

父も紆余曲折あり、無理矢理入会させられましたガーン

母の心の拠り所がこの新興宗教だったので私が学生時代に母から出てきた言葉は基本そこの教え。

あまりにも母がどっぷりはまり込んでいたので、逆に父と私達姉弟は全く信仰することなく拒絶に拒絶を重ねていましたプンプン

母にとっては最後の瞬間まで心の支えだったのは間違いありません。

ただそれを強制される子供はたまったもんじゃありませんでした。

母が亡くなった後に教団の方と会ってお話をし、揉める事なく辞めることが出来たのが唯一の救いですグラサン

実家にはその教団が出した本が大量にあります笑い泣き
処分に悩みます。
いっその事庭で燃やしてしまいたい炎



登校拒否!!それぞれの行き場所!

私は高校1年生の夏休み後に、弟は中学生の時に登校拒否をしていましたショボーン

私は朝父に駅まで送ってもらい、駅のトイレで制服からジャージに着替え市民プールへ浮き輪

そこで1日泳いで夕方家に帰る生活を約1ヶ月しました。
その間先生は私の携帯には連絡をしてくるも、私を信頼してくれて家には一切連絡をしませんでしたキョロキョロ

弟は家を出ると近所の山を登り、市内を一望できる所でボーッとしている所を学校から連絡を受けた母に見つかり、家に戻されるというのを3年間続けました富士山
そんな弟ですが、強歩大会や修学旅行、文化祭などの行事だけは休まず参加するというある種のハートの強さを発揮していましたびっくり
さぞかしクラスメイトは気まずかったことでしょう。
未だにその理由を聞いても教えてくれませんグラサン



保険証は破り捨てるもの!

私が20歳の頃から母は保険証が届くと自分のものは必ず破り捨てていましたニヒヒ

血便が出るようになって2年程経った時、ようやく病院に連れてってと言った母。
それまでどんなに説得しても病院には行こうとしませんでした笑い泣き

そして病院に行く前にしたことは市役所に行って保険証の再発行をしてもらうポーン

だって届いたばかりの保険証を毎度破り捨てていたんだから滝汗

では何故保険証を破り捨てていたのか...理由はとある事故がきっかけでした真顔

私の家の近くには高校があるのですが、そこの生徒の原付と母の車が接触事故を起こしてしまったのです。
お互い幸運なことに怪我はありませんでした。
正直相手に非のある事故だったのですが、車と原付、しかも今みたいにドライブレコーダーがついてる訳でもなかったので100%車が悪くなります。

母が謝罪に伺った時、相手の父親が市役所の国保担当の方だったそうで

「お前の名前と住所は覚えたからな!
お前を一生病院に行けないようにしやる!
保険証を使ったらお前の家に乗り込んでやる」

と脅されたそうで、それ以来保険証を破り捨てるようになったのです...チーン



得意技は往復ビンタ!最終兵器は包丁!

母が子供を叱る時は往復ビンタが鉄板でしたニコ
物心ついた時からそうでした。

弟は中学生の時、登校拒否をしていました。
そんな弟を叱る時、母は包丁で弟の頬をビンタして

「学校に行かないならこれで私を殺せ!」

とよく言っていました。
更に包丁を持っていない手で往復ビンタ。

弟はのちのち語りましたにやり

「メガネの上からビンタするとかありえない。
メガネは吹っ飛ぶし、壊れるし」

もう一人の弟が高校受験をする時、スポーツをしていたので複数の高校からスカウトが来ました筋肉
が、部活の先輩から虐められていた彼は高校では絶対続けたくないとその部活がない学校を選択。

それに怒り狂った母は毎日のように往復ビンタまたは包丁を突きつけるを続けましたアセアセ

でも結局弟は自分の意思を曲げませんでした。

ちなみに私は包丁を突きつけられたことはないかな...記憶を消しているだけ...?
ただ20歳を過ぎてもビンタはありましたうーん

でもある時気づきました。

抵抗出来る!

