私の一番星

「また明日来るね」

 

そう言って病室を出たあの夜が

祖母と過ごした最後の夜だった

 

5歳の時、

母を亡くしその後父は蒸発、私達姉妹は両親を無くした。

これからどうする?

 

養護施設に預けるか

祖母が引き取るか

当時、親戚一同で問題となった

 

自分の息子が出て行き

母を亡くした私達を不憫に思った祖母が育てると言い出した

叔母達は猛反対

 

まだ5歳の私と小学1年生の姉を育てるなんて

無理だと周りは反対した 

 

それでも祖母は譲らなかった

3人での生活が始まった

 

私は祖母が大好きだった

 

両親の居ない寂しさを祖母が全部埋めてくれた

 

愛情いっぱい、

学校にも通わせてくれて友達もたくさん出来、

高校を卒業し無事に社会人として就職した

 

内定を貰った時の祖母の嬉しそうな顔が今でも忘れられない

両親が居ない、親の愛情を知らない、辛くないわけがない

大きくなるにつれて、申し訳ない気持ちが大きくなった

 

私達の世話で老後を台無しにした

 

5人の子供を育てあげ、

やっと落ち着き自分の為に使える時間を

私達は全て奪ったように思えた

 

それでも小さい時から

祖母に見棄てられたら施設に行かなければならない、

そんなことをずっと考え、

顔色をうかがいながら大きくなった自分もいた

 

祖母が90歳を過ぎた頃、

足腰共に弱くなり家で暮らすのも難しくなり

老人ホームに入所した

 

初めて祖母と離ればなれになった

 

毎日、出勤する時は窓から手を振り送り出してくれた

帰ったらおかえりと言ってくれた

 

もう二度とそんな毎日は返ってこない

祖母はまだ生きているのに、思い切り泣いた

 

当たり前の毎日の有り難さを痛感した

それから毎週、ホームに会いに行った

 

「明日は土曜日、お孫さんが会いに来るね」と

介護士さんが言うと

祖母はとても嬉しそうに笑うと教えてくれた

 

私を待ってる人がいる、

そう思うと身体が疲れていても、

友達の約束よりも祖母に会いたい気持ちがより強かった

 

認知症になり、

娘の名前も忘れる中、私の名前は最後まで覚えててくれた

 

祖父のお墓に行く度に

「じいちゃん、ばあちゃんを迎えに来ないで!

私にはまだまだばあちゃんが必要だから」

ずっとずっとお願いしてきた

 

肺炎になり、病院に入院した

毎日高熱が続いた

もう話すことも出来ない

 

 ただ手を握るだけ…

一瞬、私の心が折れた…

 

「じいちゃん、もういいよ、

思い出いっぱいやからばあちゃん迎えに来てもいいよ」

 

3日後、静かに息を引き取った

 

あんなにたくさんの時間を

一緒に過ごしたのに看取れなかった

 

人一倍の泣き虫の私、

きっとそんな姿を見せられなかったなかな

 

最後まで優しかった祖母

 

ありがとうなんて言葉じゃ全然足りない

亡くなって9年、

私の心の時計はあの日のまま

 

それでもいつか私が天国に旅立ち祖母に会えたら、

よく頑張ったねって言ってもらえる人生を歩みたい

 

私にとって祖母は今までもこれからもずっと一番星☆

 

心の中で思い出と共に輝き続ける

 

ペンネーム

ティス