キラキラ星キラキラ

 

私がこの人生/世界に持ち得てきたものが、

いつも皆様のために、この世界のために

どうか役立っていますように☆彡

 

大雨洪水による被害に合われた方々、

少しでも早く元の生活に戻れますように☆彡

 

日々、心込めて天に祈り、

全国の神獣・聖なる存在に願っています☆彡

 

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ありがとうございます

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皆様こんにちは、Iori/イオです!

 

皆さん、元気にしておられましたか?

何事もなく過ごされていますか?という言葉は、適切かどうか…ですね。なので、それを言うのはやめて―――

 

何があっても、目の前の出来事を目いっぱい大切に味わい対処していく気持ちがあれば、何事もなるようになります。

目の前の、今この記事をお読み下さっている何気ない一瞬も、この地球上に生まれてくることがなければ、味あうこともなかった一瞬なんだ!と思ってお過ごしください。

 

きっと何事も良き流れへと向かうでしょう!

 

さて、新学期が近づいてきました。

この時期、憂鬱になってしまう人たちも多いかもですね。

 

私は、新学期が近づく度、日曜日になる度、その日曜日が終わる度、休み明けを迎える夜になる度に…毎回、寝てる間に死んでしまったら楽なのにな…とか、明日という日なんかいらんねん!とか悪態ついて布団の中で迫りくる憂鬱の波に耐える思春期を…12年間過ごしました。

 

中学でちょっと不登校になった時、担任教師が家に何度も来るので…仕方なく、すぐに学校に行き始める羽目”に。

しかし、高校に入ったら、かなり自由が利くようになり(いや、校風とかかなり厳しくはあったのですが…ヤバグレ寸前の身だったので、何をしてでも帰る時には帰る、という感じで)殆ど学校に行かなくなりました。

 

この世に必要のない奴はいないっていうけど…私って、どう考えても必要ない人間じゃん。こんな生き方してる情けない奴のどこが、何が、この世に必要と言えるんだ?

テキトーなことばっか言って、人の人生だと思ってなめてんのか?…と、それはそれは、罵詈雑言の悪態ついて人を責め、自分を呪い(もう嫌うとかのレベルを遥かに超え、呪うのレベルで)自分を忌み嫌っていました。

 

自分という存在に嫌悪しか感じない人間に、きれいごとは届きません。キラキラした言葉は、ただの薄っぺらい透明なオブラートみたいなものでしかなく、何の意味もありませんでした。

そんな私は、多分、20代で呆気なく死に、誰からも愛さることも慕われることもなくこの世での生を終えるんだと思っておりました。

 

あれから、本当に色々、ありました。

人生とは、こんなにも複雑に目まぐるしく、ジェットコースターより浮き沈み激しく、こんなに大変なものなのかい?…という状態を、今でも味わっている私…。

 

ご存じの方もいますが、思春期の多感な年頃の時、元々私に集団でいやがらせしていた人たちの前で、体育の授業中…自分も親も知らなかった先天性の病気による発作的発症(私には両膝に膝蓋骨/いわゆるお皿の骨脱臼という変な病気があります)で、ド派手に脱臼して転び、集団で指をさされて大笑いされるという屈辱経験があります。(血が溜まり靱帯損傷と断裂、骨分裂とかもうすごい大変なことになり、手術する羽目に~。今も後遺症ありです…)

 

それまでもよく原因不明に膝に突然激痛走っていきなり派手に転ぶという経験をしてはいたのですが…どの病院に行ってもただ落ち着きがないだけ。成長に伴う一時的な不具合と言われ、あげくの果てには気のせい。君ね、気にしすぎ。大袈裟…と言われてしまいました。

 

この経験は、私という人間は、何でもないことでいちいち大袈裟に騒ぐ人間なのか。つまんないことで人の手を煩わせる奴なのか。そうか、私が悪かったのか…』という、それから長ーい年月に渡って人に安易に助けを求めてはいかん。大したことではないのに自分で何とか出来るだろ』…という思考を植え付ける結果になりました。

 