子供の頃は母の機嫌を損ねると動くことが出来ず、部屋の隅で直立不動で3時間近く立ち続けるのは当たり前。
大体3ヶ月に1回そんな事がありましたしょんぼり
20歳を越えてから凄く大きく見えていた母親が思っていた程大きくないことに気づき、ビンタをし返す、やられそうになったら腕を掴む、足を出すといった抵抗が出来るようになりましたイヒ

あっ弟達が包丁で怪我をすることは1度もありませんでしたキラキラ



相談はしないです。全て事後報告です!

こんな環境で育ったものですから、うちの家族は姉弟だけになった今でもお互いに相談をする事はありませんニコニコ
全て決めてから報告しますグッ

姉弟の志望校を決める時も全て自分で決めて親は三者面談の時に知る。

父が大型バイクを買った時も一切相談はなく、腰の手術をした時も、会社を辞めた時も、癌が見つかって全ての延命治療をしないと決めた時も一切相談はありませんでした。



仏壇が宙を舞う!

中学生の頃、両親が夫婦喧嘩をした時、大きめの仏壇が父の手で宙を舞いました流れ星

この事がキッカケで50cm位の仏壇が私の部屋に置かれるようになりましたアセアセ

数年後、母と喧嘩をした時、私の手により仏壇が宙を舞いました流れ星

この事がキッカケで仏壇が動かないよう固定されました。

数年後、母と喧嘩をした時、父の工具箱からドライバーを持ってきて固定具を外した私の手によって仏壇が宙を舞いました流れ星

この事がキッカケで仏壇を新調し、固定具のネジ穴を潰して外れないように固定されました。

実は仏壇は母が信仰していた新興宗教ではとても重要なアイテムだったのでよくターゲットになりましたショボーン

そもそも私の両親は末っ子同士だったので当時仏壇が家にあった意味がわかりませんガーン 
今では仏壇にちゃんと両親のお位牌を置いてありますが、お位牌は教団仕様...

我が家は父の実家と同じお寺の檀家なのですが、お寺には許可をとりましたアセアセ

でも思います、お位牌を作り直したいと...



居間のガラスはよく割れた!

私が幼稚園の頃、夫婦喧嘩をした結果、父が外からヘルメットを投げて居間の窓ガラスを割りましたゲッソリ

私が幼稚園の頃、夫婦喧嘩をした結果、父が居間の引き戸のガラスを素手で割りましたポーン

私が高校生の時、夫婦喧嘩をした結果、父が外から金槌を投げて居間の大きい窓ガラスを割りましたゲロー
その時丁度父に背を向けて大きい窓ガラス側に座っていた母は砕けたガラスを浴びました滝汗



食卓も宙を舞う!

私が小学生の頃、夕飯時に些細なことで夫婦喧嘩が始まりましたねー

その結果父は星一徹並みのちゃぶ台返しをした上、それでも腹の虫が収まらなかったらしく隣の空き地に向かって皿やお椀を投げつけていましたおーっ!

私は何とか自分のお茶碗とお皿は死守した覚えがありますウシシ



照明も宙を舞う!

私が高校生の時、家を建てた時から使っていた居間のペンダントライトが遂に壊れてしまい、新しいものに新調しましたチュー

その日の夜、夫婦喧嘩の末に父はその時ハマっていたバランスボールを投げるとピンポン玉のようにバウンドしたバランスボールが替えたばかりのペンダントライトに当たり、ペンダントライトは宙を舞いましたびっくり

あっっっハッハッハッハッハッ

運良く壊れなかったそれはその後父が気まずそうにつけ直しました口笛

今そのライトは実家の私の部屋に取り付けられていますウインク
10年以上経ちますがいまだに現役です爆笑



お通夜状態が1週間!

