言葉の理解力 | 戦国好きのアドリブ雑記帳

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戦国ネタ(話)が多いですが、基本は感じたこと雑記した内容です・・はい。

ちょっと面白い記事を、ネットで読みました。

その記事では、こんな内容が書かれていました。

ここに1つの文章があります。

『誰もが、誰かを恨んでいる』

この文章から、自然なかたの意味合いで、文章の発言者が受け身になる様な形に直すとどうなるか?

これは

『誰もが、誰かに恨まれている』

とこう表記する人が大多数になり、そこに疑問を抱く人は少ないというのです。

確かに、私もこれを読んで

誰もが、誰かを恨んでいるのなら、逆説的には、誰もが、誰かから恨まれる事になる。

だから、自身が受け身で捉えれば、恨まれている事にも意識を持つ事は大切だよな?

等という、更に突っ込んだ、余計な理解による思考を広げてしまい

『誰もが、誰かを恨んでいる』
からの
『誰もが、誰かに恨まれている』

は、受け身の文章として、成立すると思ってしまいました。
(゜.゜)

ですが、実はこれは意味を同じくした文章としては、全く成立しない評言でした。

どういう事かと言うと・・

例えば、3人の人達と、相対する3人の人達による6人の人達がいたとします。

この6人を仮に、ABCとXYZという人達で表します。

『誰もが誰かを恨んでいる』
状態が成立する図式の1つに、Aさんも、Bさんも、Cさんも、相手方のXさんしか恨んでいません。

相手方では、Xさんも、Yさんも、Zさんの3人は、AさんとBさんを恨んでいても、Cさんは恨んでいない。

こんな状態でも、先の
『誰もが、誰かを恨んでいる』
は、文章評言として成立しますよね。
※みんな誰かを恨んでいますからね。

ですが、この状態では
『誰もが、誰かに恨まれている』
は、成立しません。
※Yさん、Zさん、Cさんの3名は恨まれていませんよね。

結果的に

『誰もが、誰かを恨んでいる』
からの
『誰もが、誰かに恨まれている』

は、受け身の文章への変換としては、不成立となります。


これは、私も説明をされなければ

『そうだよ、これは発言者の立場では、自身も誰かに恨まれているんだよな』

なんて、勝手に誤解して余計な思考までも巡らせてしまいました。

言葉って、キチンと意味を理解するのは難しい物ですよね。
(ToT)