それもあり、小学校の頃からずっと、変な奴・変わり者として扱われていじめられていた私は、人に助けを求めない性格になったせいで、ますますヘンコツな変わり者にして可愛げのない奴として扱われるようになり、人に助けを求めないから余計…これ幸いと、より一層いじめの標的にされていくのでした。

 

そんなだった私は、今では、本当にありがたいことに、記事の更新がない間も、いつ更新されますか?早く更新を~とお伝え下さる皆様に恵まれ、気長に更新を待ちながら過去記事にずっと目を通し続けてだくさる方々に癒され、本当に、奇跡のような人生を歩めるようになっています。

 

ありがとうございます(;_;)/~~~♡

 もう本当に嬉しい限り。

 皆様のお声に励まされているおかげで、この活動を楽しく続けられております

 

紆余曲折・艱難辛苦・波乱万丈・あれやこれや…なんか色んな四字熟語浮かびますが、どれも今は置いといて―――

 

一昨日、マスターのご厚意で、骨盤矯正脊椎ヒーリングを受けまして、このところずっと私を悩ませている首の不調と背中の調整などして頂きました

 

おかげで昨日今日と、体、軽し(´∇`)

マスター、ありがとう!

本当に助かりました!!

 

いつもマスターとめえさんには(めえさんの脳脊髄液とお鏡ヒーリングおすすめですよ☆)、ヒーリングで本当にお世話になっておりまして…(゚ーÅ)

 

これまでにもたくさんの方のご厚意によるヒーリングに本当に助けられてきて今があります。

 

人のご厚意のありがたさに、こんなにたくさん触れる日が来ること、あの頃の私には、露ほども分からず、ただひたすら「この一瞬の苦しみ」を耐え忍んでやり過ごすことのみに意識集中して生きておりました。

(両親が悲しんだらアカン、の一心で自殺願望を抑えて危ういつな渡りな状態で生きてましたが、さすがに思春期の多感期にそれも続かず…自殺未遂常習犯みたくなってしまいました)

 

学生は、みんな喜ぶ『休み時間』『昼休み』…。

私は1ミリも嬉しくない。

それは地獄の10分間、昼休みなど、生き地獄の時間なだけ。

 

夏休み・冬休みの突入は、そりゃあそりゃあ嬉しかった。

けれど、新学期が近づくにつれ…それはそれは苦しい、嫌悪と呪いの生き地獄への突入開始カウントダウンな心境の日々となり、ただただ憂鬱極まりないだけのものになった。

 

あの時期を思い返すと、今でも、辛い…。

一人ぼっちで、誰にも相談せず、よくぞ耐えたね…と、それしか、思い浮かばない。

 

休み時間になる度に、目を閉じて無になって耐えていました。

昼休みになると、人知れぬ場所に行き、一人で弁当を食う。

もう苦痛そのもの。どこ逃げてもあいつどこ行った?と探されるし、一人で弁当?可哀そうだけど大丈夫?と笑いものにされ…。

 

なんつうか…もはや無の境地にならざるを得ないという日々を、ひたっすらに、やり過ごした。

 

中学では、厳しい校風や教師の監視で逃れる術なく、ひたすら教室で一人昼食過ごしました。時々は一緒に食事取る仲間を探しましたが、別に好きでグループになってるわけでもなく…ただ一人で食べるより安全だったから…と、いうだけの理由。

 

でも、それも別に大した効力なく…ちょっかい出してくる奴は、誰とどこにいようがお構いなしなんだな…と、学んだだけ。

 

高校になると教師もゆるく、頑張って1ヶ月は耐えたものの(最悪なことにいじめ首謀者が数人同じ学校に進学してきたので…)

相手の数が増えに増え…全クラスの女子ほぼ全てとなった時、あっという間に限界きました。

 

毎日、昼休みになると家に帰る、そんな奴になりました。

 

当然、出席日数危うく、あと数日休んだら卒業不可…になる寸前、やっとこさ拾う神が来た

 

担任が意外といい人で(いい人やけど普段は完全ほったらかしや~)、大っ嫌いな数学教師も、それ以上にとってもいい人だった。おかげで…何とか奇跡の卒業という偉業を成し遂げました。この時の先生たちには、一生もんの感謝です。

