個人情報やプライバシー保護に関する法律や、防犯カメラに関する議論など、日本人と欧米人が意識するプライバシーの概念や感覚の違いに関してお話したいと思います。

 

もちろん、個々人の意見や感じ方は、全然違ったりすることもありますが、文化的、または、宗教的な背景から、マクロ的にどのように考えているかの傾向は見て取れます。

 

日本人にとってプライバシーは、「のぞかれるもの」に対して、それから守る、という概念になります。個人情報保護法もそうですが、個人情報が漏れないように完全防護にいそしみます。

 

一方で欧米の感覚では、プライバシーは、個人の権利であって、どこからどこまで提示するかどうかは、本人が決める、という意識が強いと思います。それには、もちろん、どう使われているか知る権利もありますし、途中で、プライバシーの条件など変えることも自由にできると考えます。

 

ここで、文化的背景に立ち入って議論すると、日本の場合は、「お天道様」という神様がいて、日本人、もしくは日本にいる人たち全員が、そのお天道様に見られていることを知っているという前提です。そのため、誰も悪いことはしないと、考える傾向があります。

 

縦(お天道様)と横(日本人)のつながりの中で、いわゆる「性善説」を信じて生活を営みます。それゆえに、「後ろめたいことさえしなければ、カメラで監視されてもいいじゃないか!むしろ犯罪が減って歓迎だ」、という結論に至ります。

 

その一方で、欧米、特にキリスト教者は、神と契約を結ぶのは、個人になります。ここで、神というのは、「善悪を完全に判断できる実体」のようなもので、人間である個人は、神と契約を結ぶことによって、倫理的な行動にエンゲージしていると考えます。

 

そうすると、個人の行動原理は、神の意思に沿った倫理的で善的である主体的なものと感じる一方で、自信も含めて人間は、不完全である存在であることも認識します。

 

ここで、監視カメラに関する感覚に戻ると、日本人にとって、カメラはお天道様で、それらに見られている人々は、悪い行いはしないということ。また、そうであれば、平和で犯罪のない世の中になる、という解釈になります。

 

しかし、欧米では、監視カメラはあくまで、情報を得る道具であって、その情報が、神的(倫理的な目的)で使われるか、人的(利己的、または、悪意、不完全な判断)によって使われるかが、問題になるのです。

 

つまり、欧米人は犯罪防止のための監視カメラや、情報収集に異論は唱えませんが、その情報が人的に使われることに拒否反応を示している、とみて取れます。

 

これは、いわゆるグレーゾーンをどう考えるかも含め、極めて哲学的なもので、日本人のように、悪いことをしてなければ問題ないと思われるのに対して、情報全体が誰に、もしくは、どの組織に利用されて、個人が最終的に不利益を被らないか、まで、考えが及んでいるのです。

 

このような考え方から、「黙秘権」や「推定無罪」というのも存在します。つまり、人間の判断は常に正しいわけではなく、恣意性もあるということを考慮に入れているのです。

 

日本人に良い人が多いことは、素晴らしいですが、近代において、国家や社会を、どのように正しく運営していくかにおいて、西洋的なものの考え方を少しでも知っておくと、良い方向に変えていけるかもしれませんね。

 

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