義父は
昨年の7月
肺の末期癌と宣告され
化学療法や放射線治療は受けず
ホスピスという道を
選びました


2月の時点で
体の調子が悪く
レントゲンを撮ってもらった時に
癌は心臓の背後に
隠れていて見えず
もう一度7月に
CATスキャンで確認したら
癌だとわかったのです


2月の時点でCATを
取っていれば...
発見が少しでも早かったら
後悔惜しまなかった義父


義父の家は
うちから一時間半ほど
離れていて


10月にうちに
越して来るまでの間
義父は
義父の家で
安静に余生を
過ごしていると
思っていました


同じ町には
義父の娘二人
旦那の姉と妹が
住んでいます


義姉は在宅ワークできる
仕事だったので
昼間は義姉がお義父さんの介護をし
27歳の義姉の娘(姪)と
姪っ子のボーイフレンドが
義父のうちに
引っ越して来て
夜はこの二人が
介護をしていました


旦那とうちの家族は
週末だけ
会いに行っていましたが
最初のうちは
義父は自分の衰えた姿を
孫に見せたくないと言い
会いに行っても
私と子供達は
面会できなかったのです


義姉の娘二人と
姪の子どもには会っていた
義父


旦那と私はなぜ
義姉の子供や孫には
会うのに
うちの子供達には
会わないのか
理解に苦しんだのですが


まあ
お義父さんが
うちの子供達には
衰えた姿を見せたくないと
いうのだから
しょうがないと思い
会えなくても
私たち家族は
毎週義父のうちに
行っていました


義姉はうちの子供達の
ベビーシッターを
してくれたり
次女ナナが流動食になった時も
サプライヤーと
連絡を取ってくれたり
うちの子供達と仲が良く
私も頼れる人だと
思っていたのです


義父の介護が
始まり
義姉は人格が変わっていった
というか
本性を出し始め


まず義姉の娘(姪)と
ボーイフレンドが
義父の家を
買いたいということで


癌で痩せこけて苦しんでいる義父を
弁護士のオフィスに連れて行き
義父の家を
相場の2/3の値段で
姪っ子に売るという
遺言状を書かせました


また
義父はアンティークの
コレクターで
義姉は
自分が欲しいアンティークを
くれないと
お義父さんの介護はしない
と義父を脅し
次から次へと
義父の家からアンティークを
持ち出していたらしいのです


義父は仕方なく
義姉の言うがままに
うちの中に飾られている
アンティークの数々を
あげていたらしく


しばらくして
義父は
自分の娘に脅されながら
介護されるのが
嫌だと旦那に訴え


旦那が
アンティークオークション会社に
連絡を取り


家の中にあった
1000個以上の
アンティークを
取りに来てもらい
オークションで
売ってもらいました


これで義姉は
諦めて
脅しももう終わると
思っていたのですが...


義姉は昼間
介護をしながら
また
在宅ワークをしながら
アルコール飲料を
飲んでいたり


また
お義父さん一人置いて
2、3時間どこかに出かけたり
していたらしいのです


そして10月初めに
ホスピスの看護婦が
泣きながら
旦那に電話して来ました


義姉が
お義父さんと
喧嘩して
ホスピスの看護婦の前で
義父を罵り
もう介護はしないと言って
うちを出て行ったのはいいが
帰って来ないので
ナースも次の患者のうちに
行かなければならないが
お義父さん一人置いて
帰れないと...


義姉がお義父さんにした行為は
病人虐待だと
看護婦は言っていたそうです


すぐに
旦那は義妹に連絡し
ナースが帰れないので
義父の家に行くように指示し
旦那も
うちの障害者用のバンで
迎えに行き
義父を
うちに連れて帰って
来たのですが


その次の日
義姉は弁護士を
雇って
うちの旦那が
お義父さんを誘拐した
訴え


義父は
うちに来た
次の日
弁護士のオーダーで
救急車でまた自分の家に
ひとまず
帰ることになったのです


アメリカで救急車を
頼むと高く
義父の保険が効いても
義父は
諸費用2300ドル
払わなければ
ならなかったようです


義父と旦那も
すぐ義父の弁護士に連絡を取り
双方の弁護士が話し合い
ホスピスのナースが
義姉のnegligence(過失)を証明し
義姉の告訴は取り下げられ
お義父さんはまた
うちに戻って来れたのですが
あのまま
義父を義姉に介護させなくて
本当に良かったと思います


旦那はFMLA
(家族の為の医療休暇)を取り
昼間義父の
介護をし
1月には旦那が倒れて
旦那が手術という
ハプニングもありましたが
旦那は
義父が
亡くなるまで
4ヶ月間に渡る介護を
全うしました


義父は
うちに来て
旦那が作る料理も
たくさん食べ
一時期体重も増えたり


うちのうるさい子供達に
囲まれても
賑やかで寂しくないと
言ってくれていました


また
義姉が義父の
兄弟姉妹に電話をかけまくり
旦那と私達家族の悪口を
言いまくって
いたらしいのですが


最後に義父は
自分の兄弟に
旦那と私のことを
悪く思われたくないといい
自分から兄弟に電話してくれて
私達の汚名返上を
してくれました


息を引き取る前
義姉にも義妹を通して
連絡して
うちに来てもらい
お義父さんに最後会えるように
取り計らったのですが


うちに来た
義姉は
お義父さんの耳元で
何かゴソゴソと
話をして
義父が使っていなかった
義姉の勤める会社から
購入したという枕を
片手に
うちに来てたったの5分で
出て行き
そのまま
戻って来ませんでした


いろんなことがあったので
義姉は
私たちの家には
居づらかった
とは思うのですが


たったの5分だけ
最後のお別れをして
枕は自分の会社が
売ったものだからと言って
持って帰った
義姉の行動は
本当に理解しがたいものが
ありました


父親と最後
一緒に居たかったのなら
私達のことは
無視して
ずっと側にいてあげれば
よかったのに


また
ここで
私達と和解できるチャンス
だったのに

今でも思いますが


義姉は
そうは思わなかったんでしょうね


自分がやったことは
正当化し
義父を奪われたかのように
私達を
逆恨みしている義姉


旦那ももう義姉とは
話をすることはないだろう
言っています


家族なのに
本当に
残念です


あんなに
私達と仲が良く
姪っ子も日本に一緒に
連れて帰ったり
していたのに


お金が絡むと
こんなにも
人間は変わるのか?

改めて
感じた悲しい
思い出です

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3年前に書いて公開するのを
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英語と日本語で書いています
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