いつも幸せになっておりますように、と願い、

あの時はありがとうございました…と、

今でも感謝を伝える日々です。

 

そう、偉業。

あの頃の私にしてみれば、卒業はまさに夢の夢。

もう無理だろ…な話でした。

 

昼休みになると帰り、出席日数のために…たまに昼休み終わってから登校し、1、2個の教科のみ受けて帰る。

休み時間の苦痛を避けるため、朝はいっつも遅刻ギリギリで学校に入り、すぐに朝礼になるよう調整。

休み時間になる度に、窓の外を眺めて無になる、体育はひたすら休み(いじめ首謀者が全員、見事に同じ組み分けグループ!そんな授業受けられるかぃ!)、とうとう単位落としました。

 

そんな思春期だったため―――

 

私には、マジな話…学生時代の…『記憶』がない。

殆どない。ほぼほぼない。スッポリきれいに抜け落ちていて、あの頃何が流行っていて何が世間に起こっていたのか、社会的なことも記憶にない!

 

中学の数日&高校2年の1年間以外(クラス替えで仲良したちと再会し、2年の時だけ奇跡的な花の高校生活だった)、どうやって日々の苦しさを耐えたのか。その時代、何があったのか…あんまり、記憶に…ない。

 

なので、当時の話に花を咲かすことは…不可能。

記憶になく、普通の学生時代でもないので…学校に関する話題が…ちんぷんかんぷんで分かりません(; ゚Д゚)

 

世の中に、いじめ、って言葉は、不要です。

傷害罪侮辱罪名誉棄損、こう呼ぶようにすべきでしょう。

 

いじめって言葉は、軽すぎます。

学生時代の記憶をほぼ完全に失う羽目になった私に、その言葉は軽すぎです。そんなとんでもなく軽い響きを持つものに…私の記憶は消されたのか?…そう思うとただただ虚しい。

 

でも、残念ながら私はこれを、被害者の立場からのみ、言っているわけではありません。

いじめられ続けた人間は、どこかで自己価値を取り戻すため、無意識に生き残るため、逆に自分が加害者になってしまうこともあるのです。

 

ほんのいっとき・数ヶ月ほどでしたが、加害者となった私のことを、生涯、忘れないようにしています。

私は、全ー然、いい人なんかじゃないのです。

イオさんはいい人だとおっしゃる方も、昔の私を知ったら、誰もそんな風には思いませんよ。

 

いい人ではない時期は確かにあり、でも、いい人に救われた時期もありで、被害者・加害者両方を経験したからこそ、今の私がいるのです。

 

後悔を反省に変え、活かしていくことが大事。

これは、私の経験から出ている言葉です。

 

そして、耐え続けていれば、必ずその忍耐が陽の目を見る時がやってくる。花開き笑顔になる時が来る!

これも、経験からきている言葉です。

 

長い休みが明ける頃、死にたくてたまらなくなる人、いるかもしれません。

 

私も同じ。

その気持ちは、今でも分かる。

この気持ちは、一生なくならないかもしれないと思うほど、いつまでもリアルに分かり続けます。

 

でも、死んだらアカン!

挫けても、諦めたらあかん!

諦めても、人生は常に、再起の瞬間にあふれている!

次の瞬間に賭け続けるのです!

その賭けは、いつか必ず勝ちをおさめる賭けです!

 

落伍者とは、いじめたことを忘れて、自分の罪に向き合わないまま大人になる人を言うのです。

 

学校で落ちこぼれと呼ばれても、負け犬と笑って蔑まれても、そんなもんは、意味のない偽物言葉です

 

本当の負け犬は、一人でその状況を作ることもできず、集団であなたを笑いものにしている連中のこと。

彼らは社会の制度では落ちこぼれと呼ばれることはなくても、人間社会では落ちこぼれです。

 

どうしてもどうしても嫌な時は、学校を休んでもいいんです!

自分の心と体を護るための休みです!