両親の夫婦喧嘩は大抵の場合

父が軽く注意する→難聴で父の言葉を聞き取れない母が罵られたと思い込む→母が1人で怒り泣き喚く→父も怒り狂う

というパターンでしたニヤニヤ

こうなるとお互い頑固なので1週間は口を聞きませんゲロー
テレビは居間にしかないので夜皆今に集まりますが、誰も一言も口をきかないチーン
両親のどちらかが居なくなると話をしますが、父がいる時に父と話すと母がへそを曲げて長期化するので私達は両親の特に母の顔色を伺いながら1週間を過ごしましたちゅー
1週間を耐え凌げば鎮静化して普段通りに戻るのが常でしたウインク



気に入らないと破きます!

私が小学生の時の冬休み、冬休みの友という宿題の冊子があったのですが1ページもやらないままでいた時がありましたイヒ
それに気づいた母は

「やらないなら捨てる」

と言って修復不可能なまでに破ったのですアセアセ

これは勿論私が悪いのですが、むしろ宿題がなくなってラッキーと思った記憶がありますニヤ
全くダメージを与えられないのでオススメはしませんイヒ

弟達も同じ経験をし、更には書き終わった読書感想文をビリビリに破られたりもしていましたガーン

夫婦喧嘩をした後なんかは珍しく大人しいなと思っていると一心不乱に自分の漫画や小説をビリビリに破っていた事もありましたしょんぼり
最後は細かい紙だらけの部屋で一点を見つめてボーッとしていました真顔



新興宗教Part2 家族のことではないですが...

20歳の頃、化粧品の営業のバイトをしていたことがありました爆笑

いつもの様に営業所に行くと所長から

「今日は私と一緒に営業に行くよ!」

と言われました。
所長の車に乗り、向かった先は大きな一軒家。
部屋に案内されると祭壇があり、20人くらいの人が居る!?

まさか!?いや、そんなはずは...ガーンガーン

気づけば新興宗教の入会の儀式が始まっていましたショボーン
逃げられる雰囲気ではなかったので抵抗はしながらも儀式を受けることに。
終了後所長を問いただすと

「大丈夫!お金は私が全部出したから。
本当はAさんが来るはずだったんだけどお子さんが熱を出して来れなくなっちゃったの。
お金がもったいないからあなたを連れてきたのよ!」

と言われました。
Aさんは逃げたんじゃ...

私が思うにこの家は所長のお得意様で化粧品を買ってもらう代わりに営業所に新しく入った人を入会させているんじゃないかな...びっくり

この後すぐに営業所を辞めました。
この新興宗教についてはその後特になにもアクションはありません。




母と夫婦喧嘩がメインになってしまったアセアセアセアセ

こんな両親ですが普段は2人で仲良く買い物に行ったりもしていましたよルンルン

ただ母は少し心が弱かったのかなキョロキョロ

まあそれでもそれが普通だと思って育ってきたので成長する過程でドラマとか漫画や小説、ドキュメンタリーなんかを見て普通じゃないなと気づいてはいましたが、私達にとってはこれが普通でしたチュー

家族が皆不器用だったんですね!

それに365日ずっとこうだった訳では無いしウインク

私達姉弟は仲も良く、健康にここまで成長してきたし照れ

今の自分があるのも両親のお陰、感謝もしていますおねがい

それに両親が癌になってからはだいぶ良い家族の在り方へと変わっていきましたニコニコ


ただ一つだけ心に誓っていることがありますウインク

それは自分の遺伝子を残さない事!

結婚して子供が出来たら母のようになってしまうことは間違いないので絶対に子供は作りません真顔

母の性格は従姉妹も認める位祖母にそっくりなんです。

しかも両親ははとこ同士なのでなんとなく両親の性格も似ていたんですニヒヒ

たまに育児ブログで『子供には夫婦喧嘩を見せない』と書いてあるのを見ると凄いなと思いますが、私には出来ないと思います。

だから絶対にこの血は残したくないとそう思っている私ですちゅー