実家の蠟梅の花が咲きました。
昨年、夏ごろだったか、母と二人で、剪定したので、
花がついた嬉しさはひとしお。
さて、背景からわかる通り、実家は、50年前に建てられた「団地」。
畳1畳ほどのブロックが各戸に割り当てられて、
花を植えたり野菜を植えたりできます。
以前は、父が主に面倒を見ていましたが、今や、自宅を出て、
建物の裏側のこのミニガーデンに行くのも大変になってきました。
でも、花が咲いたので母が誘って、見に行ったらしいのですが、
もう、それで疲れて、帰ってきたらぐったりだったそうです。
さて、昨日母から、ラインで、愚痴メッセージ。
知り合いのお葬式の連絡が入って、母が、その日は都合が悪いというと、
一人で行くと言い張っている・・・。
お葬式場は、バスと電車を乗り継いで小一時間かかる場所で、
家の裏まで行って疲れたといっているのに、絶対に一人で行けるはずがない。
(以前、バスのステップが上がれなくて、転んでしまった実績もあり)
で、困ったなぁと思っていたら、2時間ほどして、母から
またラインのメッセージ。
「場所を調べて、行き方を説明していたら、小さい声で、やっぱり
”行かへん”と言った。すぐに香典を郵送しろというので、今から
郵便局行ってくる。ほっとした・・・」
前も、新年会のお誘いを受けて、父は、”行きます”と返事したので、
どうしようかと思っていたら、しばらくして、”やっぱり行かない”
と言って断りをいれた実績のある父。
知り合いからの電話を受けると、ちょっと元気な時の記憶が蘇って、
なんか、できそうな気がしちゃうのかなぁ。
ほんと、新年会くらいは時間さえあれば、車で送ってあげられる場所
だったのだけど、ホテルとかってさ、駐車場から結構歩くじゃないですか。
もうその距離が歩けるかどうか不安。
車止めで下して、一人で放置もできないから二人付き添わないといけない。
母からのラインの最後に、
「お葬式のお知らせは、してくれるのも親切だけど、連絡しない親切もあると
勉強になった」
とありました。
超高齢化社会(ケアマネの友人曰く、高齢化ではなく、日本は高齢社会)。
家族葬がすごく一般的になってきた理由を実感した出来事でした。