 

行かなくてはいけない、から、行かなくてもいいんだという思考に換えていくだけで、苦しさは違ってきますから。

 

まずは、行かなきゃは―――行かなくてもいいに置き換えて下さい。行かなくてもいいと思える安堵感を、心に大きく強く植えこんで、しっかり味わってあげて下さい。

 

私は、そんなこんなな学生時代を12年も過ごしちゃったせいで(ADHDにLD、魂がワンダラーな性質でもあったため、『かなり異質な変わり者』として周りに攻撃されてしまったようです)、気づいた頃には、目立たないようにと無意識に背を丸めて首を縮め、前のめりに立つ癖がついてしまっていました。

 

今、私は、猫背を直したくて色々ワークしてる最中です。

首を真っすぐ伸ばして立ち、周囲から頭一個飛び出そうが平気さ―…な、フリをするべくデーンと立つようにしています。

 

別に背は高くない方ですが(164センチだし)、人の目が自分に向くと、今でも『え、何だろ?』と警戒し、また変なことで目立ってる?また容姿でからかわれる?と一瞬思ってしまいます。

 

目ばかりでかくて顔が宇宙人みたいだとか、首長族かよ…とか、マッチ棒か…とかー…なぜかブスと言われたことはないので、顔は十人並みな容姿なんだとは思います。

 

でも、小学生の頃、お前の声は変だ!おい、変な声でしゃべってみろ…と言われたショックで、声を出すのが嫌になり、無口になってしまった時期もあります。

同じ頃、それより先にあなたの声はいい声ね~と教師に言われていただけに、混乱激しく、人の言うことはなんてアテにならないんだろう…と、人の言葉に対して不信感を持つことになりました。

 

こんな記憶しかない思春期、何て、悲惨よ…(((( ;゚Д゚)))) …と思っていましたが、ある時期に、ふっと、特に何の前触れもなくふっと…

 

長ーい輪廻の繰り返しの中、たった一つ、こんな人生があってもいいやん。たった一つだよ。

後で魂の世界で見てみれば、星粒のように小さい1個、そんな人生かもしれない…そんな風に思えるようになったのです。

 

今回、こんな更新記事書いたのは、夏休みも終わる今、日曜日や祭日が終わる頃、こんな気持ち抱えて、必死で何とか、一瞬をやり過ごすべく思いを巡らせている人がいることに、どうか多くの人が少しでも意識を向けてあげてほしいから。

 

必死に今を生き抜こうとしている方々を想い、どうか、心に少しでも余裕のある方、その光を分けてあげて下さい。

心の中でも大丈夫です。

 

綺麗な光と励ましの言葉を、どこかにいる誰かに、心込めて贈るつもりで、願う・祈るという形で贈ってあげて下さい。

 

思いが本物で言葉に心が宿っていたら、必ず、集合的無意識という魂の奥底でつながりあっている魂たちの意識層を通じて、必要な人に伝わります。

 

励ましや勇気や気力や愛、そんな思いや言葉を必要としている人の元に、思いは直感ふとした気づき』『何となく急に気持ちが明るく軽くなる』『楽しいことにふっと目が向く、意識が向く…そうした反応で伝わります。

 

祈りは、そこに思いと心が宿っていれば、必ず届きます。

 

思うこと、思いやる気持ちを持つこと、気持ちを傾けること、心配すること、気遣うこと、それを諦めないで、きれいな光を一緒にイメージしながら続けてあげて下さい。

 

新学期の辛さを、どうか少しでも多くの人が、前向きに乗り切っていけますようにピンク薔薇

 

どんなに辛くても、死んだらあかんよ!

別の方法でその苦しみから逃げて下さい

でも薬やお酒や悪いこと逃げてはあかんよー

そんな逃げ方は、私のように、その苦しみを

何とか乗り越えて今を迎えている人たちのように、

将来、きっと後悔するよー。

死ぬほど学校行くのがつらい時は、

逃げたらええんです。行かんでええんです

お父さんお母さん、保護者の皆さん!

逃げることを明るく許してあげて下さい。

逃げ道はあること、時には逃げてもいいこと

寛大な心で示してあげて下さい(。-人-。)

 

長い記事をいつも最後までお読み下さり、心から感謝です

キラキラこの記事通じてたくさんの光と愛を贈りますキラキラ

 

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