秀吉が信長の命にて、中国攻めをしていた際に
『宇喜多領内を通過する際には、領民に乱暴を働かないように』
という内容の手紙が、送られていて発見されました。
この手紙の内容が、温厚で人心を得ていたとされる秀長に送られていた事が意外に感じたり、まだ豊臣姓を名乗り不遜な人物像が伝えられる様になる以前の、羽柴姓を名乗っていた温情厚く人好きだったとされる頃の物だった為に、らしいなと感じたりしています。
羽柴秀吉肖像画
豊臣姓になってからの秀長肖像画
またこの手紙は、梟雄で知られる宇喜多直家の領内を通る際の注意事項だった様で、後にそんな男の息子(秀家)の面倒を見て、豊臣政権末期には五大老の一人にまで抜擢した事を考えると、色々と想像が膨らむ興味深い内容です。
宇喜多直家肖像画
この手紙は愛媛県西予市にある 『県歴史文化博物館)』 にて、開催されている特別展で来月の中頃迄、一般公開せれている様です。